第13回「ノホホンの会」報告

2012年6月20日(水)午後3時~午後5時(会場:サンシティ横浜、参加者:六甲颪、狸吉、致智望、山勘、ジョンレノ・ホツマ、恵比寿っさん、本屋学問)

今回も充実した書感、エッセイが登場しました。とくに「さよなら!…」は、メイド・イン・ジャパンの象徴でもあったソニーの現実がわかり、感慨深いものがあります。経営戦略のトップダウンか集団指導か、はたまたマーケットの終焉か…。今後も議論を続けることにします。不幸にして今日の政治指導者にない「リーダーシップ」、システム分析思考から考える「電力危機…」、まだいた未開の種族の、ある意味新鮮で人間らしい?生活を紹介した「ピダハン」、終戦時の日本兵捕虜の心情を貴重な一次資料で明らかにした「昨日の戦地…」、南京事件を別な角度から検証した「松井石根…」と、書感はバラエティに富んでいます。

エッセイも、社会保障制度の核心を衝いた「働き者…」、ギリシャの経済危機から “人の振り見て…”と日本の将来を考える「ギリシャは…」と、どうしても日本の政治の貧困さに行き着きます。もっとも、そんなお粗末な政治家を選んだのも私たちですが。このところ、話題の中心はやはり年金、税金問題で、もし消費税増税が決まれば一時的に1ドル50円まで円高になるのでは、という説も飛び出しました。そんななかで、日本の先史をユニークに紐解く「天照神の誕生」、「真心」は少しホッとするエッセイになりました。

(今月の書感)
「さよなら!僕らのソニー」(恵比寿っさん)、「リーダーシップ」(山勘)、「電力危機をあおってはいけない」(狸吉)、「昨日の戦地から―米軍日本語将校が見た終戦直後のアジア」(同)、「ピダハン」(六甲颪)、「松井石根と南京事件の真実」(本屋学問)

(今月のネットエッセイ)
「真心」(本屋学)、「ギリシャは、ポルシェの保有率世界一と言う不思議」(智致望)、「働き者が報われる?」(山勘)、「天照神の誕生」(ジョンレノ・ホツマ)
 
(事務局)

書感 2012年6月分

電力危機をあおってはいけない/川島博之(2011年 朝日新聞出版 本体1,600円)

 3.11震災以来日本中が原発反対の集団ヒステリー状態に陥った今日、公平な立場から冷静に事態を分析し、今後のエネルギー政策を提言する好著である。著者は東大農学生命科学研究所の准教授で、イギリスで始まったシステム分析思考法を専門とする。これは危機に際してパニックに陥ることなく、事態を歴史的な視点で見直し、位置づけ、冷静に最適な対処法を見出す考え方である。

著者はまず冒頭で「人口が減れば電力消費も下がる」と述べ、当面の電力危機と長期的な電力需給とは分けて考えるべきと説く。現在の人口減少傾向が継続すれば、2020年以降多少の遅れはあっても、わが国の温室効果ガス排出規制は何もしないでも達成でき、さらに年率1%の節電をすれば、30年で原発ゼロを実現できる由。

昨今はなばなしく喧伝される自然エネルギー利用は、日本の地理的特性に適していないと分析している。まず太陽光発電は雨の多いこと、大消費地の近くに大規模発電用地がないことから不適。同様に風力、地熱もわずかな寄与しかできないと分析している。事前の検討で失敗に終わることは明らかな研究が大規模に行われるのは、それにより潤う研究機関や事業者がいるからであり、その典型的な例としてバイオマス・エネルギー開発を挙げている。

 結論として、原子力エネルギーは今後隠れたコストが明らかになると、非常に高くなるであろう。核廃棄物の処理方法は次世代に先送りせず、現世代で懸命に解決すべき。原発は次第に少なくなるが、全廃すべきか否かは安全保障の問題と絡めて慎重に検討する必要がある。現在大きな電力を消費している商業施設・公共施設の照明・空調の省エネに努め、現在の電力需給でバランスするライフスタイルを確立すべきと勧めている。

非OECD諸国が原発を建設する真の理由は軍事的安全保障であること、アメリカのバイオマス・エネルギー開発は票田としての農家援助のためであることなど、本書を読んで「目からうろこ」の思いを味わった。正に「システム分析法」の威力である。

(狸吉 2012年6月14日

リーダーシップ/山内昌之(新潮社 本体680円)



 サブタイトルに「胆力と大局観」とある。これが著者の考えるリーダーシップの神髄であろう。胆力の代表は太平洋戦争時の山口多聞少将(死後中将)、大局観の代表はリンカーン米大統領らしい。目次から拾った古今のリーダーはザッと30名。本文に散らばるきら星のごとき人名はその数倍ではきかない。

