例会報告
 第30回「ノホホンの会」報告

2014年1月21日(火)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:致智望、山勘、高幡童子、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)


狸吉さんがサントリーホールで思わぬアクシデントに見舞われ、残念ながら欠席でしたが、残る全員は今年最初の例会に元気に顔を揃えました。次回は復帰されることを祈っています。

今回の書感、エッセイは、皆さんが関心の高い健康に関するテーマが多く挙がりました。上手に生きれば寿命は120歳まで延びる、ストレスを溜めない、良質のたんぱく質は体に良い、加工食品はできるだけ口にしない、塩素入り水道水もあぶない…。

恒例の新年会では、そんな注意すべき食材のことなどすっかり忘れ、皆さん思い思いに好きな物を注文し、美酒に酔いました。オペラから演歌まで話が弾んで、結局はこんな楽しい集いがあればいつまでも健康でいられるという、究極の結論に達しました。めでたし、めでたし。

 

(今月の書感)

「老化は治せる」(恵比寿っさん)/「50歳からは炭水化物をやめなさい」(致智望)/「ひこばえに咲く」(山勘)/「体を壊す10大食品添加物」(ジョンレノ・ホツマ)/「昭和16年夏の敗戦」(高幡童子)



(今月のネットエッセイ)

「ニセ食材、騙される客も悪い?」(山勘)/「人の評価」(本屋学問)/「いなくなった伊東正義」(山勘)



(事務局)


 書感2013年12月分

富士山噴火の歴史 万葉集から現代まで/都司嘉宣(つじよしのぶ)(築地書院 2013年11月発行)

 富士山が世界遺産になってから、富士山関連の本が目につくようになりましたが、本書のタイトルを見て、富士山の噴煙たなびく昔の姿を思い浮かべました。



著者は地球物理が専門で、津波、古地震の専門家から見た富士山の噴火の歴史を、膨大な古代の資料から読み解いています。


著者がホツマツタヱの存在・記述をご存じないのが残念ですが、科学的に裏付けられた富士山の噴火の歴史と、ホツマツタヱにある噴火の記述を照らし合わせてみたいと思い取り上げてみました。


それは、富士山は活火山であり、地質学的に見るときわめて若い山で、端正な裾野を引いた円錐形の富士の山体の中には、小御岳火山と古富士火山といわれる二つの火山が隠されている。この二つの火山の上に新富士が上から覆いかぶさって今見る姿になっています。

小御岳(こみたけ)火山は今から約200万~1万年前、古富士火山は約8万年前に噴火活動を開始、泥流の年代を測定してみると、1万9千~1万8年前、1万6千年前、1万5千~1万2千年前のものが認められ、これらの時期は火山活動が活発であったことを示唆しています。

新富士火山の形成は

第Ⅰ期(約1万1千年前~8千年前の3千年の間)に、新富士の骨格が形成された。

第Ⅱ期(4500年前まで)は、溶岩の流出はほとんど停止し、火山灰の噴出が続いた。

第Ⅲ期(3000年前まで)は、再び溶岩が流出した時期である。

第Ⅳ期(2000年前まで)は、溶岩の流出は少なく、火山灰の噴出が多い。

第Ⅴ期(2000年前以降)は、歴史の時代である。

第Ⅴ期は地質学的証拠だけでなく文字の形の文献からも知ることができます。


著者の感覚からすると、新富士の形成が過去わずか1万年強の、地質の年代から言えばほんの一瞬にして完了したことに驚くとあります。私には、スケールの違いとは理解していても実感がわきません。昭和新山もアッと言う間に出来たと言われますが、規模が違いますが同じイメージなのでしょう。

私が共感したのは、著者は、この第Ⅲ期が神話の記述と重なり合うのではないかと一言述べていることです。

唯一、竹取物語の最後の箇所に、「かぐや姫からもらった不老不死の薬を一番高い山の頂で焼いた。それで、その山の名は富士(不死)の山となり、それ以降、
今に至るまで山頂から煙が、あがり続けている」と取り上げています。

残念ながら、その他の古事記・日本書紀には富士山のことは一切触れていません。何故、触れていないのかは追及されていないし、本書の趣旨でもないので
取り上げていません。


ホツマツタヱの1綾~28綾(紀元前660年ごろ纏められた・神武天皇の父に当たるウガヤフキアワセズ)の内、24綾には噴火する前の噴火前の富士八湖(ヤマナカ湖・アス湖・カワグチ湖・モトス湖・ニシノ湖・キヨミ湖・シビレ湖・スド湖)が天孫ニニキネの時代に記されています。


