第11回「ノホホンの会」報告


2012年4月25日(水)午後3時〜午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:六甲颪、狸吉、致智望、山勘、ジョンレノ・ホツマ、恵比寿っさん)



本屋学問さんは業務繁忙のため参加できませんでしたが、投稿は今回も充実した会になりました。

 知的余生のあり方、江戸時代のベンチャー的暦の革命、民度革命のすすめ、現代ギリシャの混乱やギリシャ人の発想、中国経済の現実、イギリス帝国の落日など知的刺激の多い書感の発表でした。また、生さぬ仲でも気持ちが寄りそう心の通い路がある(山勘)、とほっとするエッセイも発表されました。



(今月の書感)

「知的余生の方法」(致智望)、「天地明察」(山勘)、「民度革命のすすめ」(ジョンレノ・ホツマ)、「物語 近現代のギリシャ」(六甲颪)、「中国人がタブー視する 中国経済の真実」(恵比寿っさん)、「帝国の落日」(狸吉)



(今月のネットエッセイ)

「こころの通い路」(山勘)


 
(事務局)



書感 2012年4月分

知的余生の方法/渡辺昇一(新潮新書720円)



本書は渡辺昇一のエッセイ集である。纏め方として、第一章が年齢を重ねて学ぶことについて、第二章が健康と知恵について、と言う具合に第七章まであり、中には「時間と財産について」とか「余生を極める」と言う興味深いタイトルの章がある。そして、夫々の章ごとに2ないし5つのエッセイが記されている。

全体的に渡辺氏の読書数の多さと学問的見識の豊かさを感じさせるもので、述べられていることは、渡部節であり、右的傾向の部分が可なりあるが、それらは、全く違和感無く、「ごもっとも」、と納得させられてしまう以上に「そうだ、そうだ」と痛快に思ってしまう。

例を上げてみると、ボランティアが囃される傾向があることについて、「ボランティアには義務が無いから、気の向くままにと言うことが通る、社会のルールたる義務に縛られるのを嫌ってボランティアにはしり、義務より自由を選ぶ風潮への警鐘」とある。あるいは、その国のベストセラーの書籍からは、土地柄、その時々の国の民心を示していると言う。例えば「韓国のベストセラーは、日本人から見ると荒唐無稽の噴飯物が多く、少なくとも韓国人が日本に深い怨念を持ち、日本を軍事占領したいという欲求を持っているぐらいのことはわかる」と言っているくだりなどは、そんな事言っても良いのかと思ったりもする。

そのほか、蓄財奨励的なご意見として、本多静六式蓄財術などと言うのを持ち出している。要約すると「若いうちは生活を詰めて蓄財に勤めということである」、これは少し時代遅れ的発想で、「渡部先生チョット古いですよ」と言いたくなる。私なりの反論として、蓄財よりも自分のスキルアップに投資すべしとなる。この時代の人たちの考えを代表しているのであろう、私の母親もこんな事を始終言っていた。

兎に角、参考になった、そして面白く読み終えた。

(致智望 2012年4月3日)

天地明察/沖方丁(角川書店 1800円+税)詳細書感(A4判7ページのPdf)



 将軍様の前で“お城碁”を打てる碁打ちの安井算哲は、暦の世界では渋川春海と名乗った。時は、徳川三代将軍家光、四代家綱、五代綱吉の時代である。春海は寛文元年、若干21歳の時、幕府の「北極出地」観測事業に補佐役として参加。全国を巡って北極星の位地とその土地の緯度を計測した。

 28歳の時、幕府副将軍格の会津藩主保科正之に、改暦を命じられる。それまでの「宣明歴」は、採用されてより800年余の歳月によって冬至の日も2日遅れの誤差が生じていた。

 34歳の時、宣明歴を廃し「授時歴」への改暦を行う誓願を、朝廷と幕府に提出した。授時歴は、中国暦法の最高傑作と称されていた。改暦は朝廷と幕府の共同事業だとした。

 春海は、向こう3年間で6回ある日月食の予想について、宣明暦と授時歴に大統歴という明国の暦を入れて“三歴勝負”を試みるが、自信を持っていた授時暦が、6回目で“誤謬”を犯し、改暦の機運が消滅した。

