第1回「ノホホンの会」(現在は仮名称)報告

2011年5月12日(午後2時30分〜、狸吉邸)

 旧「本当の本の会」が事情により廃会となりましたが、その後メンバーの皆さんの本に対する熱い思いと会の存続の強い願いが、再び当会を立ち上げるに至りました。そのきっかけは、六甲颪さん、狸吉さん、致智望さんがお互いの気持をメールに込め、本屋学問が加わって1月に集会を開き、直接に顔を合わせてそれを再確認し、山勘さん、ジョンレノ・ホツマさん、恵比寿っさん に加わっていただくことになった経緯は、先日のオープニングパーティでご説明したとおりです。当面はこのメンバーで、旧来に増して豊富な話題と知的興奮に溢れた、さらに特色のある会に育て上げていきたいと考えます。

 当初は4月の桜の時期に、新装なった狸吉邸のお披露目も兼ねて開催を予定していましたが、このたびの大地震、大津波、さらに原発事故と未曾有の大災害が重なり、一月繰り下げてようやく実現できました。話題はもちろん原子力発電。その是非論から始まり、日本の原子力行政の問題点、人間の傲慢さ、科学技術の限界と、久しぶりに当会らしいハイレベルの科学論議が復活しました。

 第1回の開催にあたり、取決め事項を記します。

 ・会長は六甲颪さんにお願いし、会のつど適宜、進行役を兼ねた座長を設ける。
 ・開催は原則として毎月1回、できるだけ全員が参加できる日時とする。
 ・会場は三鷹SOHO、狸吉邸など適宜選択し、その場合もできるだけ狸吉さんのご負担を軽減する形で使わせていただく(他に公共施設なども選択肢に)
 ・紹介する本、エッセイは、特定宗教、偏向思想、誹謗・中傷など以外は、分野、内容について基本的に制限を設けないが、投稿文の分量は1回あたり約2,000字以内とする。それを超える長文は、2回以上の連載も可。
 ・引き続き「書感」という言葉を使い、エッセイは今後新しい名称を付ける。
 ・書感、エッセイは、:各自が当会のメーリングリストに添付ファイルとして投稿し、それをベースに会で披露、解説する。終了後、記録者(本屋学問)が段落や句読点、変換誤字などを編集して一括して狸吉さんに渡し、それを当会ホームページに掲載する。
 ・会の記録報告、連絡は原則として本屋学問が担当、恵比寿っさん にお願いする場合も。

 今回紹介された書感は、「物理学と神」(六甲颪)、「二酸化炭素温暖化説の崩壊」(ジョンレノ・ホツマ)、「原子爆弾の誕生(上・下)」(本屋学問)、「イタリア通になれる本」(狸吉)、エッセイは「蛍の光、窓の雪」(六甲颪)、「『ほつまつたえ』と古事記・日本書紀の背景」(ジョンレノ・ホツマ)、「原発に付いて思う事」(鈴木)、「日本人と西洋音楽」(本屋学問)、「それでも原発は必要です」(恵比寿っさん )、「活字文化は『死に体』か」(山勘)、でした。各テーマの内容は近く当会ホームページに全文掲載する予定ですが、沢田さん分はご本人の希望で今回は保留とします。

 会後は、狸吉さんのご好意で奥様が手によりをかけたお洒落な酒肴、食事と、皆さん持ち寄りの美酒に存分に酔いました。恵比寿ビールで始まり、「八海山」、「天狗舞」、「三諸杉」(いずれも吟醸日本酒)、「待宵」(熊本限定焼酎)と堪能しました。狸吉さんご夫妻、六甲颪さん、致智望さん、山勘さん、ジョンレノ・ホツマさん、ご馳走様でした。宴後に上映したDVD「メトロポリス」は1926年の製作だそうですが、画面が意外に斬新で、エキストラの人数にも驚きました。

(事務局)


書感 2011年5月分
 物理学と神/池内了(集英社新書 2002年12月)  

 
この本は初版から今日まで19刷を重ねる有名な論文であるが、今改めて読んでみると色々考えさせられるところが多かった。内容の概要としては、西欧での物理学が成立したのはキリスト教の言う教えを弁護し証明するためであった。しかし物理学の理論が整ってくるうちに次第にキリスト教の教えに矛盾が出てきて、却って聖書を疑問視するような問題が出てきた。