ホツマツタヱの32綾(紀元241年ごろ・12代景行天皇の命で編纂)には、考霊天皇(神武天皇から数えて7代目)が富士登山される内容があり、そこで、「はらみ山」(現富士山)に生えていた良き草(千代見草)が、五百年前の噴火で焼けて失せてしまったという記述があります。

天皇の代が(50年+α)×7=350+α年と仮定すると紀元前約600+α年ごろ、すなわち、今から2600+α年以上昔のことなり、著者の述べている第Ⅲ期(3000年前まで)の、再び溶岩が流出した時期に相当すると考えられます。


ホツマツタヱの噴火の具体的な記述としては、富士山の八つの峰(外輪山)が、裾野の八つの湖(海)に相対していましたが、三つの湖が溶岩流で埋まってしまいました。噴火があったけれど、主峰(中峰:中央の頂・現在に至る姿)は変わらなかったので安心されお喜びになりましたとあり、この時は、中腹からの噴火であったことがわかります。


同じ綾に、「かすが」(かすがちちはや)が、はらみ山(現富士山)の峯に待望の千代見草を得ることができました。それは、綾草のことでした。しかし、この千代見草を皆が食べようとしましたが、煮ても苦くて、誰も口にすることが出来ませんでした。とあります。

それまでは、噴火が収まらなくて登山できず、探せなかったことがわかります。

この千代見草こそが、徐福伝説にもなった不老不死の薬草のことでしょう。


参考まで

(7)イサナギ・イサナミー(8)天照―(9)オシホミミー(10)ニニキネー(11)ホホテミー

(12)ウガヤフキアワセズー①神武―②-③-④-⑤―⑥-⑦孝霊-⑧―⑨-⑩-⑪―⑫景行


「かぐや姫」について、ホツマツタヱに幾つか思い当たる個所がありますが、全てを読まないことにははっきりしないので、完読後(2~3年後かも知れませんが)まとめてみたいと思っています。


(ジョンレノ・ホツマ 2013年12月6日)

ケネディ暗殺―アメリカに殺されたJFK/ロバート・D・モロー著・河合洋一郎訳(原書房 1996年 本体1,845円)


 2013年は、アメリカの第35代大統領、ジョン・F・ケネディがテキサス州ダラスで暗殺されてから50年になる。60代以上のアメリカ人の多くは今でも、1963年11月22日の金曜日に自分が何をしていたかを思い出せるという。それほどにこの事件は、アメリカはもちろん世界にも大きな衝撃を与えた。しかし、直後に出された公式調査報告書「ウォレン報告」が強引に結論を急いだためか逆に多くの疑惑を生み、現在までにたくさんの暗殺関連書が出版されている。


1992年に出版された本書もその1冊で、長くCIA(アメリカ中央情報局)の契約技術者だった著者が、結果的に暗殺実行グループを含む多くの関係者と接触していたことから、著者なりの分析で事実関係を克明に描いており、どこまで真相に迫っているかは別にしてかなり説得性の高いものになっている。アメリカ政府の公式見解は報告書と同じ単独犯説だが、その後上院と下院で何度か調査委員会がつくられ、そのたびに重要証人が不審死を遂げるなどサスペンスドラマさながらの展開があり、現在は複数犯説が有力で、アメリカの最新の世論調査でも60%以上の人が何らかの陰謀があったと考えている。


この事件を解読するには、1960年前後のアメリカとキューバとの関係を理解しておく必要がある。1959年、キューバにカストロ政権が誕生すると、フロリダやルイジアナには亡命キューバ人が数多く流れ込み、革命政権打倒を叫ぶ一大勢力となった。カストロの容共政策を嫌ったアイゼンハワー大統領やニクソン副大統領は、CIAやFBI(連邦捜査局)などを使って彼らのキューバ奪還計画を軍事面でも支援し、革命前の利権を取り戻したいマフィアも同じだった。


1961年4月、CIAの訓練を受けた亡命キューバ人1,500人が通称「ピッグス湾」に上陸を開始、同時にアメリカ軍パイロットが操縦する偽装爆撃機が空軍基地を攻撃する。しかし、前政権からこの計画を引き継いだケネディは、承認はしたものの消極的な対応に終始した。その結果、作戦の成功に不可欠な海軍機による支援が得られなかった上陸軍は壊滅、作戦は失敗に終わる。さらにケネディは今後はキューバを侵攻しないと言明したため、彼の裏切りに激怒したCIAやマフィア、亡命キューバ人たちは、本来はカストロ暗殺のために養成した狙撃手たちのターゲットをケネディに切り替えた。さらにいえば、カストロ勢力が大統領を暗殺したように思わせ、アメリカ世論のなかでカストロ打倒の機運を再燃させようとしたというのが本書の説である。


