第7回「ノホホンの会」報告

2011年12月16日(金)午後3時〜午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室)
参加者:六甲颪、山勘、ジョンレノ・ホツマ、恵比寿っさん、本屋学問


今回も、狸吉さん、致智望さんが欠席というやや寂しい例会でしたが、書感、ネットエッセイとも前回未紹介分も含めて多数にのぼり、予定時間をオーバーするほどの熱いディスカッションが続きました。その後、残念ながら事情で帰られた六甲颪さんを除くメンバーで、近くの居酒屋でささやかな忘年会をしました。料理やサービスも良く、大いに盛り上がり、迷わずその場で新年会も予約しましたが、時間にシビアすぎるのが少し…。


(今月の書感)

 電子書籍の幻想を衝いた「出版大崩壊―電子書籍の罠」(本屋学問)、中国人のしたたかなモノづくり事情を紹介した「中国モノマネ工場 世界ブランドを揺さぶる『山寨革命』の衝撃」(六甲颪)、雄という存在を改めて見直す「恋するオスが進化する」(恵比寿っさん)、人間の大きさを基準に、ものの測定法を等身大の科学からわかりやすく解説する「測り方の科学史I 地球から宇宙へ」(ジョンレノ・ホツマ)と、今回もバラエティに富んでいます。

とくに「中国モノマネ…」のなかで、“誰でも真似できるようなものをつくるほうが悪い”という言葉は『論語』に入れたいほど深い意味があり、大いに考えさせられました。モノづくりに限らず安易に走りがちな戒めとして、これからの日本には大いに励みになる言葉です。


(今月のネットエッセイ

「本当の教育」(本屋学問)、「地震予知は可能!」(恵比寿っさん)、「明暦の大火と保科正之」(山勘)、「予知の的中率とその評価」(六甲颪)と、エッセイも充実しています。保科正之の本は今の政治家や役人にぜひ読んでほしいと思いますが、果たして彼らにそれだけの理解力があるかどうか。地震の予知が少しでも進めば、地震予知は不可能と結論付けたアメリカの学界に対して、最近世界一を奪還した国産スーパーコンピュータを駆使した反撃が期待されます。


(事務局)

書感 2011年12月分

中国モノマネ工場 世界ブランドを揺さぶる「山寨革命」の衝撃/阿甘(日経BP 本体1,800円


 中国製品といえば外国製品のコピーが多く、価格は安いが品質に問題があるとう印象を持っていた。ここで紹介する著書は、中国人であって携帯電話で独特の開発手法で中国でのシェアを高めた経過と問題点を詳細に記したものである。同時に、中国人の模倣に対す考え方が日本人と異なっており、これを理解すれば中国の開発の手法が理解できる。

先ずこの「山寨」とは、本来は山の中の砦という意味で、山に隠れ、中央政府の目を逃れ、コピー、偽物を密かにつくるグループをさすようになった。この本で紹介される山寨という会社の携帯電話は、外国各社の特徴ある部品を取り込み製品をつくったが、西暦2000年ごろから売り上げは100億元を超えるほど急増し、山寨という名前は中国の流行語になった。

この会社の特徴は、全体を率いるリーダーの名前が前面に出てこないが、底辺の人材が作る部品は低価格、高性能を保っている。そのため、海外ではローエンドの市場で人気があり、其のルートを通じて海外技術を手に入れている。一方、製品系列の中でもノキアのものは使わず、逆に「キノア」の名称で高級模倣品を高倣品として売っているが、其の価格はノキアの数分の一くらいで販売しているので、これでノキアには迷惑をかけていないと平然としている中国の感覚はなかなか理解できない。

 この本の著者も、人類の歴史は発明と模倣の繰り返しであって、模倣は次の発明のため必要であるとコピーに理解を示している。また、物理的発見と工学的発明の区別がついてないところがあり、歴史上中国の4大発明、(羅針盤、火薬、紙、印刷)は有名であるが、その後大きな発明がなく、これと並ぶ発明を期待している。他方、日本にも中国の山寨のような会社が出てくると、意外な発展をするかもしれない。

(2011年12月8日 六甲颪)


恋するオスが進化する/宮竹貴久(メディアファクトリー新書 本体740円)


 著者は1962年生まれ。琉球大学大学院修了後、沖縄県職員としてウリミバエ(害虫)と10年以上戦う。九州大学理学博士。ロンドン大学客員研究員を経て、現在は岡山大学大学院環境学研究科教授。2010年、日本応用動物昆虫学会賞受賞。