 本書は3部からなり、第一部「リーダーの責任」では、過去における東西の偉人達の例を豊富に挙げて、危機に対処するリーダー、変革期のリーダーの資質を語る。

第二部「偉人のリーダーシップ」では、特定個人に的を絞り、歴史的思考法を持つリーダーとして吉田松陰を挙げ、危機に積極策をとる鋭将として山口多聞を語り、悪のリーダーシップとして織田信長と松永弾正を再評価する。

吉田松陰については、代表作「講孟余話」で「これまた故に則るのみ」と言い、すべて歴史の故事や偉人に学ぶと言い、一方では米国密航の企てなどにみる行動力を示す。松陰の先見性を示すエピソードに、長府毛利家の一医者による「竹島」(鬱稜島)開墾論への関心がある。そこは今「空島」だからわが国が開墾しても朝鮮なども異を唱えまいと言い、航海雄略の第一歩とすべきであり、ひいては朝鮮・満州への「第一の足溜まり」にもなるとして、幕府事業とすべく桂小五郎に斡旋を頼んだりしたという。

山口多聞少将は、日本海軍がミッドウエー海戦で惨敗を喫し、司令長官南雲忠一中将が撤退の断を下して戦線を離脱した後に、旗下の残存戦闘機16機で米艦隊3艦への単独反撃を敢行して米空母「ヨークタウン」を撃沈する。その判断力と大局観、闘魂と勇猛心。

乗艦と運命を共にするのは艦長であり、座乗する航空戦隊司令長官はその必要がないという海軍のしきたりに反して、山口は加来止男艦長と共に大破の乗艦飛龍に残って海中に沈んだ。部下との信頼感、責任感と出処進退は見事というしかない。

面白いのはグッと今時にズームインさせた、第三部「民主党リーダーの置き土産」だ。まず、鳩山由紀夫については、普天間問題を迷走させた政治手法や一貫性のない発言を挙げて、常識力と現実感覚の無さ、直感力と洞察力の欠如を指摘する。

小沢一郎については、公然と姿を現した「グレー・エミネンス」(陰の実力者)であり、法や公正を守らない「現代の僭主」かと疑問を投げかけ、小沢とは同郷の先輩原敬を挙げて、彼も表にできないきわどい金とも無縁ではなかったが、原は無私無欲の井戸塀政治家であり、私欲のために蓄財する卑しさはまったくなかったと対比させる。

菅直人については、退却と責任回避の達人だとして、国民を守る気概がなく、官僚の声を聞く謙虚さに欠けるという。この人については本書のはしがきでも触れており、菅直人氏ほど「為政者の覚悟」に馴染まない政治家も希だったと断じている。

ついでに言えば、はしがきの結びは、リーダーシップについて「本書では菅直人氏の首相辞任と野田佳彦新首相の誕生を機に、歴史の教訓に満ちた実例などに即して考えてみたい」となっている。野田総理の評価は乞ご期待というところか。

 (山勘 2012年6月12日)

 ピダハン/D・l・エヴェレット著・屋代通子訳(みすず書房 3400円)

  

 南米アマゾン河の流域は密林で覆われ、文明社会から隔絶した地域となっている。ここに「ピダハン」とよばれる数百人の種族がひっそりと暮らしているが、その実態をブラジル人の言語学者エヴェレット博士が長年にわたって調査したところ、言語の形態以外に興味ある特徴が見出された。以下に其の要点をまとめて参考に供したい。

1 生活環境 赤道直下に近いので朝晩でも25℃位であるが日中は40℃をこえる。10歳以下の子供は丸裸であるが、年頃になると女性はひざ近くまでの長さのワンピースを着ている。草と木で出来た家に住むが、床にはゴキブリ、ノミ、蚊がうようよいるため、外来者は其の対応に悩まされる。ピダハン人は免疫があるのか、案外平気で暮らしている。

2 睡眠と外敵への警戒 夜は早く眠りに就くが、其の周辺には野獣がうろうろしているので油断は出来ない。現代人なら「ゆっくりお寝みなさい」と挨拶するが、ピダハンでは「沢山の蛇が狙っているから深く眠らないように」というとのことである。人間以外の生物が熟睡に入らないレム睡眠をとろうとしているのは、驚くべき生活習慣である。

3 ピダハンの言語と会話はかなり特徴があって著者の話題の中心となっている。

(1)「こんにちは」とか「さようなら」とかの挨拶をする習慣がない。

(2)言葉は主語+動詞+目的語からなる簡単な構成で接続詞、副詞、助詞、感嘆詞等がない。したがって短い言葉で話し合う。短い言葉での会話は非常に騒々しいが、全般に過激な言動を好まないので、口論や喧嘩は比較的少ない。

(3)外界のすべての宗教から隔絶しており一切の宗教心を持たない。ただ、ピダハン族の個人は、自然界には神のような亡霊が存在すると信じている。

4 其の他、物を勘定する数詞を持たないとか、位置を示す東西南北の概念を待たない。

以上でよく生活できると感心するが、考えようによっては、現代人は形式主義で不要な習慣をもちすぎているのではないかと反省させられる。長々とした挨拶やお礼なしでも、ピダハン族は健康的でいつもニコニコと対応している姿はうらやましくさえある。