同時に、マフィア撲滅の急先鋒だったロバート・ケネディ司法長官とジョンのケネディ兄弟は、自分たちの私生活と不正行為に関する情報を把握していたFBI長官フーバーに辞任を強く迫り、マフィアとの関係が深いジョンソン副大統領を次期民主党公認候補から外し、絶大な権力を持つCIA長官ダレスを解任してその解体を画策した。一方、彼らにとってはケネディを排除すれば自分たちの地位は保全される。はからずもマフィアなど反ケネディネットワークと利害が一致し、暗殺の事後承認と証拠隠滅を行なったとみている。


アメリカでは当時も、CIAとFBI、マフィアとの連携は組織的にも個人レベルでも想像以上に密接で、とくにキューバ侵攻のための訓練や武器調達、キューバ経済を撹乱するための紙幣偽造工作などは徹底して情報管理され、一部の限られた関係者以外、ケネディ大統領でさえ知らされていなかったという。さらに、それらにつながる脅迫、誘拐、殺人など、いわば裏社会でのマフィアの存在と役割分担も明確だった。

本書にも、暗殺に関係したとされる人物が数多く登場する。CIAやFBIの情報員や関係者だったクレイ・ショー、ガイ・バニスター、デビッド・フェリー、ハワード・ハント、亡命キューバ人デル・バレ、マフィアのカルロス・マルセロ…、そして、実行犯とされたリー・オズワルド、彼の口を封じたジャック・ルビー。もちろん、他にもたくさんの名が出てくる。しかし、彼らがすべてケネディの暗殺計画と深くつながっていたことに驚かされる。実はオズワルドはカストロ派を装った囮でショーやルビーとも親しく、狙撃に使われた数丁の銃は著者が依頼されて調達したかもしれないとも明かしている。


1960年10月、イギリス空軍の偵察機が偶然撮影した航空写真には、キューバ本土に建設中のソ連の攻撃用ミサイル基地が写っていた。この情報はすぐアメリカ政府に伝えられ、CIAはU-2スパイ機を飛ばして情報確認に動き出す。著者は小型機でキューバに潜入、ミサイル基地からの電波信号を探知して裏付けを取り、亡命キューバ人たちは何度も上陸して確証を得た。


本書は、2年後の1962年10月に世界を震撼させた「キューバ危機」と呼ばれた“大芝居”について、ケネディは18か月前の1961年4月にはこの事実を知っていたと書いている。CIAが新大統領に報告していたからである。しかし、ケネディはこの情報を1962年の中間選挙に利用しようと考えたのか、情報当局にそれ以上の対策を示さず、公表もしなかった。当時、ニクソンはキューバ封鎖を提唱するが、その政策は皮肉にも2年後にケネディが公式に採用することになった。あまり知られていないことだが、その後もキューバにはミサイルの一部が残ったと著者はいっている。ソ連と裏取引があったのかもしれない。


1972年の「ウォーターゲート事件」は、共和党のニクソン陣営が次期中間選挙を睨み、キューバ侵攻とケネディ暗殺に関する情報を民主党がどこまで掴んでいるかを探るためともいわれた。侵入犯として再びハントらの名が挙がり、ニクソンは逆に脅迫されて多額の口止め料を支払ったという噂が飛び、任期中に辞職した初の大統領になった。本書には、彼が後任のフォード大統領に証拠隠滅を依頼したことや、第41代大統領で当時のジョージ・ブッシュCIA長官にも同じように指示したというくだりが出てくるのも興味深い。

ケネディ以前の大統領経験者のほとんどがマフィアと何らかの関係があったといわれ、彼自身も大統領選挙でマフィアの支援を受けたとされている。クリーンなイメージで登場したケネディは、有能な政治家ではあったが同時に派手な女性関係で国家の安全保障を揺るがし兼ねない事態も招いた。後任のジョンソン大統領始めCIA、FBIなどが国家ぐるみで暗殺事件の真犯人探しをやめたことは、ケネディにとってまさに不徳の致すところだったのかもしれない。しかし、国家元首の暗殺というこれ以上ない重要案件の真相を隠蔽し、現在も解明できないアメリカは、到底成熟した法治国家ではない。その汚名を返上するのはアメリカ自身である。


(本屋学問 2013年12月8日)


 「アベノミクス」の真相/浜 矩子(中経出版 本体1,000円)