序章 愛は戦いである
 繁殖をめぐる生物学は現在、「静的対立」という新しい考え方によって、セックスの見方をその根本から変えなければならないところまで来ている。お相手の雄を捕食してしまうという哀切なことは、クモやカマキリではしばしば報告されているが、こうした矛盾はすべてある種の進化の結果として説明できる。

第1章は何故性が分かれたか、寄宿者としての雄の本性を、2章ではダーウィンの「自然選択」と「性選択」のうち、特に異性にアピールするオスを、3章ではオスがライバルを出し抜く戦略を、4章では同姓内の闘争が精子レベルでもあること、5章ではオスとメスのセックスにおける利益の対立、6章では「子のために浮気したいメス」と「自分の子だけ産ませたいオス」の戦略合戦、7章では「オスメスを超えた世界」について解説している。


第1章 オスは寄生者として生まれた

無性生殖から生殖細胞が2種類(以上に)分かれたのが有性生殖。栄養を持ち動かないのが卵細胞でDNAと鞭毛だけになったのが精子。有性生殖のメリットは環境適応と突然変異の修復。 その由来から精子を持つオスは性的パラサイトになりやすい。 オスはフェロモンに惹かれ、そのために絶滅させられた虫(害虫)もいる。


第2章 選ぶのはメス、泣くのはオス
 ダーウィンの唱えた進化の原理には「自然選択」と「性選択」がある。性選択には「異性間選択」と同性内選択」がある。異性間選択はコクホウジャクの尾羽を使った実験で立証された。メスに選ばれたいオスはプレゼントをしたり「家」を作ったりする。メスの好みに従ってオスのある性質がエスカレートするさまを「ランナウェイ」という。こうした誇張された性質も自身の生存が危うくなるレベルで止まる(二律背反)。


第3章 戦うオス、企むオス
 オス同士がセックスの権利をめぐって争うのが「同性内選択」。カンガルー・キリン・ゾウアザラシなど多くの動物が争うが「蚊柱」もオスの蚊の戦場である。 闘争に不利な小さいオスは、大きなオスと「ナンパの場所・時間をずらす」「隙を狙う」「たくさん射精する」等の方法で遺伝子を残す。闘争のための進化も二律背反はあり。

第4章 子宮の中の競争

 メスが2個体以上のオスとセックスするとメスの体内で精子競争が起きる。精子も無限ではないため、相手の質やライバルの有無で射精量や質は調整される メスの生殖管内で他のオスの精子と出会うと、自分の仲間の精度同士と協力する。メスが体内で精子を選んでいるかは不明だが、鶏のメスは劣ったオスの精子を排出することがある。


第5章 モテないオスの大暴走

 性選択でオスが頑張らねばならないのは、オスは頑張るほどたくさんの子孫を残せるが、メスが産む卵の数は決まっているから。  「性的対立」の概念を最初に提唱したのは英パーカー教授、別名「精子競争の父」。 性的対立は、他のオスの精子を殺すために毒を持った精液生産がメスを弱らせると言う発見で立証された。 メスは毒への耐性をつけたり生殖管の構造を強めて、オスの暴走に対抗する。 メスが嫌がるほど、迫るのに有利なようにオスが進化するイタチごっこを「チェイスアウェイ」という。 乱婚傾向が高いほど性的対立は深刻になり、傾向の差が新種を生む可能性がある。


第6章 浮気をめぐる冒険

オスが子育てする種では、メスがオスを奪い合う。ほとんどの種でメスは複数のオスとセックスする。メスの浮気の理由には、根負け、不能への保険、多様性の確保などの説がある。メスが他のオスの精子で受精しないよう、オスは他の精子を自ら貞操帯になったり、精子に浮気防止のたんぱく質を含ませたりするなど、さまざまな戦略を用いる。


第7章 セックスはそもそもあやふやである

魚には環境に応じて性転換するものが多く、カタツムリなどはオス・メス双方の機能を持つ。環境の安定期はメスだけの無性生殖、条件が悪くなると有性生殖をする種も多い。あらゆる手を使ってオスを激減させる細菌(ボルバキア)が虫に流行っている。

終章 進化が「いいこと」なんて誰が言った?