(六甲颪 2012年6月16日)

 松井石根と南京事件の真実/早坂隆(文春新書 2011年7月 本体870円)



 「南京事件」は、日本軍が中国で行なった重大な戦争犯罪として東京裁判でも取り上げられ、これまでも多くの関連書が出版されているが、その真相は今も明らかではない。本書は、中支那方面軍司令官として上海、南京攻略にあたり、後にこの事件の責任者として死刑となった陸軍大将、松井石根の人間像や、彼自身この事件をどのように考えていたのか、また事実はどのようなものだったのかを、遺族や関係者へのインタビューをはじめ、多くの関連資料と客観的事実から検証を試みた渾身のノンフィクションである。

「先の大戦における最大の皮肉とは何かと問われれば、松井石根の存在と答える」と著者は「あとがき」で書いている。松井の名前は、中国の歴史教育のなかでヒトラーと同列の文脈で語り継がれているというが、陸軍きっての日中友好論者だったという事実は、まるでタブーのようにして語られることはない。松井の生涯は、今なお多くの誤解と偏見に満ちていると著者はいう。

松井石根(いわね)は陸軍士官学校、陸軍大学校を優秀な成績で卒業し、最初はフランスに派遣されたがその後は中国との縁が深く、陸大で学んだ中国語を生かして、清時代の北京、上海、南京に長く駐在した。さらに、現地では陸軍随一の支那通といわれた上官の影響もあり、交流のあった孫文の「大亜細亜主義」に共感して次第に自分なりのアジア観、中国論を形成していったようである。

1925年、松井は主に情報を扱う陸軍参謀本部第二部長に就任するが、作戦を扱う第一部に対し、それまで欧米通が多かったこのポストに中国を最もよく知る松井が抜擢されたことは、当時の日本陸軍が対中国戦略をいかに重視していたかの現われともいえる。そして彼は、欧米列強に侵食されている中国の現状を目のあたりにし、また国際会議に出席するたびに「欧米は基本的に自分たち以外の地域については無理解で、自国の国益しか考えていない。だから、この現実を反映する国際連盟に多くを求めても無駄で、地域ごとに解決すべきだ。それに対抗するのがアジア諸国の団結で、その主役を日中が担う」との思いを深くしたという。

松井は、日本と中国の提携が第一と考え、さらにインドの革命家のボースも会員だったという東京にあった「汎アジア学会」(後に大亜細亜協会)に入会、アジアのためのアジアを本格的に研究するようになる。この会には、やはり東京裁判で死刑になった広田弘毅や、荒木貞夫、本間雅晴などリベラルな軍人も会員になっている。松井はアジア諸国の連携を呼びかける「亜細亜連盟論」を発表し、4億人の中国が近代国家として自立するためには、独裁的な中央集権ではなく連省自治がふさわしいといった見解を示すなど、軍人の職分を超えて日本と中国の未来ビジョンを自分なりに描いていたが、こうした親中派としての彼の言動はほとんど伝えられていない。

1927年の張作霖爆殺事件の当日、松井は中国にいて事後処理のために奉天入りし、関東軍関係者の処罰を厳しく求めたというが、この事件といい、満州事変といい、日本陸軍は“伝統的に”軍規違反に甘く、幹部軍人の独断専横による暴走を抑えられなかったことが、その後の戦争拡大を招いたとはよくいわれる。本書によれば、南京事件も実は同じ構図によって大きな悲劇を招いたといっても過言ではないのではないか。

日本に対する徹底抗戦一色に染まる中国側に対して、日本側には戦争不拡大派も多く一貫性を欠いた。その間に中国軍は10万人以上の兵力を上海に集結させたため、陸軍中央は、すでに予備役になっていた松井に上海派遣軍2個師団を任せた。こうして、松井の運命の歯車は再び回り出すことになる。

上海攻略戦の日本軍死傷者は1万人を超え、陸軍中央は上海派遣軍とは別に、新たに柳川平助中将率いる第十軍3個師団を投入するが、戦線拡大を懸念した上層部は上海と南京の間に戦闘の限界規制線いわゆる「制令線」を引いた。しかし、緒戦の勝利に勢い付く第十軍は、退却する中国軍を追って独断で制令線を突破し、南京への追撃戦を開始したのである。

一方、戦傷者を多く出した上海派遣軍を一時休ませ、態勢を立て直して南京攻撃を考えていた松井は、その後に彼の指揮下に入る第十軍の行動を事実上黙認したまま、再び軍を進めた。本来、独断で軍を動かす行為は軍法で死刑か無期だが、日本陸軍はまたしても事後承認と命令系統の不徹底を繰り返し、南京攻略という大きな戦局を迎えることになる。