期待の「アベノミクス」もここにきて雲行きがあやしくなって来た、本書は「アベノミクス」がスタートして間もない時期、2013.5.29に初版が上梓されている。

浜氏は同志社大学の教授でマクロ経済の専門家であり、安倍政権スタート時点で政権の経済政策を批判している。本書の出だしから、野球帽を被ったチーム・アベがやろうとしていること、これは「リフレ」政策ではないと言っている。

リフレ政策と言うのは、シワシワに萎んでしまった経済風船に新たな息吹を吹き込む事を言う。萎んだ経済風船をもう一度程よい所までふくらまし直す。立派な政策課題の事を言うものだが、アベノミクスはそんなものではないとはっきり言い切っている。

安倍総理を評して、長い間、竜宮城にいた人が、地上に戻ってきて昔と同じ政策を行う。まさに、戦後高度経済成長時代に自民党が行ってきたことと、同じやり方で繰り返そうとしていると言う。

成長率は高めたいが、金利の上がることはどうしても避けたい。このないものねだりの良いとこ取りが、安倍式経済運営であり、逆に言えばアキレス腱だと言う。

「産業競争力会議」を設置した。メンバーの一人である竹中平蔵氏が、第一回目の会議で発言したことが「これまで成長戦略は何度も作られてきたが、今回は景色の違う戦略にして頂きたい。他方、成長戦略に打ち出の小づちはなく、企業に自由を与え、体質を筋肉質にしていくような規制改革が成長戦略の一丁目一番地」と発言されたが、これをイメージさせる発想が「オリンピックの招致」、「東京と羽田を結ぶインフラ」と言ったような、1960年代の景色を取り戻すもので、結局それが妖怪アベノミクスの目指すとこだと言う、この下りはもっともと思ってしまう。

浜氏の論法に「真の弱者を切り捨てると、経済は閉塞する」と言う下りがある。このあたりは、浜氏の学者としての発現なのだろうが、私には、何か未消化の感がある。

氏は、聖書の教えを引用して「他人の報酬にとやかく言うな」と言うことに付いて言っている、この意味するところは、果樹園の主が、収穫のために労働者を募る。日銭稼ぎに集まった人たちの中には朝から終日働いた者がいて、一方では夕刻になってからやって来て、短時間働いた者もいる、果樹園の主は短時間組も長時間組も同じ賃金を払ったので、長時間組はこれを不公平と言って怒る。しかし、果樹園主は「あなたたちは、あなたたちの労働に対する正当な報酬を得たのだから良いではないか、私が自分のカネを使いたいように使うのだから」と言う聖書の引用である。要は、他人の報酬と比較してとやかく言うなと言うのが聖書の趣旨と言う。

浜氏の言いたいことは、「生活保護の対象者たちは、常に必ずだれよりもみじめな生活に甘んじなければいけないのか。それでは、何のための公助か解らない」と言う主張である。言われてみるとそうなのかと思うのだが、何か割り切れないものを感じる。

著者も生活補助の不正受給は厳しく管理するのは当然と言っている、だからと言って「生活補助者がお化粧をしてはいけない」と言うことは言うべきでないと言うのだが、どうも割り切れないものを感じるのだが。


最近の世情をみると、物価が上昇している。インフレ・ターゲット政策が効いているのだろうが、貿易収支の最悪状況からみても、政策による事よりも、単純に円安による物価上昇の様相をより感じるのである。

輸入高級品や高級レストラン、ホテル、不動産などは相当に値上がりしている。一方で、庶民を対象とした生活消費品などは、業者の努力で値上がりを抑えている様に観られる。この分裂現象は、何か不安を抱える社会現象であり、将来を暗示するように見えてならない。行きどころのないカネが銀行に滞留している。大手デベロッパーはこのカネを自由に使えるから不動産開発が盛んになる、悪くするとバブルの再来もあるだろう、何よりも資産デフレを予測する現象でなければ良いが。結果として、オリンピック開催後にインフレを伴う不況など起こらないことを願ってやまない。

(致智望 2013年12月10 日)

 WORK SHIFT ワーク・シフト/リンダ・クラットン著・池村千秋訳(プレジデント社 本体2,000円 2012年8月5日発行)


ロンドン・ビジネススクール教授。経営組織論の世界的権威で、英タイムズ紙の選ぶ「世界のトップビジネス思想家15人」のひとり。フィナンシャルタイムズでは「今後10年で未来に最もインパクトを与えるビジネス理論家」と賞され、英エコノミスト誌の「仕事の未来を予測する識者トップ200人」に名を連ねる。組織におけるイノベーションを促進するホットスポッツムーブメントの創始者。『Hot Spots』『Glow』『Living Strategy』など7冊の著作は、計20カ国以上に翻訳されている。