 38歳の時。失意の日々に天啓のように閃いたのは、中国から伝えられた星の相と地の相、そのつながりを全て日本独自のものに置き換えるべきだということだ。中国で“明察”すなわち正解の授時暦も日本では“誤謬”となる。それを、北極出地以来、天元たる北極星が早くから教えてくれていたことに、ようやく春海は気づいた。そして、正しい数値と数理をもって整えた春海の暦法が成った。関孝和が「大和暦」と名付けてくれた。

 このころ、宣明暦の誤謬が広く知られて朝廷が改暦に乗り出した。ついに時の霊元天皇の勅により、陰陽頭たる土御門家が改暦事業を行うことになった。土御門家の若い当主、泰幅は、幕府を通して春海に改暦の儀への参加を要請した。

 春海45歳の時。霊元天皇は大統暦採用の詔を発布した。大和暦は敗れた。これを予測していた春海は新たな手を打った。京の梅小路に、子午線儀や大象限儀など、巨大な天測器具を組み立て、「北極出地の予測」を行った。春海と土御門泰福が、それぞれ算盤で緯度を算出し、星の出を待って天測を行い、「三十四度九十八分六十七秒」などと“明察”を示す。

 連日観測が行なわれ、北極出地だけでなく、恒星を片っ端から観測し、春海と泰福の予測勝負が行なわれた。刀を差した春海と陰陽師の出で立ちの泰福の“勝負”が衆目を集め、江戸が勝つか京都が勝つかと銭が賭けられ、専門家の議論も沸き、“大和暦”の評判が高まった。

 世論の形成に続いて、幕府より土御門家に全国の陰陽師を束ねる朱印状が下され、天皇側近の関白に働きかけ、暦販売網を掌握するなど、春海の“策略”による、とてつもない数々の手が打たれて、ついに大統暦支持派を壊滅状態に追い込む。貞享元年10月。霊元天皇は、大和暦改暦の詔を発布した。3月に大統暦改暦を発布してから僅か7ヵ月だった。大和暦は改めて年号を冠し、「貞享暦」の勅名を賜った。

 本書は、しなやかに強く生きた男と時代を、文献を踏まえながら活写した前代未聞のエンタテイメントである。2010年の「本屋大賞」を受賞した。


(山勘 2012年4月19日)

 

 

物語近現代ギリシャの歴史/村田奈々子(中公新書)



 ギリシャといえばギリシャ神話、ギリシャ彫刻等崇高な物語や芸術を思い起こすが、現代のヨーロッパにおける一国家としてのギリシャはむしろ厄介者扱いにされ、ユーロ通貨の安定を脅かす要因となっている。その原因は、ギリシャの近現代の歴史とその国民性を知ることにより理解できたので、其の概要を記してみたい。

1 ギリシャ神話時代の遺品の返還問題

 ギリシャ地域はもとも一つの都市国家を形成したままであったが、国の形になったのはオスマン帝国の支配下から独立できた1850年ころであった。しかし、意識としては神話時代の高い誇りを受け継ぐものとして、パルテノン宮殿の周辺にあった遺物(例えばエルギーマーブル)がほとんど英国に持ち去られたのを、返還さるべきとまず大英博物館と交渉した。しかし、交渉は貸し出しにも成功しなかったが、イギリスの詩人バイロンはギリシャを近代国家として独立させようとして援助し、やっと1821年独立できたが初期の大統領の不手際で不安定な立ち上がりとなった。

2 ギリシャの国語の混乱

 ギリシャには話し言葉と文書用言葉があったが、1900年始めころ、福音書を本としてまとめた時、其の書式形態が話し言葉で書かれたのが問題となりデモが起きたり、正教キリストへの冒涜と非難したりで大きな争いとなった。それに加えて古代悲劇の口語訳も問題となり、貴族と大衆、の対立まで発展した。

