第8回「ノホホンの会」報告 

2012年1月17日(火)午後3時〜午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室)
参加者:狸吉、致智望、山勘、ジョンレノ・ホツマ、恵比寿っさん、本屋学問

今年最初の例会は、六甲颪さんが止むを得ない事情で欠席された以外は、皆さん、新たな気持ちで顔を揃えました。EUの経済危機、日本が国際経済の正念場を迎えるTPP、消費増税問題、社会保障制度改革、年金、医療問題と、混迷する時局をどう立て直せるか、会の冒頭から熱いディスカッションで盛り上がりました。とくに医療、年金のことは共通した身近なテーマで、とくに力の入った議論になりました。保険料を払わない人の年金はどうする、生活保護費の問題、選挙権と投票率を上げるにはどうするか、いずれも簡単には結論の出ない重いテーマばかりですが、政治家や役人よりずっと賢い日本国民の英知を結集して、なんとか乗り切ってもらいたいと願っています。そして、もうこのへんで役人が税金を使い放題にするしくみだけはなくしたいものです。

会の後は、忘年会と同じ「花」で、燗酒と刺身、オデンで賑やかに新年会となりました。2合徳利を何本頼んだか忘れるほどに大盛り上がりで、心地良く酔って誘われる“その世”は本当にいいものですね。またの機会を楽しみに。

 今月の「書感」「ネットエッセイ」は下記のようです。内容の詳細は、それぞれの該当作品をご覧ください。次回も、活発な投稿を期待しています。

(事務局)

書感 2012年1月分

老いの才覚/曽野綾子(ベスト新書 本体762円)

著者は1931年生まれ。聖心女子大学英文科卒業 79年ローマ法王庁よりヴァチカン有功十字勲章受章。93年恩賜賞・日本芸術院賞受賞95〜05年日本財団会長。日本文芸家協会理事。日本郵政且ミ外取締役。著書多数。

カバーより

 超高齢化社会を迎えているが、年を重ねても自立した老人になる方法を知らない人間が増えている。マスコミでは子育ての仕方が分からない夫婦、引きこもりの子供、フリーターなどをニュースで騒ぎ立てるが、実は、年の取り方を知らない我儘な老人が増えていることこそが大問題である。日本の将来に対しても、自立した老人になるために、老いの才覚=老いる力を持つことが重要なのである。


その老いる力とは、

   ①「自立」と「自律」の力 ②死ぬまで働く力 ③夫婦・子供と付き合う力 ④お金に困らない力 ⑤孤独と付き合い、人生を面白がる力 ⑥老い、病気、死と慣れ親しむ力 ⑦神様の視点を持つ力

第1章 なぜ老人は才覚を失ってしまったか

・高齢であることは資格でも功績でもない ・老化度を測る目安は「くれない指数」 ・昔の老人には老いる「才覚」があった ・基本的な苦悩が無くなった時代が、老いる力を弱くした ・戦後の教育思想が貧困な精神を作った ・老人の使う言葉が極度に貧困になった ・外国の人の言葉は実にしゃれている


第2章 老いの基本は「自立」と「自律」

・他人に依存しないで自分の才覚で生きる ・その時々、その人なりの出来ることをやればいい ・自分の能力が衰えてきたら生活を縮めることを考える ・人に何かをやって貰うときは、対価を払う ・高齢者に与えられた権利は、放棄した方が良い ・いくつになっても「精神のおしゃれ」が大切 ・自立を可能にするのは、自律の精神 ・健康を保つ2つの鍵は食べ過ぎない、夜遊びしない ・性悪説に立てば、人と付き合っても感動することばかり


第3章 人間は死ぬまで働かなければいけない

・ひと昔前まで、人は死ぬまで働くのが当たり前だった ・老人になったら、若い人の出る幕を作ってあげるべき ・老人が健康に暮らす秘訣は、目的・目標を持つべき ・「何をして貰うか」ではなく、「何が出来るか」を考える ・料理、掃除、選択 ・日常生活の営みを人任せにしない ・受けるより、与える側に立つと幸せになる


第4章 晩年になったら夫婦や親子との付き合い方も変える

・「折衷」を許しあえる夫婦になる ・親しき仲にも礼儀あり ・親子においても「リターン・バンケット」の思想が必要 ・身近な人に感謝する ・子供の世話になることを期待しない