中国側も、南京死守を蒋介石に主張した司令官の唐生智がいち早く南京から逃亡してしまったことから、指揮系統を失った中国軍は体制の混乱に拍車をかけた。同士討ち、略奪、軍服を脱ぎ捨てて市民に紛れての敗走…。ニューヨークタイムズが「元中国軍(便衣兵)が避難民のなかに、南京の犯罪を日本軍のせいに」という記事を書いているが、そのような混沌状態の南京に突入した日本軍のすべてが軍紀を守り、冷静に作戦を遂行したとは考えにくい。

南京攻略戦に際して松井は「南京城攻略要領」を作成して、占領後も軍の規律や軍紀の粛正を何度も試みたが、部下たちのなかには彼を “中国寄り”とみなし、「面従腹背」の者も多かったという。それが軍紀の徹底さを欠き、無用な事件を招くことになったともいわれている。当時の客観的資料がほとんど残っていない今日、中国が主張する30万人という犠牲者数はきわめて根拠に乏しいが、南京市街戦の混乱のなかで敗走する中国軍と大量の捕虜の扱いに苦慮する日本軍、戦時下の残虐行為がまったくなかったとは断言できまい。松井司令官が南京に入城するのは、そうした混沌が収まってからのことである。

 1938年に退役した松井は、住みなれた東京から熱海に居を移し、近くの伊豆山に「興亜観音」を建立して、両国の戦争犠牲者の鎮魂のために参詣と読経の日々を送った。東京裁判のインド人判事パールは、「敵国の犠牲者を祭るために余生を堂守に過ごして平和を守ろうなどという気持ちは、アメリカの将軍たちにはついにわからなかった」と語り、主席検察官のキーナンでさえ、松井は終身刑が妥当と死刑判決を批判した。

 松井や東條ら7人の処刑者の遺骨は、東京裁判弁護団関係者が米軍の眼を盗んで火葬場から密かに持ち出し興亜観音に安置したが、遺族以外ほとんど知られることはなかった。1960年、同じ関係者たちが愛知・三ヶ根山頂に「殉国七士廟」を建立、遺骨の一部を伊豆から移して、現在は7人だけでなくフィリピン戦の戦没者慰霊観音はじめ多くの慰霊碑が立ち、沖縄以外では国内最大級の規模になっている。

(本屋学問 2012年6月16日)

昨日の戦地から―米軍日本語将校が見た終戦直後のアジア/ドナルド・キーン編・松宮史朗訳(中央公論新社 2006年)



1945年8月17日グアムのドナルド・キーンからホノルルのテッド・ドバリーへ「アメリカに帰らない理由、波乱万丈の旅の始まり」。1945年11月20日東京のオーティス・ケーリから青島のドナルド・キーンへ「ヤマモト・イソロク、日本海軍はどのようにして真珠湾を攻撃するに至ったか」。このような手紙が終戦直後、米軍の若い日本語将校たちの間に交わされていた。本書は、彼ら9人の間に交わされた40通の往復書簡集である。

ドナルド・キーンは戦争終結と同時に帰国を希望したが、グアムで出会った捕虜マツオカ氏に説得されアジアに残ることになった。日本文学者怒鳴門氏の誕生のきっかけである。日本生まれのオーティス・ケーリは後に同志社大でアメリカ文化史を教えた。このように日本語を読み書き話す情報将校たちは、戦時中硫黄島や沖縄で日本軍捕虜を尋問し、戦後は日本で皇族や旧陸海軍の高官と面談した。また、捕虜から託された手紙を帰国前に家族に届けるなど、日本社会の内側にも分け入った。当然ながら彼等の見聞録は、太平洋戦争に関する第一級の資料となっている。

日本開戦の経緯、飢餓戦線の人肉食、日米双方の捕虜に対する残虐行為、戦後日本の混乱状態など、特別な立場にいた者しか入手できない情報がぎっしり詰め込まれている。このように貴重な資料が今日まで断片的な形でしか出版されず、すべての書簡を収録した完全版は本書、すなわち日本語版が世界で初めてとのことに驚く。

かく言う狸吉は、終戦時に国民学校3年生。昨日まで「鬼畜米英」と教えていた先生が、「親切なアメリカ人」とか「マッカーサー元帥はよい人です」と言い始めたときの衝撃を忘れない。この本を読み進むにつれ、まるで自分が時空を超えて戦中戦後の現場に戻り、彼等の立場でいろいろ見聞しているような興奮を覚えた。まことに凄い本というよりない!