3 20世紀以降のギリシャの混乱

 ギリシャ近傍のバルカン半島では、民族問題、宗教問題、思想問題等で混乱が続き、1900年ころにはギリシャもクレタ島の所属問題からオスマン帝国から攻撃を受けて大敗し、その後クーデターで国家は分裂状態になった。その後、第2次世界大戦がおき、ナチ軍のバルカン襲撃につれてドイツに占領された。更に共産思想が持ち込まれ、ますます激しい混乱が起きたが、アメリカのトルーマンの援助により何とか国家の形を保つことが出来た。

4 ギリシャ人の発想

このような苦難に満ちた歴史を経験してきたが、ギリシャ人は根底に誇り高いギリシャ文明の後継者であるという自負があって、自尊心は高いのはいいが自国の自立心に乏しく、自国の経営と経済には関心が薄いため、多くの周辺国に迷惑をかけている。


(六甲颪 2012年4月21日)

書感 民度革命のすすめ 紺野大介著 東邦出版 2011/11発行  


知り合いの方から、本書と著者のことを知りました。初めのうちは、やたら難しい漢字が多く、読み通すのを躊躇しましたが、途中からは吸い込まれるようになり、あっという間に読み切ってしまいました。

一通り、読み切ってからの感想は、とにかく「すごい!」、著者の桁はずれな見識に、読書シンドロームと言うんでしょうか、水泳の後のスイミングシンドロームのように、しばし心地良い疲労感と共に充実感に浸りました。



著者は創業支援推進機構(略称ETT)という公益的シンクタンクを創設され、本書は、月刊誌「選択」に「あるコスモポリタンの憂国」と題して連載されたものをまとめたものだそうです。

以下が目次内容です。



第1章 幕末の日本人を想う

日本人の民度革命・「已むに已まれぬ大和魂」の英訳・春獄公ご嫡孫・松平永芳氏の尽忠・

熱海多賀小学校の光風とシグマ線図・ロンドン大学のサムライ講義・

幕末期の米国留学と今・英国大使館における武士道・騎士道講義 

第2章 世界各国の底力

デンマークの民度の息遣い・ベトナム、ある若者達の眩しさ・マイスターへの敬意と理科教育・

ドバイの光と影、地域の発展性・ケンブリッジの当たり前の次元・ユダヤ人と起業と頭脳競争・

南アフリカの先端と順応・ミュンヘン市庁舎市議会堂の大壁画・インド人のまなざしと“ミストレス”

第3章 底知れない中国を識る

日本村、大字日本、字日本・精華大学の深い森の小径にて・北京のニューイヤーコンサート・

何処で差がつく日中の産学連携・タクラマカン砂漠の奥で・北京大学から歴史と人物を考える

第4章 フランスの知能発電所

エコール・ポリテクニクの君子不器・新貴族選出法の震撼と数学認識・ENAに見る指導者の姿と形・

エリゼ宮で大統領顧問との対話から・深海艇ノーチルに試乗して

第5章 アメリカの戦略的文化力

ノーベル賞以上の人・ハーバードのIQとEQ・名門コーネルの景観・

シリコンバレー的野生との対比の中で・日米に見る健康食品の政策的誘導・

シンクタンクの質と量と民間力

第6章 音楽からのエートス

アンカレッジ空港の回廊にて・パリのカラヤンと或る感動・フィンランドと或る音楽的邂逅・

北京のコンサート・マナー・ワーグナーの楽劇とひとつの現代

第7章 ニッポンの長短を海外から診る

北海油田で聴いた大地の歌・歴史都市ブタペストにて・日本と技術イノベーション・

シアノバクテリア農法改革・シティを語る会を語る・日中科学技術交流協会と学者の条件・

囲碁と名人と人柄と・水素にまつわるビジネスと夢・「東工大・精華大堂々プログラム」の先・

ソ連ノーベル賞物理学者との閑談・科学・技術・工学の相違と研究開発・

遊びと仕事、哲学する時間と空間

○著者は幕末の橋本左内、若干15歳時の著作「啓発録」を英訳製本し、世界の主だった方々に寄贈されたそうです。

その橋本左内「啓発録」には、人格のあるべき姿として「稚心を去る」「気を振う」「志を立てる」「学に勉とむ」「交友を択ぶ」、人格のあるべき姿、成績で人間が決まるのではなく人格で人間が決まる。人格の解釈は様々。