第5章 一文無しになってもお金に困らない生き方

・お金で得をしたと思わない ・分相応、身の丈に合った生活をする ・必要なお金がないなら旅行も観劇もきっぱり諦める ・義理を欠く ・冠婚葬祭から引退する ・冠婚葬祭は「うち流」を通せばよい ・備えあっても憂いあり ・一文無しになったら野垂れ死にを覚悟する


第6章 孤独と付き合い、人生をお面白がるコツ

・老年の仕事は孤独に耐えること、その中で自分を発見すること ・一人で遊ぶ習慣をつける ・生涯の豊かさは、どれだけこの世で「会ったか」によって図られる ・どんなことにも意味を見出し、人生を面白がる ・冒険は老人の特権である ・いくつになっても話の合う人たちと食事をしたい ・異性とも遊ぶ ・いくつになっても、死の前日でも生き直しが出来る


第7章 老い、病気、死と慣れ親しむ

・他者への気配りと、忍耐力を養う 老齢になって身につける二つの力 ・75歳くらいから肉体の衰えを感じ始める ・健康を保つことを任務にする ・病気も込みで人生、という心構えを持つ ・死に慣れ親しむ ・病人になっても明るくふるまうこと、喜びを見つけること ・一人になった時の予行演習をする ・一日一日、「今日まで有り難うございました」と心の帳尻を合わせる ・跡形もなく消えるのが美しい


第8章 神様の視点を持てば、人生と世界が理解できる

・あの世があるか、ないか分からないが、分からないものはあるほうに賭ける ・神様がいると思ったことが二度ある ・嫌いな人でも嫌いなままで「理性の愛」 ・引き算の不幸ではなく、足し算の幸福を ・信仰を持つと価値判断が一方的にならない ・神の視点があってこそ、初めて人間世界の全体像を理解できる


書感:書題からして、私のような高齢者の人生訓を垂れておられるのかな、と思ったのですが、これは若い人たちにも是非読んで欲しい1冊です。苦しみさえも甘受するのが当然だと言えるほど、人生は短くて一回きりのことを思えば、やはり私たちは自分に与えられた生活を素直に生きなければならないと思う、と言う言葉が出て来ましたが、「精いっぱいに全力で生きる」という言葉が自然に出てくるほど、平易な言葉で書かれていて、一気に読了しました。

(恵比寿っさん 2012年1月3日)

オーケストラ大国アメリカ/山田真一(集英社 2011年4月 本体720円)


シカゴ交響楽団、ボストン交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団、そしてニューヨーク・フィルハーモニック。チャイコフスキー、ドヴォルザーク、マーラーといった偉大な作曲家が指揮台に立ち、トスカニーニやワルターなどの名指揮者が数々の歴史的演奏を残した、アメリカを代表する世界的オーケストラだ。

本書は、指揮者や演奏家へのインタビューも多く、クラシック音楽事情に詳しい著者が、なぜアメリカでオーケストラが音楽文化の担い手になったか、ドイツ人音楽家の功績、スター指揮者と録音技術の発展、さらにはクラシックビジネスとオーケストラ経営戦略など、アメリカのオーケストラの歴史と発展を独自の視点から解説したユニークな本である。

クラシック音楽の起源が16世紀まで遡れるため、オーケストラも同じくらいの歴史があると思われているが、設立年代は意外にも19世紀以降がほとんどという。そして、その形成過程でアメリカが果たした役割は、本家のヨーロッパを凌ぐほどだったこともあまり知られていない。その意味で、帯にある「アメリカのオケを知らずして、クラシック音楽は語れない」というコピーは一面の真理を物語っている。

ウィーンフィルハーモニーといえば、今も世界の頂点に君臨する名門オーケストラだが、ニューヨークフィルも同じ1842年の創設であることはアメリカ人の誇りでもある。1815年にボストンにヘンデル・ハイドン協会、1824年にニューオリンズ交響楽団協会、1838年にセントルイス・フィルハーモニック協会が設立されて、当時のアメリカ人は各地の劇場に足を運び、歌劇や舞台を楽しんでいた。その一方、ベートーヴェンやベルリオーズなどはまだ現役で、その音楽形式の斬新さから聴衆には馴染みの薄い音楽だったそうだ。