(狸吉 2012年6月17日)

 

 さよなら!僕らのソニー/立石泰則(文春新書 2011年11月20日発行 本体830円)



1950年北九州市生まれ。中央大学大学院法学研究科修士課程修了。経済誌編集者や週刊誌記者などを経て1988年に独立。

1993年に「覇者の誤算 日米コンピュータ戦争の40年」で第15回講談社ノンフィクション賞受賞。2000年に「魔術師 三原脩と西 鉄ライオンズ」でミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。他に「ソニーと松下」「ソニーインサイドストーリー」「ふたつの西部」「ヤマダ電機の暴走」「フェリカの真実」など多数。(文中敬称略)



第1章 僕らのソニー

第2章 ソニー神話の崩壊

第3章 「ソニーらしい」商品

第4章 「技術のソニー」とテレビ凋落

第5章 ホワッツ・ソニー

第6章 黒船襲来

第7章 ストリンガー独裁

最終章 さよなら!僕らのソニー    



内容:ウォークマンに代表される「技術のソニー」ブランドはなぜかくも凋落してしまったのか。それを解くカギは大賀、出井、ストリンガーと続く経営陣の知られざる暗闘にある。そして、経営の失敗がいかに企業ブランドに影響を与えるか、その恐さが見えてくる。ソニーで起こっている経営問題は決して他人事ではない。―扉より―

第1章では、我々が持つソニーのイメージは、トランジスタラジオで代表されるように、高性能・高品質・高機能で他の日本企業とはちょっと違うというもの。井深や盛田が、日の丸に恥じないことをやると米国に乗り込んだころからの脈々とした好印象である。

第2章では、そのソニー神話が崩壊している。トリニトロンで成功し、平面・高画質としたWEGAで神話が復活したが、その春は短かった。

第3章では、ソニーらしさとは井深の無理難題を有能な技術者が楽しみながら開発商品化した、大手電機会社にできないことをやる会社であった。モルモットともいわれ、新しいアイディアを世に問うて成功すると他メーカーがこぞって参入するという市場のフロンティアであった。出井社長の誕生が転換点として、ソニーは「未来を見つめる目」が失われたと著者は言う。

第4章では、05年にTV事業の赤字化が始まり、画質でなく価格で勝負になった。市場の声に耳を傾けなくなり、ものつくりからオープンテクノロジーへ走った。技術のソニーを捨ててしまい、インターネットTVや3DTVなどTV事業の改革がことごとく失敗してしまった。

第5章では、出井社長(95年)は大賀による消去法によって生まれた。ディジタルネットワーク社会への対応の解をもたない大賀にレポートを送り続けた出井が解を持つであろうと。ところが、抽象に走る出井に対し最後には「僕は出井君を認めない」となった。

第6章では、出井と久夛良木の対立。なぜストリンガー(オープンテクノロジーの信奉者)を選んだのか。

第7章では、ストリンガー独裁。顧問制の廃止、キャリア開発室のリストラ部屋化。エレキを捨ててエンタメへ。流出するエンジニア。社外取締役任期10年に→ストリンガーサポート体制。

最終章では、大賀の最大の悔い。「ここまでやるとは思わなかった」。「ハワード、あなたはアメリカに帰りなさい」。エレキの復活は机上の空論。もうときめきは戻らない。



書感:SONYをスピンアウトした著者が内部の暴露をしたきわどい内容かと思って読んだが、作家による取材をベースにしたノンフィクション。 しかし、暴露本以上の内容に驚いた。今のソニーに似たような会社はごろごろしてあるが、まさかソニーがこんなにまで凋落した会社であるとは想像もできなかった。はっきり言ってショックでした。それに、もはやソニーは日本の会社というよりも完全にアメリカの会社で、ストリンガーにより食い物にされていると言って良い(CEOはその後平井に交代した)。そこには日本人の感覚で米国人(実は英国人)をCEOに選んだ根本原因があるように思う。

 アメリカは家電メーカーが全滅した国であり、ネットワークとコンテンツビジネスで成長している国である。ストリンガーがハードに価値を認めない?とか、エレキ事業に将来性を感じない人間であっても、それが普通の米国人の感覚かもしれない。そして、彼らは、CEOとしていかに自分の高報酬を合法的に手にするしか考えていないように思うからである。

井深=トリニトロン・カラーTV、盛田=ウォークマン、大賀=CDプレーヤーという画期的商品を成功させた実績があるが、出井・中鉢、ストリンガーにはそのような商品は存在しない。

出井は何故、エレキ製品にもエレキ事業にも関心のない外国人を後継者に選んだか(改革の進まない責任が自分に集中し久夛良木ばかりでなく、カルロス・ゴーンや中谷巌までが出井を批判し始め、経営責任を取る形で交代。次期CEO本命の久夛良木もSCEに専念という決着)。出井はCEOとして次期CEOの指名権があるのでハワードを選んだ。
 大賀は「技術がわかること」と「ソフトウエアに対する理解力」で出井を選んだが、本当に出井にそれがわかっていたか、私は疑問に感じた。

(恵比寿っさん 2012年6月17日)

エッセイ 2012年6月分

働き者が報われる?