多くの生物ではセックスにタイミングが重要だが人間は気楽。 ほとんどの生物は目的意識を持って行動しているのではないがそのように見えるのは観察者が人だから。進化evolutionにはいい・悪いの方向性は含まれていない。

書感:定年後のオスが曰く「カアチャンが強くなってきた」と。 私は「向こうは何十年と主婦をやってきた。家の中では勝てっこないよ」とか「君に甘えようとしているんだよ」と差し支えない話をするが、時には「人もカマキリもその昔に枝分かれしたんだから、御用済のオスを冷たくあしらうんだよ。 捕食されないだけマシだと思え」と酷いことを言う。 私は進化の歴史から考えて、半ばこのことを正しいと信じている。だから、この本は書店で目についた時に飛びついた。
(2011年12月9日 恵比寿(えべ)っさん)

 進化の定義:世代を超えて遺伝子頻度が変わる(その結果、遺伝子が指令を出して体内で生産されるアミノ酸に変化が生じ、姿形や振る舞いが変わる)こと。


出版大崩壊―電子書籍の罠/山田順(文春新書 2011年3月 本体800円)


 帯に“某大手出版社が出版中止した禁断の書”とあるのはいささか大仰な表現だが、著者は「はじめに」で次のように書いている。

「本書は電子化を積極的に進める出版社から出す予定で書いてきた。しかし、内容がその社が進める電子化に反するものだったためか、途中で中止となり、最終的に文藝春秋に救っていただいた…。その意味で、現実を現実のままに捉えていくというジャーナリズム本来のあり方を理解していただいた文春新書編集部の方々には、深く感謝している」

 大手出版社の光文社で34年間、雑誌や書籍の編集に携わったベテラン編集者が、退職後に実際に電子出版ビジネスにかかわって、現状では電子出版がつくる未来は幻想にすぎず、結果的に既存メディアの首を絞めるだけだと結論付けているこの本は、電子書籍の波に乗り遅れないように情報収集に追われ、具体的な形を求めて模索している関係者にとっては、かなり衝撃的な内容である。

 情報には2種類ある。文字の発明以来、保存されてきたすべての情報、記録を「ストック」、新聞記事やニュース、雑誌記事のような情報を「フロー」と呼ぶ。しかし、新聞や雑誌はネットビジネスにはなりにくいと本書は断言する。それは、ネット文化で生まれた「ブログ」や「ツイッター」が、品質を問わなければ十分にフローの代わりになり得るからである。

また、誰でも作家になれるという自費出版も、ネット上にゴミが増えるだけで、著者は無秩序で混乱の世界をつくり出すに過ぎないと切り捨てている。むしろ、学術書や専門書のほうが電子書籍としてビジネスになり得るという記述に、同じ分野の出版をしている私には意外に感じた。

「ペイウォール」(課金の壁)という言葉がある。ネット利用の有料と無料を隔てる壁のことである。日本の電子雑誌販売サイトが、一定月額料金を払えば30以上の雑誌や新聞、TVニュースが見放題というサービスを立ち上げた。最初の1か月は無料サービスとしたため申込みが殺到したが、有料サービスに移行したとたん、登録者は1/10以下になってしまったという。インターネットでは情報は無料という認識が強く、当然の結果といえるのかもしれない。

この現象はアメリカでも同じで、ほぼすべての新聞がこれを試みて失敗したそうだ。これまで世界中のどのネット情報ビジネスも、この壁を破れないでいる。現在、メディア王のマードックが、独自の有料ニュースネットワークを試みている。あくまでも高品質のニュースを提供するという前提であるが、それが成功すれば新たなビジネスモデルになるのだろう。

いずれにしても、従来の書籍の内容を電子化するだけでは何の利点もなく、現状では出版側のコストがかかり過ぎ、また、ネットを提供するIT側は利益を求めるだけで、情報やその内容には理解も愛情もない、電子書籍は彼らを儲けさせるだけだ、と本書はいう。

電子出版というアメリカ発の現代の黒船によって開国させられた日本の情報維新は、日米の出版事情や書店市場の違いが明らかになるにつれて、いつかCDやゲーム機と同じ末路を辿るのではないかといわれ始めている。そうならないためにも、私には想像もつかないが、IT時代ならではの画期的なアプリケーションが開発されて、そこに新しい電子書籍の姿が出現することを望んでいる。

(本屋学問 2011年12月5日)


測り方の科学史Ⅰ 地球から宇宙へ/西條敏美(恒星社厚生閣 2011年11月発行 本体3,000円


 まだ広く認知されていませんが、日本の古代でも、地球の大きさ、月、太陽の大きさと距離についての記載があります。
それは「ほつまつたえ」と同時期に作られた「みかさふみ」の中に書かれています。