そこで、1891年、楽団員を年間雇用して、フルシーズン交響曲などを演奏するコンサート専門オーケストラとしてシカゴ交響楽団が設立される。団員の公募、音楽監督の設置、オーケストラ協会による経営など、ヨーロッパにも存在しなかったその後のオーケストラ運営の基礎を築いたという点で画期的だった。しかも、演奏家主導ではなく音楽を聴きたいという市民による組織づくりは、それまでの常識を覆す発想だったと著者はいう。

次々と誕生したオーケストラに、ナチスの迫害を逃がれたユダヤ系音楽家なども含め、ヨーロッパやロシアから続々と指揮者や演奏家が集まってきた。こうしてアメリカのオーケストラは短期間で本場を凌ぐ充実ぶりを見せ、とくに戦後は新しい録音技術が世界の音楽市場をリードしたこともあって、地域社会との深い結び付き、篤志家の寄付、聴衆のたゆまない支援という、オーケストラ経営の新しいビジネスモデルをつくり上げた。

ストコフスキー、ライナー、セル、ショルティ、ロジンスキー、ミュンシュ、ジュリーニ、マゼール、メータ、そして小澤…、スターン、ホロヴィッツ、ルヴィンシュタイン、カラス…。アメリカの楽壇は実に数多くの指揮者や演奏家に活動の場を提供し、クラシック音楽の普及と発展に大きな貢献を果たした。多彩なヨーロッパ系指揮者のなかで、アメリカ生まれのバーンスタインが一躍スターになったことはよく知られている。

一方、20世紀を代表する指揮者の1人、フルトヴェングラーが、実はニューヨークフィル、シカゴ交響楽団に迎えられる話があったことは本書で初めて知った。しかし、ドイツが彼を手放さなかったことや、長くコンサート・マネジャーとしてアメリカの音楽界に君臨した人物の画策などで幻に終わる。もしこれが実現していたら、世界の音楽地図はどう変わっただろうかと本書は書いているが、ファンにとってはまさに夢のような“もしも”である。

さて、アメリカと同様、世界のクラシック音楽市場の重要な一角を占める日本は、武満徹、小澤征爾、小林研一郎、内田光子、今井信子、工藤重典、サイトウ・キネン・オーケストラ、最近では辻井伸行など、アメリカ以上に世界的な音楽家を数多く輩出している。本書を読みながら、これだけの優れた音楽環境を持つアメリカで、なぜ最近は世界的な指揮者や演奏家が出てこないのか、不思議な感じがする。

(本屋学問 2012年1月11日)

新版・今昔メタリカ 金属技術の歴史と科学/松山晋作(オフィスHANS 2011年12月発行 本体2,000円)

本書を一読しての感想は、金属を取り巻く広範囲な科学事典そのものであるということ、そして、物語風になっているので一気に読み通せそうと思ったが、間を空けて何度かに分けないと、なかなか私の頭がついて行かず、またしばらくして、思い出したときに目を通して見たいと思った一冊です。

今まで、自分の知識として曖昧であったことや、言葉としては聞いたこともあり漠然とは知っていたつもりであっても、人に聞かれたら答えられないようなことも、実に分かり易く解説されています。しかも、簡潔に的確にまとめられているため、内容を本当に知りつくしていないと、ここまで平易に噛み砕いて表現できないと著者に脱帽しました。

私は現役時代、油圧機械の品質管理を担当していた頃、本書があれば、もう少し掘り下げたクレーム報告書が書けていたなと懐かしく思い出しました。

個々の項目内容より特記したいと思ったのは、

1. 金属の性(さが)を知る

 現代の錬金術の項で、放射能に関連して「ベクレル」や「シーベルト」という単位についても触れられており、核技術についても歴史的流れも要約されており、ある程度の知識を持ち合わせていないと難しいので、改めて読み直したい。

 奈良の大仏の表面に金のアマルガムを塗り付け、水銀を蒸発させた具体的な技術的、歴史的観点からも捉えています。

水素脆性(ぜいせい)という、水素が鉄を脆くすることも触れており、小生もこの水素脆性での不具合を経験しており、今は懐かしく思いました。

2. 鐡は王様

 和鉄の源流をたずねての項では、稲の道、鉄の道とまさに歴史の教科書のようで楽しく読めました。更に「たたら」に挑戦され、古人の技術の高さに脱帽したとありますが、私は著者がご自分で「たたら」を実際に試されたという意気込みに脱帽しました。