「人間としてのぶ厚さ、深さ、弾力さ、品性など」を人格の高さ、大きさ(Character) と言い、哲学書、心理学書では、人格の4要素として 「天性」(Nature)「知性」(Intelligence)「技能」(Skill)「習性」(Habit)とされている。


○著者が会ってきた外国人は大半が「日本を知らない」か「知っていても尊敬しない」

これは、著者も海外で何度か恥をかいた経験から日本の歴史を学ぶ必要性を感じたとあり、私も現役の頃、海外に出張した時、自分が日本のことを知らなかったか痛感した記憶があります。日本人も日本の事を知っていないに通じると思いました。



○日本は限りなく軽い存在、大国に対して萎縮し、一方で絶対精神が弛緩した状態ではないかと−思われる。つまり個々人の“民度”が限りなく下落した結果に違いない。

例えとして、米国の作った学校の砂場に日本城がそびえ立っている。この城にいくら上乗せしても尊敬されない。日本城を一度破壊し、砂を深く取り払えば日本の大地が出てくるはずである。

安っぽい国益を排除し、その大地に再び自分達の血と汗で日本城を建て直し、その環境で力強く働く大人たちの背中を子供たちに見せるべきである。物理的な破壊は無論必要なく“民度革命”が必要なのである。



○日本と技術とイノベーション

我が国は国家として政治戦略がなく、海外客人がくれば殆ど政府へカネの無心、と言った風景に見える。また我々の貢いだ税金を多額献上しつつも、日本人が国連事務総長やIMF専務理事になったという話も聞かず、弁駁能力の欠如とでもいうべきか、国際社会で限りなく軽い存在となっている。

しかし、行雲流水の如く日本の民間力によるイノベーションを分析すると、トルストイの名作『イワンの馬鹿』にみる“大愚のような”日本人の天性の純朴愚直さ、不撓不屈さが、結局は我国の政治的貧困の事情などに無関係に実質的に世界をリードし、ここにこそ国威を掲揚でき平和と尊敬を勝ち取ることになるのかもしれない。



内容豊富なため、これ以上書感にまとめるのは無理と、キーワードのみ列記してみました。



○賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ

○真面目さ「生まじめ」「非まじめ」「不まじめ」、戦争は「生まじめ」と「不まじめ」がぶつかり合うから。

○デンマーク:物事を地球規模で考え、地域で行動 風力発電の例

一方日本:自分のことしか考えない→民度が低下した

○人生には「上がり坂」「下り坂」「まさかの坂」がある

○議員の報酬が2倍になるとその政治家の道徳は1/2になる

○言行一致の美名を得るには、先ず自己弁護に長じなければならぬ・・・・

○「何をしたか?」というより「どんな生き方をしたか?」に価値や関心を持つようになり、・・・

○“健康であることはむしろ欠点である・・・・”

○この世には「命より大切なものがある」とし戦いを始め、暫く後「命ほど大切なものはない」とし戦いが終わる。

尚、民度とは辞書によると「国民や住民の生活程度、経済力や文明の進歩の程度」と出ています。 以上



(ジョンレノ・ホツマ 2012年4月20日)
 

中国人がタブーにする中国経済の真実/石平・福島香織(PHP研究所 本体1400円+税 2012年1月12日発行)

石平は1962年中国四川省生まれ、北京大学哲学部卒業。神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。07年日本国籍に帰化、08年より拓殖大学客員教授。「中国版サブプライムローンの恐怖」「中国ネット革命」「中国人の正体」「私はなぜ中国を捨てたのか」などの著書。