貧富の格差が拡大して、富める者はますます冨み、貧しき者はいよいよ貧しくなって行く。戦後の日本を支えてきた豊かで安定した中間層が崩壊している。一握りの勝者と、生活レベルを落として層の薄くなった中間層と、層を厚くし始めた貧困層が見えてきた。

「貧困層」とはあまりにも無情な言い方だから「低所得者層」とでも言うべきだろうが、中身は同じで、生活が破綻すれば身内を頼るか、それができなければ生活保護制度を頼むしかない。いうまでもなく、生活保護は憲法によって「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」、基本的人権を保障するセーフティネットである。

理屈と膏薬は何処にでも着くと言われるが、膏薬を公約と言い換えても通用しそうだ。昔の膏薬はいったん貼り付けるとなかなか剥がれなかったが、今の民主党の理屈と公約は変幻自在、どうにでもコネ直し、張り直しが利くようだ。

そうした公約の一つに「最低保障年金」がある。全国民に等しく一律7万円ほどの年金を支給しようというものである。すでに換骨奪胎で事実上は撤回した「子ども手当」同様に、この人気取りのおいしそうな公約も怪しくなってきた。

なにより問題なのは、民主党に年金制度や生活保護などを含めて社会保障制度についての根本的な考え方、大げさに言えば哲学がないことだ。自民党の肩を持つつもりはないが、自民党は社会保障制度の基本的な考え方の第一に「税金や社会保険料などを真面目に納めた者が報われること」を挙げている。

国会の場で、こうした自民党の基本的な考え方を4つほど並べて、どう思うかと質問された野田総理は、「違和感はない」という奇妙な言い回しで肯定した。大方の国民にとっては「違和感はない」どころか「当たり前」過ぎて議論の余地もない前提条件だ。

この「真面目に納めた者」の前提に立てば、今マスコミで騒がれ始めた生活保護の不正受給者は許し難い。次いで前述の民主党の最低保障年金制度も、「税金や社会保険料などを真面目に納めない者も報われる」ところが問題だ。ひとまずこの公約も撤回すべきだろう。

昨年、王子が来日したブータン王国は、幸福はおカネで買えないヨと教えている。作家の曽野綾子は「老いの才覚」で、一文無しになっても生活に困らない生き方は、分相応の生き方をすることだ、金がないなら旅行も観劇も諦める、冠婚葬祭などの義理を欠く、一文無しになったら野垂れ死にを覚悟する、などといっている。しかし、ことはそれほど簡単ではない。万事カネの世の中でカネのしがらみを断ち切ることは容易でない。

生活保護をもらっても人は生きなければならない。だが、国の財布は乏しいのである。それだけになおさら負担と給付は公正・公平でなければならない。ところが、いま、与野党は社会保障制度の根本的な議論を脇において、低所得者のために消費税の負担増をどう低減するかなどと目先の方法論を論議している。そんな時ではなかろう。真面目に高齢世代、現役世代、将来世代の負担と給付を論議すべきではないか。

また心ならずも自民党案にヨイショすることになるが、「社会保障制度国民会議」を新設して1年ほど議論したほうがいい。野田総理も、党内のガンコ親父に手こずっているより自民党のマシな案を受け入れて前進する方が、「命がけ」の政治課題だと言う消費税実現への近道ではないか。                              

(山勘 2012年5月)

真心



 東京新聞5月22日付け朝刊「あけくれ」欄に、次のような投書が載っていた。投稿したのは、川崎市多摩区に住む60代後半のご婦人である。

 その方は、法事で出かけた千葉の京成津田沼駅で乗り換えようとして、真珠のイヤリングの片方を線路に落としてしまった。駅員に訳を話すとすぐに回収道具を持ってきてくれたが、何しろ線路の上にはガムやタバコなどの白いゴミがたくさん落ちていて、見分けもつかない。それに、昼間のホームは電車がひっきりなしに通過する。ご婦人はあきらめかけたが、その駅員は終電後にまた探してみますといってくれたそうである。

 翌朝、京成津田沼駅から電話があり、やはり見つからなかったとのこと。しかし、そのご婦人は、終電車の後まで探してくれた駅員の好意にすっかり感激して、電話口で何度もお礼を述べたという。

ところが、である。次の朝、また電話があって、今度は始発前に探したら何とあったというのだ。投書の最後は「見つかったことよりも、めったに京成電車に乗らないばあさん一人のために、そこまでしてくれたことへの感謝の言葉が見つからないくらいうれしかった」と結んでいる。

この記事を読んで私は思わず目頭が熱くなり、とても幸せな気分になった。書いたご本人はもちろん、たくさんの投書のなかからこれを選んで掲載した新聞社の担当者、そしてこれを読んだ多くの読者、それぞれが同じ思いを共有したのではないだろうか。

外出先でなくしてしまったご婦人の小さなイヤリングをなんとか見つけてあげたいと、最終電車が通った線路の上を黙々と探し続けた、鉄道会社の社員としての使命感を超えた駅員の真心が、彼女の胸に一生忘れられない人の心のやさしさを刻み込んだ。その駅員とご婦人にとっては、まさにこれ以上ない「一期一会」になったのかもしれない。