鋼の発達小史から愉快だと思ったのは、「鉄−炭素状態図」のイラストです。学生時代こういうイラストが教科書にあったら、講座名は忘れましたがもっと好きになっていたかもしれないと今にして思います。

3. 軽い金属 希少な金属

 今流行りの、リチウム、チタン、マグネシウムなど、系統だって解説されており、なぜその金属が使われているか、今まで漠然としていたものがはっきりしました。

4. 強さと弱さ

金属の強さについては

亀裂の科学と破壊事故など幾つか事例が記載されていますが、遠い昔のことのように懐かしく思い出しました。

5. かたちを創り使う

この項も豊富な挿絵で分かり易く纏められています。しかも素晴らしいイラストは著者の余技とあります。

(ジョンレノ・ホツマ 2012年1月4日)

サロメの乳母の話/塩野七生(新潮社 本体400円)


 本書は、12編からなる短編私小説であり、その中の1編である「サロメの乳母の話」を本書の書名としたものであります。

サロメの題材は、サディスティクなところが有って、非日常的と考えられるためか、色々な作品に取り上げられていて、作者によって内容や意味するところが大きく異なり、創り話として有名であり、面白くもあります。

本書は、塩野七生がサロメの乳母の立場から、サロメをお姫さまと言って、サロメの立場から弁護する口調で物語がはじまります。私の場合は、リヒアルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」にてこの作品に触れる事が多く、サロメ像は専らここからのイメージと言って良いくらいです。塩野七生のこの書を読むと、サロメの父、ヘロディアデはローマ帝国の一地方都市の統治者で、帝国の官吏に頭が上がらない立場であったとの事とサロメが後妻の連れ子であった事が、話を面白く作り上げる要素であったようです。

その他の題材として、カエサル(シーザー)を暗殺したブルータスに付いての弁護と言う彼の立場を主張する側として、「師から見たブルータス」と言う小説であります。ここで言う師は、若いブルータスに対し、カエサルと同年代の人物です。当時の新興国ローマは文化、教育、思想などあらゆる点でギリシャに学ぶ立場でありましたから、定評ある先生も殆どがギリシャ人であったと言うことです。この師なる人物もギリシャ人であり、ローマ社会の中のギリシャ人、実力で見下げられたギリシャ人が描く物語であります。そして、「私」と言う立場で語っていますから当然私的主観を伴うわけで、作者の思いも当然ここにあるわけです。

ブルータスは、カエサルの遠い親戚筋に当たり。頭脳明晰でカエサルの信認を得ていた人物でありました、そのブルータスがカエサル暗殺の首謀者だったわけです。後世に「ブルータスおまえもか」と言う言葉を残してカエサルが死んで逝ったのは有名であります。そのブルータスの側に立っての物語ですから、歴史の裏側を知る機会でもあるのですが、塩野七生の私小説ですから、その点を割り引きつつ読んでみる必要はあります、とは言え、大変面白い歴史小説であります。

(致智望 2012年1月3日)


エッセイ 2012年1月分
 時事問題2点

賛成反対で賑やかなTPPについて

賛成派は鉱工業関係者、反対派は農業関係者、それと次期総選挙で名の売れていない落選候補と言う構図が面白い。賛成派が国を思う正義の人、反対派は心狭き人と色分け出来そうな雰囲気であったが、本当は如何なのか興味が湧くと言うものである。そこで、色々な観点から識者の意見を調べて見ると、全く違う側面も浮かび出てくる。

アメリカの次期大統領選挙でオバマは危ないと言う、そこでTPPを持ち出しこれに合意すれば100万人の雇用が創出される事を大統領選挙でアッピールすると言うものである。しかし、アメリカ側の交渉窓口が米通商代表部と言うマイナーなお役所で、過去にもまともな成果を挙げたことのない最弱の組織なのだそうだ。

そもそも、米国の農業も怪しいもので、オーストラリアの農業には太刀打ちできないし、まだまだ米国にも問題山積で、100万人の雇用と言うのも根拠は極めて薄弱と言うから、大統領選挙が終われば結果がどうあれ、TPPは忘れ去られると言う、だとすれば、TPPなど如何でも良い話であるが、我が日本国では政治家のお里が知れる大事件となり、何が正しいのか、政治家、マスコミ、の方々、国益だと大上段に構えての論争、もっと大人の論議が欲しかった。