 例えばアリストテレスの天動説までは大きな問題はなかったが、コペルニクス、ガレリイからデカルトニュートンの世代になると、地動説、万有引力の発見により、天体の運動が数式でシンプルに表現できるようになり、教会派のいう宇宙観についてはその立場はますます苦しくなってきた。

 しかし、数式だけで我々をとりまく宇宙の現象を明確に説明できるのはごく一部であって、大部分は自然の中に厳然と存在する神々を否定することは出来ない。

 著者の池内さんは、各章に分けて科学者が如何にその後のローマ教会派からの攻撃に対応してきたかを、実例を挙げて説明を加えている。それはマックスウエルの悪魔、永久機関、錬金術、あるいはアキレスと亀や、動く矢は不動である等のパラドックスの論理的解明をどうして説明するのかとの教会派からの攻勢に遭いながら、粘り強く結論を出して来た点を述べている。そして最終的には、宇宙論が科学者の考え方だけでは解決できそうにない多くの問題を抱えていることも示唆している。

この点は私も同感であるし、科学が万能ですべてを説明できても神の存在を否定することができない。其の例を1、2挙げてみると

(1)科学的手法を幾ら駆使しても、科学的手法だけでは未来を正確に予想できないよう、神々により制御されているのではないか。「君の寿命はX 年X日です」と言われたら、何もする気はしなくなるだろう。

(2)生物の中で人間だけが生存することは許されない。お互いに生物間の長所と欠点を分かち合いながら、バランスをとって生きている。突出した1種類の生存は神が許さない。

まだ実例はあるが、この書を読んで「科学がすべてで神は不要」と言う結論は絶対に出せないと確信した。

(六甲

 原子爆弾の誕生(上・下)/リチャード・ローズ著・神沼二真・渋谷泰一訳(紀伊国屋書店 1995年)

 
 本書は最初の核兵器がどのように開発され、使われたかについての、世界で最も完全な歴史書である。著者は1937年生まれのアメリカのジャーナリスト。米ソの核軍備競争が極限にあった1979年、著者は“ある種の絶望的な気分のなかで”執筆を思い立ち、それから5年に及ぶ300人以上の科学者らへの取材をはじめ膨大な文献資料に当たり、広島と長崎にも足を運んで1986年に出版した。1988年にはピュリツァー賞を受賞したが、本書に賛辞を寄せたカール・セーガン、アイザック・アシモフ、ノーベル物理学賞受賞者のユージン・ウィグナー、エミリオ・セグレなど錚錚たる科学者の名が、この本の価値をいっそう高めている。


 本書によれば、原爆の歴史を理解するには、20世紀の歴史のなかに4つの流れを追わなければならないという。

第一はヨーロッパでの原子物理学の発展史、つまり、ウランの核分裂の発見とヒトラーの台頭による中断。


 第二は、アメリカでシラード、テラーらハンガリーからの亡命物理学者の働きかけで始まり、オッペンハイマーが指揮した原爆開発プロジェクトで、史上初の核爆発実験「トリニティ」で終焉する。

第三は、ドイツ滅亡後の広島、長崎への原爆投下までの戦時下の国際政治と、アメリカ政府、軍部指導者、それに危険を感じた科学者たちの動き。第四は、2つの原爆がもたらした地獄とその後の冷戦下の夥しい数の核実験、その影響による多くの被曝者、さらに平和的利用とされた原子力発電がもたらした深刻な放射能汚染。もちろん、本書には書かれていないが、その後のチェルノブイリ、スリーマイル島、そしてフクシマの原発事故は、まさにリアルタイムで経験している深刻な現実である。


 本書を読み進むにつけ、ヒトラーのナチスが存在しなければ、おそらく原子爆弾は完成しなかったのではないか、という思いが強い。1930年代にはすでにヨーロッパや日本の物理学者たちが、核の連鎖反応による超爆発、つまり原子爆弾の可能性について論文を発表していた。たとえば、水素の熱核反応を起こさせるのに核の連鎖反応を利用することを最初に考えたのはフェルミとテラーではなく、京都大学理学部の萩原篤太郎であると紹介しているのも興味深い。