 福島香織は奈良県生まれ。大阪大学文学部卒業。91年産経新聞大阪本社入社。98年上海復旦大学に1年間語学留学。01年香港支局長。02年〜08年まで中国総局記者として北京に駐在。09年退社後はフリー記者として取材・執筆。著書に「潜入ルポ中国の女」「中国のマスコミ」「危ない中国点撃」。



まえがき

序章  「インフラ崩壊」が始まった

   一章  インフレを取るか、経済破たんを取るか

   二章  「二十一世紀の天安門事件」の可能性

   三章  経営者はなぜ夜逃げするのか

   四章  ネット・メディアの最前線

   五章  恐喝する中国

   終章  日中の正しい付き合い方

  あとがき



構成: この著書は石と福島の対談形式で構成されている。二人の持つ最新情報を出し切って議論しているので、中国理解の一助になるとまえがきに謳われている。



書感:

 最近中国のNET上に頻繁に現れる言葉が「仇富」。裕福な人に対する嫉妬、憎悪のことを指します。それだけ、いまの中国では貧富の差が激しくなってきていて、その傾向は留まるところを知りません。これは共産党独裁の「権貴政治」(*1)が生む必然の社会現象でしょう。これは「富めるものから富もう」(ケ小平)という改革開放政策を勝手に解釈して「賄賂を手に出来るものから賄賂を得て富もう」という社会現象です(こんなことは書いてないですが、事実です)。

 *1:権力と金持ちが結託する政治

李宗吾(1879〜1943)に「厚黒学」という「名著」があります。この人は科挙にもパスした秀才で儒学(孔子)を尊崇してそれなりの出世もしたのですが、あまりの腐敗に愛想を尽かし隠棲して皮肉って?書いたようですが、何とベストセラー。日本でも翻訳出版されたそうです。内容は(私も読んだことはないのですが)「厚かましく腹黒く生きよ」とか「歴史を動かそうとするなら厚黒(厚顔無恥)であれ」という処世学です。こういう背景があるので、現在のような腐敗に走るのが当たり前になっているのだと思います。

また、文化大革命で「中国には文化が無くなった」とも著者は語っています。これも私には理解できます。私が興味を持ったのは最終章の「日中の正しい付き合い方」です。中国に限らず外国と付き合うには憲法を改正すべきというのが石の考え。憲法を改正し、日米同盟を強化すれば、日本は十分に中国に対抗できる、という。福島も改正論に賛成。ちょっと飛躍していると思うが私も賛成なので。また、長い間曖昧にしてきたが、今は物事をもっと直視し、考えなければならない時だという。

付き合い方については、中国人と言え特別扱いにする必要はない。国際的な仕事をしている人ならそのことはわかっているはずだと指摘している。そういう人たちは、中国人が米国人と似ていることにも知っている。(まさにこの通りだと思います)

また、衝突を恐れるなとも言っている。この部分は外交上の稚拙さが露呈した(尖閣諸島漁船追突)民主党の幹部に読ませたいくらいである。そして、他でも言われることだが、日本人は日本についてあまり知らない。だから、外国から批判されると鵜呑みにしてしまう。そうではなくて、もっと日本について勉強すれば、相手に対する反論や説得も可能になる。中国人とはもっと喧嘩すべきとしているのも参考になる。

日本人は自国社会の中でも極力争いを避けてきた。同じ日本人ならそれがマナー、気遣いの一つだが外国人に日本の常識は通じない。中国人は対立を気にしない。喧嘩をしても最後は丸く収める。こういうところを日本人はひたすら避けているように見える。