以前、地球の大きさ、月の大きさ、太陽の大きさ、そして、月までの距離、太陽までの距離をどういう風にして測ったのか気になっていたときがありました。

そんな中で、「測り方の科学史・地球から宇宙へ」という、古代からの歴史の視点で纏められている本書を知りました。

古代日本人がどのような方法で測ったのか、考えるきっかけを与えてくれました。

本書で古代ギリシャでの測定方法を理解することにより、何らかの共通性があるかなと考えた次第です。

実に分かり易く解説されており、数式も適当に分かり易く、読んでいても苦になりませんでした。

  特に、本文に入る前の「宇宙の階層構造図」は、人を基準に、月、地球、太陽、太陽系、銀河系、宇宙の大きさが図によって一枚のチャートの上に纏められており、如何に大きいものかが一目で分かり感心しました。

大きさが身近なものからかけ離れているため、実感がわかないのですが、それでも宇宙の大きさの概念がつかめて素晴らしいと思いました。


本書により、歴史の視点で、人間の身長など身近に実感できるものを基準にするところから始まって、相似形などで工夫比較しながら手の届かない大きさのものを推察する楽しみができました。


地球の大きさ、月の大きさ、距離の測定方法、太陽の大きさ、距離の測定方法等について、今までに分かっている測定方法が数多く記述されています。

中でも注目したのが、ヒッパルコスというギリシャ人の天文学者が、高い山から遠くの水平線を見降ろし、鉛直となす角度を測定すれば、高さが分かっているとき、この角度より地球の半径が求められる。という内容です。

この数式を利用して、高い山からの遠望距離も求められ、富士山が見える超遠望地点も見事に一致していたことに感激しました。

次の機会に、古代日本の測定値の算出方法を類推しながら、比較検討出来たらと良いなと思っています。

(2011年12月9日 ジョンレノ・ホツマ)



エッセイ 2011年12月分

明暦の大火と保科正之


 これまで、東日本大震災と原発事故への国政の稚拙な対応が混乱を招いたが、新しい年こそ力強い復興元年になってもらいたい。しかし、野田どじょう首相の手腕に疑問が生じている。

 山内昌之著「リーダーシップ」(新潮新書)は、リーダーの条件として、胆力、大局観などの資質を挙げ、大震災などの危機に直面した場合のリーダーの見本として徳川幕府の重鎮だった保科正之を挙げる。保科は、時の幕閣にあって、明暦3年(1657年)の大火の折りに指揮系統を明確にして、迅速、適切な対策を講じた。

この時保科は、三代将軍家光を上野寛永寺か閣老の邸に移そうという幕閣の動きを押さえ、将軍をかろうじて焼け残った西の丸に移す。西の丸が燃えたら陣屋を設けてでも千代田の城にとどまると決めた。将軍が動くと警護のために武士団も動き、指揮命令系統が乱れる。次いで備蓄米の放出や炊き出しなどで庶民の生活支援と人心の安定を図ったという。

近代以降の大災害では、関東大震災時には、わずか5日後に内務大臣後藤新平による「帝都復興」活動がスタートした。阪神淡路大震災時は、自社さ連立政権の村山富市首相は、自民党閣僚の協力と官僚機構の活用で成果を上げた。著者はこれについて、村山首相の責任を回避しない姿勢、穏和で飾らぬ人柄が政治家を結集させたといい、民主党政権下の管前首相の振舞いとは大きな違いがあるという。

確かに、人を動かす人の魅力は大事である。保科は、徳川二代将軍秀忠のご落胤であり、三代将軍家光の腹違いの弟として、さらに四代将軍家綱の叔父として幕政で重きをなした。しかし彼は、高遠藩主保科正光の子として育ち、会津藩主となった後も、最後まで将軍家とは君臣の礼を崩さなかった。奥ゆかしい人柄で、殿中ではいつも隅の方に端座していた。

小説「天地明察」(冲方丁著)は、保科正之の坐相(ざそう)は「不動でいて重みが見えず、地面の上に浮いている≠ニでも言うほかない様相」であり、「あたかも水面に映る月影を見るがごときで、触れれば届くような親密な距離感を醸しながら、それでもなお水面の月を人の手で押し遣ることは叶わないことを思い起こさせる」と描写している。

また、明暦の大火における保科の業績については、火災時に米倉の米俵を民に運び出させて後にこれを支給し、火災後には、消失した天守閣の再建を止め、治安維持の武士団を置かず、参勤の諸藩を国元に帰らせ、江戸出府を延期させて江戸の人口を減らし、震災時に避難しやすい江戸の道路作りを進めたとしている。市民生活重視の施策である。