②消費税

私も組織を運営する側の立場として常々思うことだが、組織は黙っていると大きく複雑になる傾向がある。役人は自分で稼ぐと言うことをしないから、益々大きくなるのだと、嘗て堺屋太一が云っていた。

税収が増えれば益々役人が増えるのでは無いか、税収不足、税の公平な負担、等々は理解出来る。しかし、増税を行えば「人」「物」「カネ」の動きは鈍くなって、経済が萎縮すると言う弊害もある。

国民全ての収入の10%の税が確保されれば予算は賄えると言うから、増税反対の意見も理解出来るのであるが、反対意見の中には、どうしても割り切れないものを感じる。国を思うので有れば、反対意見も責任のある内容を以って、事を複雑にしない様に発言すべきである。これも、知名度の無い候補者の業かも知れない。

歳出低減と公平な徴税を行う事は出来ないのか。後期高齢者の保険料など見ていると、本当にこの保険料を正確に徴収出来るのかと考えしまう。始めから「正直者から取れ、とか取れる処から取れ」、と云ったような政策が見え隠れする。役人と政治家が「グル」になっての、手抜き行政であって欲しくない。

(致智望 2011年12月19日)

目に余るNHK番組の低俗化


日経新聞一面の“春秋”氏がNHKを厳しく批判した(12月14日付)。「朝の情報番組から際どいテーマの大特集だ。ある日の夕方は、若者の性交渉事情を追っていた。夜には赤裸々な描写が話題の連続ドラマである。」「なにもNHKがこう奔放にならなくてもいい。受信料で運営する公共放送なら、ほかにやることがあるだろう」「優等生がヘンに羽目をはずして加減がわからない。そんな様子も垣間見える」etc.

 まったくNHKの悪乗りは目に余るが、それは近ごろ始まったことではない。私もかねてからそれを指摘してきた。そうした一文に、5年前にネットで発表した「ちかごろテレビ不愉快論・1」がある(2005/2)。いま読み返しても古くなっていないようなので、ここに再録してみたい。

 近ごろと限ったことではないが、気になる、不愉快な、ハラが立つ、見たくない、見せたくないテレビ番組が増えている。とくにNHKの「低俗化」が進み、どこが公共放送たるところなのか聞きたいほどに民放との判別がつかなくなっている。

 近ごろのNHKには、相次ぐ不祥事を乗り越えて経営改革に取り組んでいるという緊張感が感じられない。番組の内容はまったく民放各社と変わりなく、お笑いタレントやらミュージシャンを集めた番組や、バラエティ番組が増えている。

 また歴史ものや自然ものなど、自局制作番組の再放送が増えている。「アーカイブス」や日曜日の大河ドラマの土曜日再放送ならまだいいが、作り立ての作品を日を置かず繰り返して放送するのは目に余る。カネも使わずヒトも使わず、楽をして放送時間帯を埋めているのではないか。

 ついでに言えば、以前のNHKアナウンサーは、正当な日本語を使い、安定した音程と速度で話したものだが、近頃は、民放並みに声が甲高かったり、語り口が雑で早口でうるさいアナが増えている。とりわけ女性アナにその傾向が強い。

 コマーシャルがないところが民放と違うというのでは洒落にもならない。いつのころからかNHKは、民放のコマーシャルに負けないぐらい自局番組の宣伝をやるようになった。こちらも再放送同様に時間つぶしのきらいがあり、目に余るものがある。私も口座振替で受信料を払っているが、受信料を払った上でしつこい番組宣伝を見せられるのはかなわない。

 これはNHKに限らないが、大人として親として恥ずかしいような大人社会の不祥事や、幼い子供には見せたくない悲惨な事件を一日中漫然と繰り返し放映したり、ワイドショー化して報道するのも情けない。

 せめて公共放送たるNHKは、ニュースの価値や社会的な影響を判断して、ニュースの取り上げ方や報道の仕方を考えるべきではないか。これは報道の自由だとか、知る権利だとか理屈をこねるレベルの話ではない。常識・良識の問題だ。

 かくして、NHKの悪乗りは年々度を増している。視聴者が厳しい声を上げなければ、NHKの低俗化は病膏肓に入るおそれがある。

(山勘 2011年12月27日)