本書の中で中国とどう付き合うか、ということについて日本人は大きく分けて3つの答えがあると指摘する。

古いタイプの知識人に多い日中友好派。中国の嫌がることは言わないで、中国のご機嫌をとりながら、利益・恩恵に預かろうという。

慎重派。どうせ互いに分かり合えないのだから、ある程度距離を置くという考え方。相手の嫌がることもいうべきと言いながら、深く中国にかかわると言う考え方。

私自身は、毎月訪中しているが「敢えて悪口を言う必要はないが、問題点や課題、或いは(グローバルとは言わないまでも)ビジネスの常識に関してはビシビシ指摘する」というスタンス。中国人もこちらが正しいと判断すれば、素直に合意します。(文中敬称略)



 ジョンレノ・ホツマさんの書感に「われ日本海の橋とならん」(加藤嘉一著)がありました(2011年11月)。私も読みましたが、これは北京にいる日本人が「中国には良いところも悪いところもある」という、どちらかと言うと好意的な見方の本です。私と同じスタンスです。

 かたや、石平さんは中国を捨てた中国人。悪口中心に書いています。福島さんもかなりそれに同調しています。産経新聞が北京受けしないのはこの辺に背景があるのかも。しかし、的を突いています。

これら2冊を丁寧に読むと、中国の現状が理解できると思います。


(恵比寿っさん 2012年4月25日)

 

帝国の落日(下)/J.モリス著・池央耿・椋田直子訳(講談社 2010年 本体2,400円)



 本書は3部6冊からなる大英帝国の興亡史。第一部は2月書感で紹介した「ヘブンズ・コマンド」で、その後に第二部「パックス・ブリタニカ」が続き、第三部「帝国の落日」で完結する。各巻400ページ以上で全6冊の大巻である。原著の完成に10年、日本語訳に6年を費やした由。第一巻から五巻までの翻訳者は椋田氏単独であるが、この最終巻は池氏との共訳になっている。

 18世紀植民地獲得など望んでいなかった英国民は、19世紀に入ると帝国主義を是とするようになった。19世紀半ばの「パックス・ブリタニカ」時代には七つの海を制覇し、世界の陸地の1/4と全人口の1/4を自国の支配下に収めた。正にかつてのモンゴル帝国と一二を争う壮大な版図だ。自信に満ち溢れた英国民は世界中の植民地に君臨する。

 「帝国の落日」は技術・産業の優位性をドイツ・アメリカに奪われ、植民地経営が重荷になり、次第に大帝国が解体していく有様を描いている。19世紀末、南アフリカのオランダ系移民ボーア人との間に起こったボーア戦争が、目に見える衰退の始まりであった。敵の10倍の兵力を投入し辛勝したものの、自らも経済面、かつ道義面で深い傷を負った(これが日英同盟成立の一因になった由)。

 その後第一次世界大戦で消耗し、続く第二次世界大戦で完全に疲弊した。英国の誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスが日本軍の航空攻撃で撃沈されたのは、時の首相チャーチルにとって戦時中最大の衝撃だったとのこと。また、難攻不落と信じたシンガポールが短期間に陥落し、それまでの白色人種優越神話が打ち砕かれた。大戦終了後はインドをはじめかつての植民地が次々と独立し、英国はヨーロッパの一国家に戻った。この長大な物語はチャーチルの国葬をもって終わる。大英帝国は解体したが、英語の普及など文化的影響は今日の世界でもはっきりと残っている。

 フランスやオランダが植民地独立の過程で痛手を蒙ったのに、イギリスはさしたる戦闘もなく粛々と植民地を開放した。これはやはり長年の植民地経営で得た知恵であろう。大英帝国の興隆から衰退まで約300年の歴史に比べ、ジャパン・アズ・ナンバーワンの何と儚い幻だったことか!大英帝国が英語を世界に広めたように、日没後の日本が文化面で影響力を発揮することを期待したい。大英帝国の興亡を一望できる形にした著者と、日本語に訳された方々のご努力に敬服する。

(狸吉 2012年4月25日)


エッセイ 2012年4月分
 

年度末集中工事の影響



毎年のことではあるが正月を過ぎた頃から道路工事が段々に増えて、3月末近くではピークに達し、2kmくらいの区間に数点の工事が行われているところがある。工事の内容は道路修理が主体であるが、電灯や通信配線の工事も含まれている。