今度の大震災では、さまざまな場所で、いろいろな場面で、たくさんの善意や美談が生まれたが、その原点はおそらくこの投書にあるような、困っている人がいたら手を差し伸べる、自分ができることをしてあげる、そうした一人一人の素朴な真心、それに尽きるのではないか。

その昔、仁徳天皇は、釜戸から立つ煙を見て民の暮らしに思いを寄せたというが、今日の国政にかかわる人たちもぜひこの投書を読んで、本当に国民を思いやる真心を、純粋な気持ちを取り戻してほしい。

(本屋学問 2012年5月30日)

ギリシャは、ポルシェの保有率世界一と言う不思議

                        
 ギリシャのユーロ加盟前は、ドラクマと言う独自通貨を使用していた。その当時から経済は停滞しており、ドラクマの信用は低下していた。年間インフレ率は19%にもなっていたと言うから、紙幣を持つよりより早く価値ある品物に変えておくと言う習慣が付いていたと言う。ユーロ圏に入ってからのインフレ率も3.3%あったと云うから、その体質は改善されていなかったのであろう。

しかし、カネが無ければ物は買えない。カネの出所であるが、この国は地下経済が大きくその規模がGDP比26%は下らないと言う、4人に1人が税金を納めていない勘定になる。その上、この国の「雇用制度が鉄壁」で浪費体質を助長しているとも言う。加えて、人口1100万人の内110万人が公務員で、就労人口比では3割近くを占めるそうだから、此れもまた常識を逸している。

OECDの統計によると、加盟国中ギリシャの労働時間が一番長いと言う、それは正社員の割合が高いためで、全就労者に占めるパートタイマー率は、ギリシャ7.8%、日本19.6%であるから、ギリシャ人が勤勉と言うことにはならないそうだ。

こうしてみると、日本はギリシャと全く逆である、日本は膨大な財政赤字を抱えて、国民は将来を不安に感じ老後に備えて貯蓄に励んでいる。その結果、経済は萎縮し、金余りとなってこのカネは国債に回る、デフレ助長の循環となっている。一人ひとりの行動は正しくとも「合成の誤謬」と言うものである。

それと言うのも日本人が勤勉だからなのであろうが、それも昭和を生き抜いた世代に言える事で、この現象は永く続かないと思う。にも関らず、日本にも派遣労働者やパートタイマーの制度を罪悪視する傾向があって、この面の法律が厳しくなっている、悪い面ばかり強調して報道されるが、労働者の中にも正社員として制約されるのを嫌う人がいるし、全ての労働者が正社員になればどうなるか、企業は活動停止に向けて進むかも知れない、その弊害が出つつあるが、こう言うことは報道されないのがこの国の特徴である。

政治家よ、現実を直視してくれ。この国もやがてギリシャ化して行くのも時間の問題と思う。「人の振り見てわが身を正せ」である。

(致智望 2012年6月1日)

天照神の誕生


ホツマツタエの2綾に「天照神の誕生」が歌われています。内容が記紀の内容とはかけ離れているので、納得いかない方がいらっしゃるとは思いますが、私はこのホツマツタエに書かれていることが、より忠実な史実と思っています。

古事記が今から1300年前に書かれたものとされていますが、ホツマツタエの2綾を含む前半部分は、それより更に1300年以上昔に遡った紀元前660年頃に編纂されたものです。

1. 天照神の両親「いさなぎ」と「いさなみ」が出会うまでの背景です。( )は写本の(綾-頁)

1-1. 天神6代の「おもたる神」、「かしこね神」の間には世継皇子が出来ずに代が途絶えてしまいます。(2-18)

1-2. この事態を心配した「たかみむすび5代目」(とよけ神・実名たまきね・ひたかみ国)は、「あめよろず神」の子孫の「あわなぎ」の子どもの「かむろぎ・たかひと」に次の天神に継がそうと自分の娘「いさこ」を嫁がそうと働きかけます。(2-21~25)

1-3. 仲人を立てるが、二人とも状況が理解できずにもの別れになります。最初の仲人が「はやたまのお」と言いました。(2-25)

1-4. その後、二人目の仲人の「ことさかのお」が取り持ち二人は結ばれます。(2-25)

1-5. そして、二人は筑波の「いさ宮」(現筑波神社)に住まわれます。「いさ宮」に因んで「いさなぎ」・「いさなみ」と名乗ることになります。後にこの二人は「ふたはしら」・「ふたかみ」(両神)と呼ばれます。(2-26~27)

1-6. この時の背景として、男神「いさなぎ」の父親の「あわなぎ」は「ね国」(北陸)から「ちたる国」(山陰)を治めていました。「いさなぎ」は金沢の出身です。

1-7. 一方、女神「いさなみ」の父親「たかみむすび」(とよけ神;豊受神)は日高見(仙台、多賀城付近)の出身です。

「やまて宮」とありますが、後に漢字化されたとき、仙台という字が当てはめられたと考えられます。



2 「いさなぎ」と「いさなみ」のお子さん達 (1姫3男)