人事、組織活性化のエキスパートとして欧米、アジアのグローバル企業に対してアドバイスを行う。現在、シンガポール政府のヒューマンキャピタルアドバイザリーボードメンバー。


プロローグ 働き方の未来は今日始まる

序章  働き方の未来を予測する

第1部 何が働き方の未来を変えるのか

 第1章 未来を形作る5つの要因

第2部 「漫然と迎える未来」の現実

 第2章 いつも時間に追われ続ける未来

 第3章 孤独にさいなまれる未来

 第4章 「繁栄から締め出される」未来

第3部 「主体的に築く未来」の明るい日々

第5章 コ・クリエーションの未来

第6章 積極的に社会と関る未来

第7章 ミニ起業家が活躍する未来

第4部 働き方を<シフト>する

第8章 第1のシフト―ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ

第9章 第2のシフト―孤独な競争から「協力して起こすイノベーション」へ

第10章 台のシフト―大量消費から「情熱を傾けられる経験」へ

エピローグ 未来のために知っておくべきこと


2025年に我々はどんなふうに働いているか? テクノロジーの進化、グローバル化、エネルギーや環境問題により人類史上多様な選択に迫られる個人が浮かび上がってきた。「漫然と待ちうける未来」には孤独で貧困な人生が待ち受け、「主体的に築く未来」には自由で創造的な人生がある、と著者は説いている。すなわち、漫然としていたのでは新しい貧困層が生まれる、というもので、ここで貧困とは経済的なそれを言っているのではないと理解すべきだ。自由で創造的な未来を築くには働き方をシフトする必要がある。未来のシナリオを書きかえるために様々なことを試したり厳しい選択をして新しい能力を身につけることが必要である。

第一のシフト

サラリーマン的スキルの価値がなくなり「専門技能の連続的修得」が必要になる。

要点:未来に価値を持ちそうな技能を念頭に、自分の好きな職業の選択。その専門技能で徹底的に磨きをかける。習熟後も他の分野に転進する覚悟を持ち続ける。

第二のシフト

孤独な競争から協力へ。仕事でも私的にもバーチャル化世界では暖かく協力的な人間関係が当たり前に存在するわけではなく、意識的に作って行く必要がある。

要点:未来に必要となる人的ネットワークを築く。①いざという時頼りになる互恵的なグループ。②多様性に富んだ大人数のネットワーク(バーチャルだけでも構わない)。

第三のシフト

バランスの取れた働き方を選ぶ勇気。古い仕事観では、仕事とは単にお金を稼ぐことであるが、未来世界では、次第に自分のニーズと願望に沿った複雑な経験をすることを意味するようになるかもしれない。

要点:自分にとって大切な価値や自己像を追求する選択と行動を行う自由を手にする。社会や組織からどのような制約を受けているかを認識し、それにどう向き合うかを決めるのは自分自身。自分の選択と行動がもたらす結果からは逃れられないと覚悟が必要。自分の選択に不安を感じるのは健全だが、避ける必要はない。そう言う経験こそが自分の生活に意味や個性、現実感を与える。そして望ましい働き方を切り開けるかどうかは、どういう自己再生のコミュニティを築けるかによって決まる。

ミニ起業家が活躍する未来 2025年には何十億人(いささかオーバー!!)と言うミニ起業家が他のミニ起業家とパートナー関係を結び、相互依存の共存共栄する仕組み(エコシステム)が築かれる。大企業ではなくエコシステムが市場の方向性を大きく左右するようになる。彼らは自分が夢中になれる対象を仕事にしている。既に出来上がっている例もある(イタリア トスカーナ州プラート:織物の町)。その要因は①テクノロジーの発展。②企業の組織構造の変化(社内と社外を隔てる境界の変化)。③グローバル化。④新たな人材輩出大国の台頭。⑤倹約型イノベーションの普及。⑥長寿化進行。

妙に納得した一冊。定年後に長生きのために貧乏会社を興した身としては、我が意を得たりと言うところがありました。

(恵比寿っさん 2013年12月11日)

                                                                         

零戦-その誕生と栄光の記録/堀越二郎(角川文庫 平成24年12月 本体552円)


 太平洋戦争の初期、日本の零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦は、その優秀な空戦能力と長大な航続距離で世界に衝撃を与えた。開戦直後の無敵ぶりは伝説を生み、最近では宮崎駿監督のアニメ「風立ちぬ」の主役となった。この名機に関する本はすでに数多く出版されており、小生も何冊か読んだが、開発者本人が執筆した本があったとは迂闊にも知らなかった。今回取り上げるのは最近出版された文庫版だが、オリジナル版は1970年出版とあるから、今から約40年前に書かれたものである。