 なぜこのように年度末に集中するのかは、国や市町村が決める予算制度に従って工事が実施されているためであることはよく知られているが、予算を申請したときの計画通りに順調に進めばよいが、しばしば変更や遅れが出て年度末にそのしわ寄せが来ることになるのが原因であることは推察できる。

例えば、ある工事が順調に進んで予定通りの納期に予定の予算で完了すればそれはめでたし、めでたしとなるが、実際はそうは行かないので、色んな手法で何とか予算を使いきることが行われている。

以下は、私が現役時代に体験したことであるが、NTTの通信研究所からある特殊の通信用計測装置の製造依頼を受け試作を進めていたが、最終段階になって予期した性能が出ず年度末に間に合わなくなった。それで先方の方に相談に行ったところ、年度末に未完成のまま裏口から納入するように言われた。次いで、無事事務官のチェックが終わるとそっと機器を持ち帰り、最終仕上げをして改めて正式納入することが出来た。

予算計画とそれに基く計画経済は社会主義国家の基本方針であるが、それにこだわりすぎると過年度予算は認められなくなり。上述のような奇妙なことをせざるを得なくなる次第である。

もうひとつの予算制度の問題点は、毎年繰り返される仕事の改善や工費の削減の申請は予算管理者としては関心が薄いということである。

これも実際の経験に基づくものであるが、毎年納入しているNTT向けの特殊測定器の予算確定にあたって「今年からは構成電子部品の値下がりとソフトウエアの改善によって20%値下げに成功しました。よって申請額を下げさせていただきます」と申請したが、担当官の反応は薄く「そうですか。余り無理しないでもいいですよ」というのにがっかりしたことがある。予算変更特に減額にはあまり企業努力を評価しない様子であった。

予算制度が原因で集中する年度末工事の実態から、予算制度自体の問題点に話は広がったが、少なくとも工事を年度末に集中させず、交通の妨害にならないよう努力を願いたい。

(六甲颪 2012年4月1日)

それぞれの人生


 未曾有の就職難といわれるなかで、今年も多くの職場で新人を迎えた。時代を反映してか、入社式のスーツ着用を禁じた会社もあったそうだ。それはともかく、現実には誰もが自分の好きな、やりたい仕事を選べるわけではない。むしろ、本命でなかった会社で、本意でなかった仕事を役役と続けなければならない人のほうがほとんどだろう。本当かどうかわからないが、入社三日目で辞める人もいるという。でも、そのうちにいやだった仕事が天職のようになり、定年を迎える頃には惜しまれながら会社を去る人も多い。

もう20年以上も前のことだが、ある会社の副社長に話をうかがったことがある。その方は東大の機械を出て、恩師の勧めで創立したばかりの工作機械メーカーに入ったが、専門のエンジンとは畑違いの職場に回されたことや、クラスメイトのほとんどが名立たる大企業に就職したこともあって、最初は仕事がいやでいやでたまらなかったそうだ。

工作機械は「マザーマシン」といわれる。地味ではあるがこの機械がなければ、自動車も船も飛行機も家電製品もつくれない。自前の工作機械をつくれるかどうかが国力のバロメータともいわれる。その方は、先輩技術者たちの薫陶を受けながら次第にその重要さを肌で知ることになり、ついには日本の工作機械を世界水準にまで高め、斯界にその人ありといわれた名設計者になった。

最近、利用客が減って赤字経営の鉄道会社が、電車運転手の訓練費用700万円は自己負担という条件で志願者を募ったところ何人もの応募があり、この春にめでたく4人が正式な運転手に内定したというニュースをテレビで見た。