萩原は1941年に「超爆発的U235」について講演し、核分裂と熱核融合の関連について「もしU235が大量に適当な濃度で生産されるのであれば、U235は一定量の水素への起爆剤としても使える」と水素爆弾の可能性についても述べた。日本の核物理学研究が、当時すでに世界的水準にあったことを物語るエピソードといえる。


 第二次世界大戦が始まると、ドイツは総動員体制で原子爆弾の開発に国運を賭けた。それに対してユダヤ系物理学者たちは、もしナチスが先に原子爆弾を開発したらという強い強迫観念から、アメリカを必死に説得して原子爆弾開発に着手させる。彼らに先を越された世界の結末は、想像するに余りあるものだったからである。

計画はアメリカとヨーロッパの英知を結集して1942年に始まり、3年後の1945年7月には世界最初の核兵器を完成させたわけだが、ドイツが実現できなかったサイクロトロンや分離管、ガス拡散や遠心分離によるウラン濃縮技術を手中にしたことが、結果的にこの大戦を終結させたことは重要な意味を持つ。まさに不可能を可能にした、まれに見る開発プロジェクトだったのである。プロジェクトを統括したグローヴズ大佐(後に少将)はアメリカ陸軍工兵隊の建築責任者で、ニューヨーク・マンハッタンの事務所からワシントンに出勤していたため、「陸軍マンハッタン工兵管区」とコードネームで呼んだことから、一般的には「マンハッタン計画」と呼ばれている。


 著者は「日本語版に寄せて」のなかで、「先進産業国家のなかで日本だけが核武装を控えてきた。戦争で破壊されたことによって、潜在的核武装能力を有するにもかかわらず、その無意味さを誰よりも早く学んだ。本書が日本のそのような努力に貢献することを願っている」と結んでいる。原子爆弾による世界唯一の被爆国である日本が、世界の核廃絶に向けてアピールする言動の真価が問われている。

日本語版は1993年に啓学出版から刊行され、その後出版社の事情で絶版になったが、岩波書店など8出版社の共同復刊事業として、原爆投下後50年の1995年に紀伊国屋書店が再び本書を世に問うべく、この改訂新版を刊行した。そうした出版に至る経緯を見るとき、著者の力量や内容はもちろん、翻訳者、出版社、編集者、印刷所が一体となって、まさに出版事業とは何かを見事に具現したケースであり、同じ出版に携わる者として心から敬意を表したい。


 さらにいえば、上巻740ページ、下巻736ページの大部を、今後主流になるといわれる電子書籍ツールで読もうと考えたとき、どのように読書意欲を持続して読み進められるか、一度試してみたい気はする。

なお、同じ著者が「原爆から水爆へ」―東西冷戦の知られざる内幕(上・下)を書いている。別の機会にぜひ紹介したいと考えている。


(本屋学問

 二酸化炭素温暖化説の崩壊/広瀬 隆(集英社新書)


 
本書は2つのテーマからなっており、一つは如何に炭酸ガス説が捏造されてきたデータであったかが調査報告されており、内容も以前読んだものとも重複しているところもありました。
もう一つのテーマは、今、問題になった原子力発電所についての膨大な排熱のことです。
 
 原子炉で生まれた熱エネルギーの1/3は電気になるが、残りは熱となり海に捨てている。海水で水蒸気を冷却して、水に戻している。

 言いかえれば、発電量の2倍の熱量を温排水として捨てている。この温排水について、日本全国に54基の原発が4911.2万キロワットの発電量があることから、約1億キロワットの膨大な熱が海水を加熱している事実が隠されている。

 原発の温排水は海の中ですぐには拡散されず、ホットスポットという熱の塊となって浮遊する。そのため、大陸棚の生物に膨大な影響を及ぼしている。

原発の発電により、熱量換算で広島に投下された原爆100個分の熱量が毎日発生しているのと同じだと著者は警告している。

別の比較では日本中の一級河川109の全ての量の水を3.1℃上昇させる熱量にも匹敵するとも。改めて、事の重要性を知りました。

原子力発電を推進し正当化するために、二酸化炭素温暖化説を打ち出して(打ち出さざるを得なかった)本質的な問題点を隠してしまっていることが本書によりわかりました。


 著者の指摘されていることが全て事実であるかどうか、確認するすべもありませんが、指摘された問題を揉み消すのではなく、データを基にした反論や考察などマスコミも積極的に公表できる世界になればなあと思いました。