小説では、三代将軍家光は保科を事実上の副将軍として扱い、四代将軍となる家綱の養育を任せ、家綱が将軍になってから、保科が重い病に罹って隠居を願い出たが許されず、体調の良い日だけ輿に乗って登城せよと命じられ、頼りにされた。さらに保科は、死に臨んで会津藩家老に命じて、これまでに幕府や将軍に建議した資料を一切焚き捨てさせたという。あれもこれも保科の献策だったということで将軍の権威を貶めることを畏れたためである。家老は泣きながら資料を消却したという。

どうやらリーダーシップには、胆力、大局観などに加えて、情≠ェ必要らしい。その情は、浅くて迷いのある情ではなく、人間性と同調する不動の情だろう。

(山勘)


予測の的中率とその評価

最近の料学技術の進歩は著しく、過去に起きた事象は殆ど的確に解明されるようになったが、未来に起きるであろう事象については、依然として「確率」という手法を用いて予測する以外にはないようである。これは、神様が現在だけでなく未来も全部解明できるようになったら、少なくとも人間は夢も希望も無くなり、生きる意欲がなくなるとみて、未来予測の手法を伝授しなかったという意見もあるが、一方で未来はどうなるのかの研究もどうしても必要なことが多い。

 身近な実例として、天気予報は毎日数回予報を発表しているが、これは戦前の「測候所」と呼ばれていた時代の予報からは格段に進歩し、各地方、各時間に次々と発表できるようになっただけでなく、予報の的中率は格段に向上している。戦時中、怪しげな食品を食べてしまって心配になり、母親に相談すると「大丈夫よ。測候所、測候所、測候所と唱えておけば、絶対当たらないから」と言われたものである。

 最近の予報にこんな憎まれ口をいう人はいないが、その予報を注意深く聞いていると、気になることに気づき始めた。それは、実際に予想されるよりもきびしく発表されることが多いようである。

例えば「雨は次第に強くなりますので、河川の近くの方は注意して下さい」とか、「…の地震がありましたのでXX地区の方は避難に準備をしてください」等、注意を喚起するのはよいが、時により大げさすぎるため、段々この発表をまともに信用しなくなっているのではないか、昔の教訓にあった「狼と少年」的になることを心配している。この背後には、なんとなく責任逃れのための発表と見られていることがなくもない。

 本当に現在の科学技術を信じて、本当のことを伝えてほしい。そして、1月に1回くらい的中率を公表していただければ、真の気象庁の実力を知ることが出来るだろう。

六甲颪



地震予知は可能!!


日本社会情報学会の第65回情報政策研究会で、「新しい地震予知システムについて」という講演を聴いて来ました(2011/12/05)。講師は、電気通信大学名誉教授の早川正士様(工学博士)です。講演を聞いて、やはり「地震予知は可能」という確信を持ちました。


1.原理

早川式(?)予知の原理は次のようです。

本震が起こる数日前に、プレートの界面近くではmicrofracture(小さなひび割れ)が起こり、これは摩擦電気や圧電効果で電気の発生となる。この時に電磁気的な現象として電離層の擾乱(電子密度が変化する)が起こる。①これにより、超低周波(VLF波=3〜30kHzやLF波=30〜300kHz)の伝搬速度が速まる(位相が進む)。これは広域の予知に向く。②電磁場変動が起こるので、ULF波(=1Hz以下)が地表近くで発生する(≒100秒周期)ので、磁力計により検出して予測。これは比較的狭域(50〜80km)に向く。

これらの電磁気的現象が起こってから(しばらくはおとなしくなり)、その後の数日間で本震が起こると言うものです。実際に、阪神淡路や東北での地震でも検知されているそうです。

2.実用化

既に公開されていて、今は有料での情報配信サービスまで行っているそうです。予知精度は70〜80%と仰ってました。


3.縄張り?