大手のオートバイ販売会社を辞め、退職金をその費用につぎ込んだ人、公務員という恵まれた職場を捨て、合格するかどうかわからない難関に挑んだ人…。子供の憧れの夢は、今も昔も電車の運転手やスポーツ選手である。遠回りはしたけれど、その夢を今まさに実現できた晴れ晴れとした表情を見ていて、ギャンブルで自社の資金を無駄にしたバカ御曹司や、人様の大事な年金をマネーゲームでスッテンテンにした証券マンと比較して、こんな人生もありかと別な感慨を持ったものである。

 政権与党の国民新党が、方向の違いから内部紛争を起こして代表を解任するというドタバタ劇を演じて国民の失笑を買ったが、当事者の亀井代表は今後を聞かれて「人それぞれの人生だから」と語っていた。彼らに限らないが、政治家になって一体何がやりたかったのだろうか。

クレージーキャッツが唄う「いろいろ節」の「死ぬの生きるのとさんざんもめて、三月で別れる奴もありゃ、いやだいやだといいながら、五十年添ってる人もいる」という一節は、夫婦の、そして人生の真髄をいい得て妙である。


(本屋学問 2012年4月6日)

 
 

こころの通い路

 近ごろでは身内にも油断がならない。高齢者はオレオレ詐欺だけでなく子供や身内にも騙されるケースが増えている─という話を前に書いた。謙譲の美徳は時代遅れか。些細なことでも自分の権利を主張する風潮が強まっている─という話も前に書いた。

 身内と権利主張を合わせると遺産相続にからむ最悪の事件となることさえある。たとえ小さなもめ事でも、身内のもめ事は後を引いて後味の悪いものだ。しかし、こんな世の中でもホッとさせられる話がないわけではない。

 K氏は大手メーカーのOBだが、二度結婚して二度ともヨメさんと死別している。二度目のヨメさんは二人の子連れだった。上の子は知恵遅れで早くに死去したが、次男は幼い頃からK氏にかわいがられて育った。その子は高卒で働きはじめ、後に事業を起こして独立した。この二度目のヨメさんとの間にできた実の子の三男がワルで借金を重ね、K氏は家を抵当に入れて借金を肩代わりした。要するに始末の悪い息子だ。

 ところが事業を起こした次男が、育ての親のK氏に尽くす大変な孝行息子だという。親を気遣う細やかな孝行ぶりを、あんなことがあった、こんなことがあったと同級会で呑みながらK氏が話したら、聞いていた友人が身につまされて泣き出したというから本物だ。

 実の子に泣かされ、義理の子に助けられる。物語とすれば古めかしい筋書きだが、今時でも生さぬ仲の子に助けられるという、こんな話があってホッとさせられる。

 ある町の元教育長だったH氏は、10数年前に80数歳で亡くなった。H氏はどちらかというと厳つい風貌の持ち主で、謹厳実直を絵に描いたような人だった。亡くなった当時、氏には70近い息子を筆頭に2人の娘がいて、数人の孫に囲まれていた。

 そのH氏の葬儀の場に、中年の女性が現れて涙をこぼしながら焼香をした。なんと、この女性は、H氏がよそでつくったいわゆる“隠し子”だった。

 教育畑ひと筋に歩き、中学校長から教育長となり、見本のような教育者として、艶っぽい話には縁のない人生を送ったはずの父親に隠し子がいた。兄妹は大いに仰天したが、自分たちの妹に当たるその女性が、父に瓜二つの容貌だったことから、「実印が現れた」とばかりに驚いて、即座に父の子であり自分たちの兄弟であることを納得し、何の身元調べをすることもなく兄弟であることを“認知”した。

 遺産相続の段になって、分けられるものは4人の兄弟で均等に分けようと、その新顔の妹に提案したら、その妹は、「亡くなった母ともども良くしていただいたから、何もいりません」と辞退したという。4人とも良い子に育てたわけで、やはり故人はなかなか立派な教育者だったということか。

 生さぬ仲でも気持ちが寄り添う心の通い路がある。兄弟の仲が良ければたとえ遺言書が無くても譲り合って落ち着くところに話が落ち着くことになる。かくありたいものだ。

(山勘 2012年4月19日)