昨年発行の本書には、既に原発のメルトダウンの危険性を警告していたのには驚きです。エコのため良かれと思ってやっていることでも、実は他で破壊を生んでいる事実があることを知るべきであり、エネルギー問題を自然との共生とのなかでもっと真剣に考えるべきと思いました。

(ジョンレノ・ホツマ

イタリア通になれる本−食とライフスタイルで読む本当のイタリア

ジュゼッペ・セラヴェッア著/岡本三宣(みよし)訳 オフィスHANS 2008年

 ある国の特性を他の国の人々に理解させるのは難しい。書物で理解させるには歴史、言語、風土、芸術、文化、社会習慣、国民性など様々な角度から膨大な記述が必要となろう。そのような書物は膨大なページ数となり、大方の読者は敬遠してしまう。また、それを誰が書くかも問題だ。その国で生まれ育った人は、自国のことはすべてあまりに当然で、何をどう説明すべきか迷い、逆に外国人はとかく皮相的な理解に陥りやすいのではないか?


 本書はそのような困難を乗り越えた貴重な一冊である。著者はイタリア南部生まれのイタリア人。日本企業の工場マネージャ、研究開発部長を歴任。イタリア国内および世界各国を回り、その地の生活文化を調べた。訳者は同じ会社で研究開発のリーダーを務め超極細繊維を開発した。旅行好きで地球を35周した由。二人の役割は著者と訳者となっているが、互いに密接に協力しあい実質的な共著である。目次の前の「はじめに」で、訳者がこの本が誕生した経緯を書き、それに続いて著者が「イタリアの感性」を解説している。ファッションの国のイタリア紳士が憧れる靴は、実は正統派のイギリス製であることなど、その国の住人でなければ知る機会もあるまい。また、イタリアの社長・会長クラスの人がイギリス製の靴を履いているのを訳者が確認した埋め草記事は面白い。この二人の稀有な出会いから生まれた本を我々が読めるのはまことに幸運である。


 内容はイタリアの食とライフスタイルを通じ、イタリア文化をコンパクトに分かりやすく解説している。イタリアの食文化を代表するエスプッレソ、ジェラート、パスタ、リゾット、ピッツアについて、歴史、作り方、おいしいものの見分け方、楽しみ方が語られている。リゾットをスプーンで食べてはいけない(訳者はこの禁を犯し注意された由)など、イタリアの慣習が随所に解説されている。同じピッツアでもローマでは薄くてカリカリが好まれ、ナポリでは厚くて柔らかいが好まれるなど、地域により人々のの好みが正反対となることも。


 食と同様ワインについても、歴史、特性、選び方、飲み方など、著者はたっぷりとその薀蓄を傾ける。それでいながら、「最良のイタリアワインは?と聞かれても答えはない。おいしいと感じたワインが最良です」と述べているのは心憎い。初心者のために食事と合うワインの選び方、グラスの種類、供し方、飲み方の解説もあり、大いに勉強になった。


 イタリアの国土は南北に長く、寒冷な北部はスイス・オーストリアとアルプス文化圏を構成する。それに引き換え南部はアフリカのチュニスと同緯度にあり、気候風土・気質・ライフスタイルは北部と非常に異なる。北部のレストランは夕方7時半頃から混み始め、10時頃に最後の客が入る。それに引き換え南部では9時半頃から混み始め、真夜中を過ぎても入れる。パスタの包装も北部では中身が見えないダンボール箱を、南部では一部に透明な窓を設けたダンボール箱を、同じメーカが別々に用意しているとのこと。つまるところ個性主義がイタリア文化の特質であろうか。個性的な集団が互いに折り合いをつけて一つの国家を形成していることが面白い。


 B5判164ページのコンパクトな本で、イタリア文化が一応分かったような気分にさせてもらったのは有難い。


(狸吉)


エッセイ 2011年5月分

原発について思うこと

 