2-1. 「ふたはしら、ふたかみ」(両神)が結ばれて、最初に生まれた子の名前は「ひるこ」と言い女の子です。

しかし、父親「いさなぎ」は40才、母親「いさなみ」は31才で二人とも天の節目(厄年)に当たっていました。厄年に生まれた子どもが、女の子であれば父親に汚れが宿り、男の子であれば母親に災いを受けることになります。(3-4~5)

2-2. 厄を祓うために、三才にも成らないうちに子供を「いわくす舟」に乗せて川に流します。これは、儀式で、川下(にしとの)では翁「かなさき・住吉の神」が拾い上げて「ひろた」成人するまで育てることになります。(3-5)

「にしとの」(西ノ宮神社、住吉の神が住まわれていた)

「ひろた」(広田神社、幼い「ひるこ姫」を拾い上げた所)

2-3. 「ふたはしら」(「いさなぎ」と「いさなみ」は世継ぎの男の子を生む決意をします。(3-3)

2-4. 二番目に妊娠した子は、「はらめど つきみてす えなやふれうむ」とあり、未熟児のまま胞衣が破れ流産してしまいます。(3-7~8)

2-5. 「ひよるこ」(未熟児)は泡となって流れ去りました。葦舟に乗せて流しました。流した場所が「あ・はち」、吾(あ)恥(はじ)→淡路(島)と思われますが、大阪市東淀川区にも淡路という地名が残っています。(3-8)

「いさなみ」の産屋が5つあるのに、子供は4人と数が合わない理由ですという記述があります。(3-21)

2-7. 日嗣の君になられる皇子を欲しいという願いが遂にかなって「ひのかみ」(日の神)が生まれました。(3-15) 名前を「うほひるぎ」と称えました。(3-16)

「う」・「うほ」=大きい、偉大な、高貴な 「ひる」の「ひ」は太陽(ひ)の御霊を背負ったという意味。

2-8. この皇子が生まれ、国は麗しく威光が隅々まで差し、神威と威光がただ事でないことを知った「いさなぎ」・「いさなみ」は天(高天原)に送りました。(3-16)

別名「くしひる」の子(=奇しき日の霊(る)より生まれた子)とも呼ばれました。

2-9. 両神は「つくし」(九州)で二人目の皇子(つきよみの神)を生みます。(3-18)

2-10. 厄のとれた「ひるこ姫」が成長され「わかひるめ」となって宮中に戻ります。

この時点で、「ひるこ姫」「わか姫」「わかひるめ」と3つの名前をもっていることになります。

 「わか」は和歌山県の語源と考えられます。

2-11. 末っ子の「そさのお」が「そさ国」(現南紀)で生まれます。

「そさのお」は、国や民を困らせます。これは、母親の「いさなみ」が自分の「おえ」(くま)によるものと身に受けて、息子の厄を除くために「くまの宮」を建立しました。(3-19~21)

「とよけ」は「わかひと」という実名(いみな)を捧げます。「とよけ」(豊受神)は「いさなみ」の父親、即ちこの「わかひと」後の天照神のお祖父さんに当たります。



3. 幾つかの混乱する記述について(天照神が女神にすり替わった要因)

お姉さんが「わか姫」、天照神が「わか仁」と漢字化した時、一文字の違いだけで入れ替わってしまう!?。

またお姉さんが厄払いのために流されたのと、その次の未熟児で死産し流されたのが混同した可能性があります。さらに、ややこしいのが、お姉さんは結婚され「したてる姫」と名を変えて、姉の立場から天照神の妹の立場に退いています。(1-30)

更に伊勢神宮の内宮外宮の役割についての記述が混乱を招いているようです。(36-39~41)

豊受神を祀っている外宮の神の真意は厚く、国民に厳しい父の役割とあり、天照神を祀っている内宮は、母の子供を慈しむような恵む教えとあります。この記述だけを見て、天照神は女神であると間違えてしまったのでしょうか。


 また、天照神の12妃のうち「ますひめ・もちこ」と「こますひめ・はやこ」は従兄妹婚で、儒教では野蛮人のすることと見られていました。更に「こますひめ・もちこ」が生んだ3女神「おきつしまひめ」・「えつのしまひめ」・「いちきしまひめ」は「そさのお」との浮気によって出来た子のようです。

これらのことは、記紀に取り入れることは出来ず、天照神を女神にして神話化すれば、うまく納まると思われたのでしょう。ですから、記紀の編纂後「ほつまつたえ」の存在は許されなくなったのが事実だったと思われます。

「ほつまつたえ」の記述を読んで行くと、上記の結論に至りました。

(ジョンレノ・ホツマ 2012年6月12日)