人類は戦争をなくせるか

2011年12月25日付けの東京新聞1面に、“原爆投下直後 悔悟の手紙”という記事が載っている。1945年8月末、当時「ロックフェラー財団」会長で、国際連合創設期に事務次長も務めたアメリカのレイモンド・フォスディックが書いた原爆投下を非難する手紙を2011年夏、拓殖大学の日野川静枝教授が財団資料館で発見したというものだ。

この手紙は、同財団自然科学部長のウォーレン・ウィーバーがフォスディックに宛てた「原爆投下を道徳的に批判することは愚かなことで、結果的にアメリカは勝利し、多数のアメリカ人の命も、そしておそらく日本人の命も救った」という手紙への返信の形で、原爆による無差別大量殺戮を厳しく批判した内容になっている。

「ナチスドイツへの対抗上、原爆の開発は必要だったかもしれないが、実験が成功した時点でドイツはすでに降伏し、日本もほとんど反撃できる状態ではなかった。まして、原爆などつくる能力はないとわかっていた。しかし、広島と長崎に爆弾を落としたことで、あらゆる無差別殺戮兵器の使用を事実上、フリーにしてしまった。

今後、アメリカ人は決して道徳的リーダーにはなれないだろう。法の基本原理は、“公平を求める者は、いかなる手の汚れがあってもならない”からだ。私たちは、良心の呵責に苦しんでいる。何の事前警告もなしに、市民に逃げる機会も与えずに2個の原爆を落とした。日本の降伏がほとんど視野に入っていたのに、その機会を犠牲にしたのだ」

フォスディックはこのように書いて、戦争に勝つためにはどのような兵器も手段も使えるお墨付きを与えてしまった、と未来の核戦争の恐怖も予測しながら批判している。日本にもウィーバーと同じ内容の不用意な発言をした大臣がいたが、原爆投下を正当化する世論が圧倒的だった当時のアメリカで、私信とはいえこのように率直に心情を吐露し、良識溢れた高い見識を持つ人物がいたことに驚いた。

“現代は過去の後始末である”とはよくいわれる。日清戦争後の遼東半島を巡る「三国干渉」は、日露戦争の一因になった。“臥薪嘗胆”というスローガンの下、日本は軍備を拡大して膨張主義に突き進んだ。第1次世界大戦後、戦勝国フランスやポーランドは、それ以前にドイツに奪われた国境線を引き直し、フランスはルール地方やデュッセルドルフなど豊富な資源に恵まれたドイツの工業地帯を賠償として領有したため、何百万人ものドイツ人が故国を追われた。その遺恨が、ナチス台頭の遠因になったと分析する歴史家もいる。

冷戦終結後のソ連打倒の波がまずポーランドから押し寄せたのも、第2次世界大戦でナチスドイツと同じようにポーランド国民を大量虐殺しながら、戦後は口を拭ったソ連への憎悪からだといわれた。やはりソ連の圧政に苦しめられた他の東ヨーロッパ諸国も、おそらく思いは同じだったに違いない。

原因は結果を生み、その結果がまた新たな原因をつくる。“賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ”とはビスマルクの言葉だが、21世紀の今も争いから縁を切れない私たちは、歴史はもちろん、経験にも学ぶことのできない愚者以下ということになる。

大量破壊兵器があるはずだという理由でアメリカは一方的にイラクを攻撃し、多くの人々の命を奪い、指導者を殺害した。かつて、日本が中国大陸や東南アジアで行なった侵略戦争と何が違うのか。今もロシアが隣国を武力で沈黙させる手段は、旧ソ連がチェコやポーランドでやったことと同じではないのか。イスラム諸国の報復テロ報道に接するたびに、キリスト教やイスラム教の教えとはいったい何なのか、宗教について改めて考え直さざるを得ない。

日本外交の眼前に大きく立ちはだかる北方四島、尖閣諸島、竹島はじめ、各国間で紛争の原因になっている領土問題。そして、アメリカ、ロシア、中国といった今日の覇権国家とどう対峙していくのか。国際連合や国際司法裁判所がほとんど機能不全に陥っている現在、民族どうしの長い戦争の禍根を断つためにも、今こそフォスディックのような高い見識と良心を備え、崇高な使命感を持った優れた国家指導者の登場が望まれている。