鋭い切り口の論客として知られる大前研一氏は、原子力工学の出身でこの分野に詳しい。その氏が、雑誌「プレジデント」に記載している意見が気になる。

 

東京電力の非主体的態度に付いて

「東京電力に対する非難はもっともであるが、電力会社は国から背中を押されて国策でやっていたわけだからいまさら驚くには当たらないとの事。」そうだったのかと思うと、東京電力の態度も何となく納得が行くのであるが、だとすればそのような矛盾を抱えて今日まで運営して来た、東京電力のその行動は何なんだと言いたい。

結局、東京電力と言う会社は、事なかれ主義の優等生の集まり、無責任集団であってと言う事か。それでは、嘗ての長銀や興銀などの国策会社の破綻とおなじではないか、無責任な優等生の集まりである国策企業に対して、今もって反省が無いとすれば、この国の将来は暗いと思わざるを得ない。


(致智望


蛍の光、窓の雪
 

2011年3月11日午後2時46分頃、M9.0という最大級の地震が東北地方三陸沖で起こった。そして最大級の津波が岩手、宮城、福島の3県の海岸を襲った。これでも大変な天災であるのに加えて、福島県の太平洋海岸に設置されていた原子力発電装置3基が破壊され送電できなくなっただけでなく、その冷却水が放射能を持ったまま外部に流出し始めたのである。

この原子力発電装置は東京電力が設置したもので、その出力は主として関東地区に送られていたが、それが破損したので当然のことながら十分な電力が供給できず、急きょ関東地区で地域別の緊急停電が実施されることになった。


 私の住まいは武蔵境にあり、3月16日の午後6時30分から2時間の停電を経験させられた。私自身は戦中から戦後にかけて何度も停電を経験しているが、今回の停電は2時間ではあったが、真の暗闇とは何にも見えないことを思い知らされた。部屋の内外も全く見えないので懐中電灯を取り出すことに一苦労した。

ついでラジオもテレビも作動しないので、外部情報は遮断されると不安感が起き、これが長く続くとトイレも風呂にも入れそうになくなるような暗い気持ちになり、また暖房も利かなくなってくるので寝るより仕方がないと思った。

ここで、明治時代以前の人々は薄暗い夜をどう過ごしたのかに思いを巡らしてみたい。この時代の人々は、現代と違って夜の景色にも関心があったと思われる。まず夜空に輝く月の存在は、多くの詩歌に読まれているように関心が高く、太陰暦が作られただけでなく、その満ち欠けには細かく名称が付けられ、日々の生活と密接な関係のあったことを窺わせる。

また、夜空に輝く星についてはどうであろうか。現代人特に都会に住んでいる人は星を見ることすら難しくなっており、昔から親しまれていた「北斗七星」「スバル」がどこにあるかすら分からなくなっている。


 タングステン電球、蛍光灯から最近のLED電球と照明電球の進歩は著しく、今日では夜昼の区別なく本を読み、文書を作ることが出来るような十分の明るさで仕事をしている。しかし、かの有名な「蛍の光、窓の雪」とうたわれた古代中国の人は、こんなわずかな光の下で苦労し読書や作文をしたといわれる。


 まず「蛍の光」とは蛍20匹でローソク1本分(1キャンドル)の明るさというから、現代人では到底自由に読み書きはできないであろう。また「窓の雪」では雪自体は発光機能はないが反射率が良いので、満月の夜であれば十分読み書きはできたと思われる。

私自身の経験では、高校生時代寮生活を1年経験したが、夜10時には消灯となるのでローソクをつけて宿題を片付けたことがあったが、あくる日友達に「イッヒ ローベン」とドイツ語風に語ったことを思い出した。

(六甲颪

日本人と西洋音楽

最近、「仰げば尊し」の原曲が、1871年にアメリカで出版された楽譜集のなかの“Song for the close of school”(卒業の歌)であることを日本の英語学者が発見したという記事が新聞に載っていた。メロディもフェルマータの位置も同じなので、その曲がオリジナルであることに間違いはないようだ。よくぞ調べたものだと感心するが、長く学校唱歌の大きな謎といわれてきた疑問がこれで一つ解消した。