 さて内容だが、さすが開発者が執筆しただけあって、ゼロ戦の前身96艦戦の開発から始まり、新型艦載機の開発要求、開発設計、試験飛行、実戦投入から終戦に至るまで、各段階の逸話や苦心談が詳細に語られている。


 昭和12年10月、著者、堀越(以下敬称略)が勤務先の三菱重工で受けた軍からの開発要求は、世界の最新鋭機を上回る空戦性能と、遠い戦場まで渡洋攻撃できる航続距離という、両立不能な目標であった。しかも性能を左右するエンジンは、軽量ではあるが非力な空冷式しか使えない。航空先進国の欧米でさえ実現できぬ開発要求を、技術後進国の日本が実現できる訳がないと皆思った。


 著者は当時入社5年目であったが新型機の設計主任に任ぜられ、設計チームを率いてこの実現不可能な開発目標に立ち向かった。そして空気抵抗が少ない金属製単葉機体、軽くて強い新機体材料、空気抵抗を減らす沈頭鋲と引込み脚、敵を確実に撃ち落す20ミリ機銃、航続距離を延ばす落下式増設燃料タンクなど、多くの新技術を採用し、非力なエンジンを活用するため極力重量軽減に努めた。努力の甲斐あって、試作機の試験飛行速度は軍の要求値を軽く上回った。


 しかし操縦性については、飛行速度により操縦桿の反応速度が変わる問題が残った。これを解決した「操縦系統の剛性を下げる」という堀越の着想は素晴らしい。当時航空技術の常識では「安全確保のため操縦系統の剛性は下げてはいけない」と言われていたが、著者はあえて操縦系統の強度を意図的に弱め、剛性を下げたのである。その結果、操縦桿の反応は、どの速度でも自動的に一定になり、問題は一気に解決した。そればかりではなく機体の軽量化にも役立ち、この設計思想はその後世界の常識となった。


 試験飛行は順調に進んでいたが、ある日急降下中に機体が空中分解し、テストパイロットが殉職する事故が起きた。ただちに事故原因は究明され、昇降舵のマスバランス取付部強化により問題は解決した。これは性能が向上し、未だ経験したことにない速度領域に踏み込んだための事故であった。


 こうして誕生したゼロ戦はまず中国戦線に投入された。当時中国空軍はアメリカ人顧問の指導で力を付け、援護戦闘機無しで出撃する日本軍爆撃機に、多大の損害を与えるまでに成長していた。投入されたわずか30機内外のゼロ戦は、敵機撃墜・撃破一年間に266機に対し、味方の損害は地上砲火によるものたった2機という、恐るべき強さを発揮した。アメリカ人顧問は、この新型戦闘機の脅威を必死に米英当局に報告し続けたが、「技術後進国の日本に、そんな飛行機を作れる筈がない」と無視された。


 中国戦線で素晴らしい戦果を上げたゼロ戦であったが、飛行中の異常振動発生が報じられた。事故原因を解明すべくテスト飛行を繰り返す最中、異常振動による空中分解、パイロットの殉職という第二の事故が起きた。またもや徹底的な原因究明が行われ、高速飛行領域における翼の異常振動と疲労破壊という、これまた未知領域の技術問題であることが分かった。対策を講じることはできたが、堀越は殉職した二人のパイロットを生涯忘れなったという。


 昭和16年12月、真珠湾攻撃にもゼロ戦は参加したが、真価を発揮したのはその後の戦いであった。台湾から出撃したゼロ戦は千キロ近い長距離を飛び越え、初戦で米航空兵力160機の1/3以上を撃墜・破壊し、味方の損害はたった3機という、圧倒的な勝利を収めた。ゼロ戦に対する恐怖心は大きく、米軍司令部からパイロットたちに、「退避してよいのは、雷雨に遭ったときと、ゼロに逢ったとき」という指示が出たほどである。


 このようにゼロ戦は開戦初期の活躍で、広大な太平洋の制空権を制し、日本軍の急速な南方進撃を可能にしたが、アメリカがその経済力・工業力を新型機開発に全面投入すると、かつての無敵ゼロ戦は次第に弱い立場に追いやられた。当初から限界ぎりぎりの設計を強いられたので、改良で対抗できる余裕も少ない。資源も燃料も乏しく、工場は連日の空襲に曝され、月産100機以上だった生産台数が15機に落ちてしまった。戦争末期、神風特攻隊による体当たり攻撃が始まったが、これは未熟なパイロットと乏しい航空燃料を使うための、最後の切望的な戦法であった。一号機の初飛行の際、設計者自身が、「美しい!」と感動したゼロ戦は、かくして無残な結末を迎えた。