(本屋学問 2012年1月1日

「絆」のウラおもて


暮れから年初にかけて「絆」という一文字が大いに注目された。周知の通り、日本漢字能力検定協会が発表した昨年一年を締めくくる漢字として一位に選ばれたのが「絆」だ。

読売新聞のコラムに『「絆」の本来の意味は』と題して、平山徹氏の署名入り記事(1月8日付)があった。

「『絆』という言葉の氾濫、何とかならないでしょうかね」という、あるNPO法人の相談役、松島如戒さんからの手紙から話しが始まる。その松島さんが言うには、我が国の戦前、戦時、敗戦後の社会は、「絆」という綱でがんじがらめに縛られ、閉塞感でいっぱいだった。敗戦からの数十年は、「絆」から解き放たれるための闘いの歴史だったという。

松島さんの歴史観についてはひとまず置くとして、「絆」の意味について、「漢字源」によれば、①ほだし。きずな。鳥の足にからめてしばるひも。また人を束縛する表現、人情などのたとえ。②しばって自由に行動できなくする―とある。「ほだし」を「広辞苑」で見ると、①馬の脚などをつなぐなわ。②足かせや手かせ。③自由を束縛するもの―と記されている。

そこで平山氏は「衝撃だった。私自身、本来の意味を知らないまま『絆を求めて』『絆の再生』といったようにこの言葉を使っていたからだ」と反省する。(中略)

コラムの結びは「何歳になっても初めて知ることはたくさんある。新しい年も、謙虚に、貪欲に、学び続けたいと考えている」となっている。この結びには私も全く同感で、平山さんという人は率直で良い人に違いない。しかし、読売新聞という大マスコミのコラムが与える影響は小さくないのではないか。これを読んだ半可通が、「『絆』の本来の意味は」とひとくさり批判的な言辞を弄する心配もある。マスコミ人たる平山氏が、簡単に松島氏の手紙に脱帽するのはいかがなものかと思う。

辞書を引くにしても、「ほだし」に比重をおいて引用しているのはどうか。広辞苑では「ほだし」だけを引いているが、その前に「きずな」を引くべきではないか。そうすれば、絆とは、①馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱。②絶つにしのびない恩愛。離れがたい実情。ほだし。とある。ここにある②の意味が「ほだし」から引いたのでは欠落してしまう。

言葉には裏表がある。思うに「絆」という言葉は、表に出して掲げたり、皆でお題目のように唱えるものではなく、精神の深みに沈潜する思いではないか。

暮れの天皇誕生日のお言葉にもあった絆の一文字は、天皇陛下の御心から出た慈悲のお言葉だ。震災後に世界の支援に対して、時の菅総理が感謝の挨拶に使った絆やNHKの紅白歌合戦で大いに喧伝した絆に鼻持ちならない思いをした人も少なくないはずだ。

言葉は言うべき人が言わなければ浅薄になる。

(山勘 2012年1月10日)

真っ先に逃げた船長

 最近驚いたニュースは、イタリアの豪華客船が操船ミスで座礁した際、乗客を置き去りにして自分が真っ先に逃げ出したこと。イタリアでも刑事罰に問われる行為だそうだが、日本ではどんなダメ船長でもこんなことはしないだろう。

 先日、久しぶりに長年なじみの居酒屋に寄り、そこの女将と3.11の話をした。女将は当日店に向かう途中だったが、大変な目に遭いながらも店に辿りつき、避難してきた大勢の客に夜明けまで酒食を提供したとのこと。

 この二つの話は日本人の特性に思いを致すきっかけになった。西欧社会でも「ノブレス・オブリージュ」の伝統があるが、これは貴族階級にのみ適用されるルールであって、件の船長を含む庶民の行動原理は“Me First”ではないか。

これに反しわが国では、「自分がなすべきことをなす」が優先すると思う。これが、身の危険をかえりみず原発の事故処理に当たる人々を生み出すのであろう。

 ただし、これがすべて責任感から生じたかは分からない。自分を含め多くの日本人は「こんなことをしたら世間がどう見るか?」が頭にあり、それが行動を規制していると感じる。

 つまり、責任感より義務感によって行動するのだ。江戸時代の武士の道徳が日本社会の底にあるともいえよう。しかし、責任感にせよ義務感にせよ、まず他を思う日本人の特性は、誇るべきものの一つと思う。

(狸吉 2012年1月17日)