同じように卒業式では定番の「蛍の光」は、スコットランド民謡であることがよく知られている。こちらは明治初期にあった工部大学校(東京大学工学部の前身)の卒業式で、当時イギリスから招いたスコットランド出身の教師たちが、遠い故郷の古歌を日本の教え子の鼻向けに歌ったのが最初という説がある。


 原曲は “Auld Lang Syne”(久しき昔)、18世紀のスコットランドの国民的詩人、ロバート・バーンズが母国語の詩を付けて世界的に有名になった歌だ。ちなみに、ベートーヴェンがヨーロッパ各地の民謡を集めて編曲したうちの「12のスコットランドの歌」第11曲に、コーラス付き3重唱の同じ曲(「過ぎし日」)がある。

2曲とも1880年代に学校唱歌として採用され、文語調の歌詞とともに近代日本の音楽教育のシンボル的唱歌として定着した。戦後は最近までのある時期、師弟の関係や立身出世、国家護持といった歌詞の内容が民主主義にそぐわないという理由で敬遠されていたが、世の中が成熟社会に向かうにつれてそうした牽強付会的な解釈も薄らいで、最近は再び卒業式に最もふさわしい曲として復権している。

学校唱歌といえば、「故郷」や「朧月夜」の作曲者として著名な岡野貞一は、キリスト教の洗礼を受けて早くから教会のオルガニストを務め、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授として文部省唱歌の制定に貢献したことでも知られているが、多感な少年期から西洋音楽に接していたことは想像に難くない。また、「荒城の月」、「花」の瀧廉太郎もクリスチャンで、若くして東京音楽学校でその才能を開花させ、さらにライプチヒ音楽院でも学んでいる。ただ残念なことに、23歳で夭逝した瀧の未発表の楽譜は、結核の伝染を恐れて死後すべて焼却されたそうである。

それはともかく、最初はまったく異質の文化として西洋音楽に触れた日本人が、次第にその旋律や和音やリズムに親しみ、楽しむことができるようになったのはどうしてだろうか。よくいわれるのは、たとえばスコットランド民謡と日本民謡の音階の共通点である。「よ(四)な(七)抜き音階」といい、主音の「ド」から数えて4番目の「ファ」と7番目の「シ」を使わない5音階で主に旋律を構成するものである。日本の童歌や民謡はほとんどがこの音階だそうで、人間が練習せずに自然に発声でき、覚えやすい音の高さなのかもしれない。

古今の大作曲家も各地の民謡を集め、それを取り入れて数多くの名曲をつくった。だから、同じ響きを持つ西洋音楽に日本人が最初から親近感を抱いても不思議ではない。しかし、日本人は明治になるまで西洋音楽とまったく接点がなかったのかといえば、必ずしもそうではないようである。織田信長や豊臣秀吉、キリシタン大名は宣教師のオルガン演奏を聞いたそうだし、江戸時代初期に長崎で出版された典礼書にはラテン語の聖歌が収められていたという記録もある。


 中世音楽史研究の権威として知られる皆川達夫氏の著書「洋楽渡来考 キリシタン音楽の栄光と挫折」には、実に興味深い記述がある。氏が長崎を訪れたとき偶然に、平戸島の隣、対馬海峡に臨む生月島(いきつきじま)に江戸時代から伝わる、隠れキリシタンが歌う「オラショ」(ラテン語で「祈り」を意味するoraitioが語源といわれる)を知る。その後、楽譜に起こすなどオラショの収集、復元作業と同時にそのルーツが16世紀のラテン語由来の聖歌にあると確信した著者は、島に伝わる3つの歌オラショのうち「ぐるりよざ」の原曲を探し求める旅に出るのである。

イギリス、フランス、ポルトガル、イタリア、さらにローマのヴァチカンとヨーロッパ各地の図書館に足を運び、7年目の1982年、ようやくスペインのマドリード図書館のカードにそれらしい16世紀の聖歌集を見つけ出した。そして、司書が持ってきた目の前の本を見て、これに間違いないと直感した著者は体が震えたそうである。