 しかしながら、堀越が日本の技術力・工業力の制約の下で、驚異的な開発目標を達成したゼロ戦には、戦後20年以上たっても、世界の航空専門家から賞賛と感嘆の言葉が寄せられ続けた。また堀越はじめ日本の航空技術を支えた技術者たちは、日本の復興と発展に大いに寄与した。ゼロ戦の遺産はまことに大きい。


 専門分野は異なるが同じく技術者の道を歩んだ小生は、このように偉大な先達と同じ国に生まれたことを誇りに思う。


 本書のハードカバー版はインターネット上で数千円の値が付いている。それを新書版で再刊してくれた角川書店に感謝する。

(狸吉 2013年12月16日)

エッセイ 2013年12月分

ある見識


 三重県伊勢市にある有名な老舗和菓子の経営者が、伊勢神宮内宮前にある人気商店街に外国人は似合わない、英語表記の案内もしないといったという記事を読み、世を挙げてグローバル化、国際化を叫ぶ時代に、なんとも思い切った意見があるものだと大いに興味を覚えた。

今年、20年に一度の「式年遷宮」で賑わった伊勢神宮は、10月までの参拝者がすでに過去最高の1,000万人を超え、最終的には1,300万人が見込まれているという。当然、外国からの観光客も増えて、伊勢市は飲食店や土産物店の経営者向けに英会話の研修会を開いているそうだ。三重県などが主催した地域活性化をテーマにしたフォーラムでは経営者ら約350人が集まり、外国人観光客の誘致なども積極的に話し合ったとかで、そこでこの大胆発言が飛び出した。

神宮の内宮前に、江戸後期から明治初期の門前町を再現した飲食店や土産物店など50店以上が並ぶ横丁が完成したのは20年前。昨年は450万人以上が訪れたそうだ。この横丁の発案者であるその経営者は建設資金も提供していて、地元商工会議所の会頭も務めたことがある名士という。フォーラムの対談で商店街建設の経緯などについて触れた後、「外人は来てほしくない。いたらおかしいでしょ。来ないでくれとはいえないが、英語の表記をするような気遣いはしない」と語ったというのだ。

 以前、外国人観光客向けの魚河岸見学ツアーで客が生鮮魚を手で触ったり上を跨いだり、挙句の果てはカメラを載せたりして問題になったことがあった。食への関心が深い日本人はとくに清潔で新鮮な食材を好み、単に生活習慣や食習慣の違いだけでは説明できない高い感性を持っている。

江戸時代には「鼠色」が何十色もあったとかで、そんな繊細な美の伝統を受け継いでいるはずの私たちの美意識も味覚も、今ではずいぶん劣化しているらしいが、それでも蕎麦をフォークでクチャクチャ食べられたり、ジャムや果物を巻いた海苔巻きを注文されたりしたら、さすがに日本の食文化について一家言ありと思うのは当然かもしれない。実際に伊勢の商店街でこんなことがあったわけではないが、もしスープ皿を両手で口に持っていったら、フランス人は果たして何というだろうか。

西洋には“Do in Rome as the Romans do”、日本には「郷に入っては郷に従う」という諺がある。世界のどこにでもその土地その土地に根付いた独自の文化があり、それを認め、尊重し、独善的な考えや習慣を持ち込まない、押し付けない、それが基本ルールである。地球上のすべての人々がそう考えたら、世界はどんなに平和なことか。

それはともかく、この経営者は新聞社の取材に対して「伊勢は日本人の心の故郷であり、日本の方々に喜んでもらえる街をつくりたいという意味の発言だった。外国人への偏見ではない」と答えている。もちろん、差別的とか時代錯誤といった反論がくることは十分承知の上での発言だろうし、その意味では日本の文化を大切に継承していくためのひとつの“見識”といえるのかもしれない。

式年遷宮の重要な目的のひとつは、建築工法と技術の伝承であるとはよくいわれる。ものづくり日本を1,300年支えてきた伝統の技と心が、そこには確かにあるように思われる。私たちは、そうした精神を失わない国に生きていることを誇りにしたい。

(本屋学問 2013年12月1日)

モンテカルロ


モンテカルロは謂わずと知れた地中海の小さなモナコ公国の一地方で、かつてグレースケリーが王妃として過ごし、風向明媚なドライブウェイで交通事故で不幸にして亡くなったことでよく知られる。豪奢なカジノでも有名で、その豊かな税収ゆえ一般には税金が無いと聞く。