なぜ、もっと公的に採用されないかと言うと、地震研究所の考え方は「地震学」なのだそうです。地震学は統計ですから、予知はできないそうです。東京大学に研究所を設立する時に、①地震のメカニズムの解明、②実学なので、いかなる手法を用いても、という2つの考え方があって、結局、①の方向になったのが、今の地震研究所なのだそうです。

早川さんは「地震予知学」という新しいジャンルなので、地震学の方も歓迎しているそうですが、地震学者はむしろ対立するような立場に居続けているようです。学者と技術者の考え方の違いなのでしょうか。

あれだけの悲惨な出来事があったわけですから、もっと国家的な研究に進み、公的な予知情報を万民が得られるようにして欲しいものです。


4.WEB検索

地震解析ラボ http://earthquakenet.com/

インフォメーションシステムズ梶@http://www.informationsystems.jp/

早川地震電磁気研究所 http://uecincu.com/campany/hayakawa/profile.html

(恵比寿っさん

本当の教育



電車でよく見かけるのが、携帯電話でメールをしているシーンである。もちろん、周りに迷惑をかけるわけでもないのでとやかくいうことではないが、皆一様に押し黙って画面を見つめる光景は何とも異様だ。

最近の携帯電話は、テレビにも新聞にも、本にも辞書にもステレオにもなる。今や小学生でも持っているのは当たり前で、これ1台で生活や娯楽の情報をはじめ、世の中の動きをほとんど知ることができるというから、新聞も本もテレビも必要なくなるというのは本当かもしれない。

では、街に溢れるそうした情報のおかげで、人々の常識や教養は一段と高まったのかというと、そうでもないらしい。学校でも職場でも聞こえてくるのは、若者の教育的、倫理的水準が下がったという話である。事実、知り合いの教育者たちに聞いても、学生の学力や発想力は以前に比べて明らかに落ちているという。メイド・イン・ジャパン製品も、今ひとつ信頼性がなくなった。情報の量や利便性は、必ずしも人間の品質まで向上させるとは限らないようである。

いわゆる「ゆとり教育」や「競争は悪」といった教育方針が、基本的な読み書きや倫理観を育てることに少なからず悪影響を与えたとはよくいわれる。十分に知的、道徳的基礎体力をつけないまま大人になり、それが数を頼んで世論になり、明らかな間違いや的外れな主張がまかり通る時代になったというのである。

その責任の一端はマスコミにもあり、あまり訓練されずに第一線に出た取材記者が良識面して伝えるお粗末な報道は、検察や警察の偏見に満ちた使命感に劣らず始末が悪い。悪政と善政の区別がつかない国会議員、「公僕」の名を汚すばかりの役人も同罪で、彼らこそ本当の意味で「社会の敵」である。しかし、こうした未熟な“プロフェッショナル”を生み出す土壌は、つまるところ国をミスリードした貧弱な政治、言論であり、それを判断できない国民である。

明治政府がフランスの軍制に倣って最初の徴兵検査をしたとき、学力試験で日本男子の70%は字を読め、30%以上は自分の名前を書けたが、同じような試験でフランス人は40%が辛うじて字を読める程度だったという。藩校や郷学、寺子屋、私塾が充実した江戸末期の日本が、当時の大国フランスを上回る教育国家だったことはあまり知られていない。

国民の識字率の高さは、国の運営にも大きな影響を与える。電話もテレビも、ビデオもパソコンもなかった時代に、先人たちは日本が大きく変わらなければならないことを肌で感じ、すぐれた政治、国際感覚と歴史観、経済哲学を実践して近代日本の礎を築いた。

一方、情報社会、IT時代といわれ、生活も教育も高度に発達して何の不足もない今日、国の未来を描けない政治家や自国の文化も語れない国民が増えて、国家の情報収集能力も国民の知的水準も落ちているとは、一体どういうことなのか。

さすがに今は自分の名を書けない人はいないが、ワープロばかり使っていると漢字を忘れるというし、電卓に頼っていると計算能力は下がる。頭脳は使わないとボケが進み、考えなくなると創造力も洞察力も衰える。歩くのが面倒だからと車ばかり使えば、脚力も退化して身体も弱る。

人工知能が極限に発達すると、医者や弁護士、裁判官は要らなくなるという。過去の症例や判例をすべてコンピュータに記憶させておけば、瞬時に病名や判例が出せるからだ。今の政治家にも医者や弁護士出身が多いが、いってみれば医者や弁護士は、せいぜいがその程度の職業だということか。現実にコンピュータは、人間からいろいろな仕事を奪っている。そして最後には、文学や音楽、絵画といった、人間本来の創造的な芸術分野だけが聖域として残るそうだ。

いつの時代も人間本位の社会を形成し、動かしていくためには、常に五感を研ぎ、知識を蓄え、知性を高め、人間の本能を劣化させない普遍の教育を第一に考えることだと思う。

(本屋学問)