さらにその震える手でページを繰り、ついに「ぐるりよざ」の原曲となった聖歌「オ・グロリオザ・ドミナ(O gloriosa Domina)」(栄光の聖母よ)、紛れもないそのマリア賛歌の楽譜にたどり着いた。しかもその歌は、現在も世界中に流布するスタンダードではなく、16世紀のスペインの一地方だけで歌われていた特殊な地域聖歌だった。それが400年前にこの地方出身の宣教師がはるか日本の離島に伝え、厳しい弾圧の下、隠れキリシタンが今日まで命を賭して歌い継いできたというのである。


 「この厳粛な事実を知った瞬間、私は言い知れぬ感動にとらえられ、思わずスペインの図書館の一室で立ちすくんでしまったのであった」と著者は書いている。日本人の遺伝子には、西洋音楽を受容する感性が確かに組み込まれている。キリスト教は衆中のものとはならなかったが、西洋音楽は見事に日本人の心に根付いたのである。

(本屋学問

「ほつまつたえ」と古事記・日本書紀の背景


私は学生時代、理屈なしに覚えなければならないという先入観の歴史が嫌いでした。よって、古事記・日本書紀の内容については良く知りません。しかし、縁があって「ほつまつたえ」に嵌まってしまいました。

この「ほつまつたえ」を後半部分から読みはじめ、やっと1/3程、読み通してきました。あと、4、5年で残りの部分も読み通せたらと思っています。先人たちの解釈を参考にしながらですから、もう少し早まれば良いなと思っています。

「ほつまつたえ」の前半部分は紀元前660年ごろ、後半部分が紀元後231年ごろ、時の右大臣によってまとめられ編纂されているものです。つまり、古事記・日本書紀より500年ほど以上昔に編纂されたものです。

この「ほつまつたえ」を読みだして、苦戦している一つに、やたら人の名前が多く、しかも、一人でいろいろな呼び方をされていることです。たとえば、一般的に「やまとたける」と称されている「やまとたけ」の場合ですと、「はなひこ」、「こうす」、「こうすみこ」、「こうすきみ」、「やまとたけ」、「やまとたけみこ」、「あつたかみ(熱田神)」、「きみ」と、幼名、実名、称え名といろいろ出てきます。

しかも、五・七調の歌のなかに合うよう省略言葉になっているときもあります。同じ人なのか、別人なのか、あるいは他の事をいっているのか迷い、別人の事を同一人物と捉えてしまうこともあります。記紀の編者も勘違いしたとしても仕方ないと思うほどです。

そんな中で、「ほつまつたえ」の記述を整理してみると、気になったのが近親婚です。「いとこ同士」の結婚が目についたからです。

例えば、「わかひと」(天照大神)の父親は「いさなぎ」です。その「いさなぎ」の弟を「くらきね」と言います。その「くらきね」に「ますひめもちこ」と「こますひめはやこ」と言う二人の娘さんがおります。この二人の娘が「わかひと」(天照大神)の「すけ妃」、「うち妃」となっています。つまり、「天照大神」と、この「二人のお妃」とは、「いとこ同士」になります。

後にこの二人のお妃は天下を動かす大騒動を起こすことになるので気になりますが、今回のテーマと離れるので後日にいたします。

さて、この「いとこ婚」ですが、儒教の教えでは「いとこ婚」を含め近親婚は野蛮人のすることと考えられています。特に、韓国では同姓同士の婚姻はしないとか、遠くからお嫁さんを迎え入れるとかしているようです。


日本を一流の国として世界に認めてもらうため、古事記・日本書紀が日本の正式な国史として、海外、特に中国に対して、ときの共通語である漢字で編纂したわけです。そのとき、実際の作業に携わった高官は、漢字文化を持った儒教の精神の持ち主であったことが容易に推測できます。朝鮮半島の内乱により日本に亡命してきた高官たちです。金達寿氏の著書に古事記は新羅の、日本書記は百済の高官が書いたとおっしゃっています。


ですから、編者の目から見て、公けの日本の国史に載せる内容に、野蛮人と思われることは外さなければならないと考えても不思議ではありません。儒教の精神を持った彼らの目から見て、「いとこ婚」の事実は隠さなければならなかったからです。不具合個所を切り抜いたため、飛び飛びになって筋道がつながらなくなり、難解なものになったことがわかります。