 童子が現役のころ、あるフランス人の同僚が定年前の繰上げ退職のストックオプションでかなりの退職金を手にしたのはいいが、悪名高いフランスの累進課税を愛する母国に納税し勲章をもらう栄誉は選ばず、国境をひとまたぎしてモナコ市民となり、プール付の豪邸を構えて左うちわの生活に入った。当然、国税局に厳しくマークされ、フランスの市民権を停止されるのは覚悟のうえであるが、母国への再入国も厳しく制限され、先祖代々伝わる墓地にも入れないぞと、いやみを言われる始末、昔の仲間にも是非遊びに来てくれと懇願する始末になったが…。いや、本題のモンテカルロに話を戻す。


 最近、囲碁、将棋などのゲームでコンピューターが人間と対戦するソフトウェアが注目され、その中でもモンテカルロ法が注目されている。チェス、オセロでは、コンピューターが世界一の座をとり、将棋でもプロなみ、囲碁ではアマチュアの高段者格と腕を上げ、人間の知能を追い越すのも時間の問題という人もいる。

 例えば囲碁の場合、碁盤上361個の交点の中から黒が1つを選んで第1手を打ち、続いて残された360個の中から白が1つを選んで第2手を打ち、以下同様に361回繰り返して盤面を埋め尽くし、生き石の数を競う。その組合せは人間の思考を超える膨大な数になるので、打っている棋士もコンピューターも論理的に最善手を求める事はできない。

そこで登場するのがモンテカルロ法である。余計な事は考えず、乱数を用いて次の手を打ち、とにかく碁盤を埋め尽くす。約361回で1回の勝負(勝ち負け)は決まるが、何も考えていないから、パソコンを使えば瞬時にして1回の勝負がつく。是を途方もない回数繰り返すと、あら不思議や、勝ちやすい手と勝ちにくい手が確率分布としてあぶり出てくる。

試行回数を増やせば、それに応じて予測の正解率が上昇する。

 囲碁に限らず、投資判断、企業経営、政策立案、選挙予測、軍事戦略など、社会的に重要な判断を求められる局面でモンテカルロ法のような乱数を基礎にしたシミュレーションが役立つ可能性がある。通常の論理的なシミュレーションでは、複雑な局面では結論が出てこないか、答えの精度が低いか、資源を絶望的に必要とすることが多い。

他方、モンテカルロ法では、とにかく答えは早期に得られ、その精度が徐々に改善されていく。

 もし、1億の日本人口が偏向されない素直な乱数であれば、その直感の総和は精度の高い予測を生み出すであろう。10億の人口を持つ中国は、もしそれが偏向されていないならばさらに高度の可能性がある。

(高幡童子 2013年12月15日)

富士山と古事記・日本書紀


北朝鮮で張成沢(チャン・ソンチク)氏が粛清され、死刑されたことを知りましたが、その後、2、3日前のニュースで、彼の今までの功績を全て抹殺しているという記事に目が留まりました。

私はこのニュース記事を見たとき、古事記・日本書紀は、なぜ富士山のことに一切、触れていないのかという疑問について、当時の状況と二重写しに見えました。


紀元前から、富士山は呼び名がいろいろ変わってはいますが、いつの時代でもシンボルでもありました。ホツマツタヱの中に、例えば「イサナギ・イサナミ」は嗣皇子を得るために富士山(ハラミヤマ)に登りお鉢巡りの祈願をしています。

噴火が収まってから、500年後に孝霊天皇が富士登山をしたことなど始め、あちこちに富士山のことが出てきます。


「タケヒ」(武田信玄の祖先に当たる)が、関東地方が乱れていると(富士の裾野までエミシが荒らしに来ていると)助けを求めに来たため、エミシ征伐に「ヤマトタケ」(2世紀ごろ)が東征して、「なこそ」まで行き、論証でエミシを説得します。その後、エミシは「なこそ」以北に引き下がりました。しかし、行く途中、焼津でエミシと一戦をしています。ここまで進出していたことになります。


ホツマツタヱの記述はここで終わっていますが、その後の何世紀かの間に土壌豊かな富士山の麓まで、再びエミシが押し寄せてきていたと容易に推測できます。


そうであれば、古事記・日本書紀のころの大和政権から見て、富士山の麓は「エミシ」の配下で敵国の山ということになります。

中国(唐)に日本を文明国として紹介する国書に、他国の手に渡っていた山のことなど都合の悪いことを載せるわけいかず、全て抹殺せざるを得なかったと考えられるからです。

その他、儒教の精神から見て野蛮なことや近親婚などの記載も省かなければならなかったことも、文明国として認めてもらうためには当然であったと思います。

(ジョンレノ・ホツマ 2013年12月15日)