「ほつまつたえ」のすごいと思ったところは、自分たちに不都合なことでも、言葉をかえたり、ほんの一言だけであったりしていますが、記録として載せているところだと思いました。読み手の技量を確かめられているような気もします。


もっと極端な例では、欠史8代と言われている天皇の部分に、天皇になった弟が実際の兄の娘をお妃に迎え入れている個所があります。名前をかえているので、唯読んだだけでは読みすごしてしまいます。記紀の編者も気づいて、彼らの目には野蛮行為と映り、その関係する一連の所をまとめて抹殺せざるを得ないと判断したと私は思いました。その時の権力者の立場の判断が歴史を塗り替えているということを実感したと同時に、その原因の一つが分かった次第です。


(ジョンレノ・ホツマ

 活字文化は「死に体」か

 活字文化の弱体化が急速に進んでいる。私は、昨年暮れ、マスコミ関係者数十人の一泊旅行に参加した。大新聞の重役OB二人と相部屋になり、雑談の折りに、どこの新聞社も部数減で苦戦を強いられているという話が出た。

 そこでお二人に私の持論をぶっつけた。なにより今の新聞は紙面づくりが間違っている。新聞は読者の頭力(あたまぢから)に訴えるのが本旨だ。特に一面には政治・経済・社論を載せるべきだ。一面に社会的な事件やスポーツ記事を載せてはいけない。事件やスポーツ記事ではテレビの速報性に敵わない。それらの記事はスポーツ面や社会面に載せればいい。

 こうした紙面改革をやれば浮ついた読者は離れ、購読者は減るだろうが、固い層の読者が残る。新聞購読がステイタス・シンボルともなり、新聞の生き残りの可能性が出てくる。むかし鍋、釜を景品に購読者を増やした時代を引きずっていてはダメだ。新聞事業は大部数指向を改めて、適正規模に向かって縮小均衡を図るべきだ、というのが私の持論だ。お二人の大賛同は得られなかったが、「そうかもしれない」程度に認められた。

 そんなことがあって今年1月、サッカーの何とか言う世界大会で日本が優勝した。にわかファンの私も、深夜というか夜明けの決勝戦をテレピ観戦して優勝に興奮した。翌朝の大新聞一面に大活字でサッカー記事が載った。しかし、いずれも締切の時間切れで「延長戦に突入」段階までの報道が精一杯。優勝の「ゆ」の字も報道できなかった。テレビの勝ちである。全く同じ内容の記事を日経新聞はスポーツ面に収めていた。矜持のある対応だ。

若者を中心に新聞を読まなくなったと言われて久しい。大学出の若者でも新聞ニュースはネットで読めるとうそぶいて新聞を購読しないことを恥ずかしいなどと思わなくなっている。古くはテレビに食われ、新しくはインターネットに食われ、このままでは新聞の起死回生は困難になってくる。書籍などの活字媒体も電子書籍に食われ始めている。

 小池龍之介という和尚はネットにも強そうだが、「情報ツールと距離を置かないと、人は現実の身体感覚を忘れ、言語だけであれこれ考える“脳内生活”になってしまう」と警鐘を鳴らす(日経12.20)。「ツイッター」でムダな“つぷやき”が世に溢れるのも間題だ。 「中野孝次の論語」で中野先生は「君子は言(げん)に訥(とつ)にして、行(こう)に敏(びん)ならんと欲す」という孔子の教えを、「君子たる者は、物言いにおいてはむしろ口べたで、行動実践においてこそ敏捷でありたいものだ」と訳して教える。その上で孔子が現代を見て、テレビに登場する頭の動きのすばやい、物言いの早く、言葉数の多いタレントなる連中を見たら、なんといっただろう」と慨嘆している. 大脳より視覚に強く訴えて、ものを考えさせずに見せてしまうテレビ文化(文化といえるかどうか)の対極にあるのが活字文化だ。止(とど)まって思考することが活字文化の神髄だ。読める力のある者しか読まない新聞、読む力を育てる新聞が、字も読めない子供にも残虐な事件報道を繰り返して見せるテレビと競い合ってはならない。

 いま、伝統文化とか言われる大相撲は八百長問題で土俵割れ寸前の「死に体」だが、活字文化が「死に体」であってはなるまい。


(山勘)