例会報告
第35回「ノホホンの会」報告

6月20日(金)午後3時〜午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、山勘、高幡童子、ジョンレノ・ホツマ、恵比寿っさん)

今回は、業務多忙につき急遽欠席の本屋学問さん以外、皆さん元気に出席された。今回も、健康や食事に関する本の紹介がありました。

しかし「スペインの食卓から」は食のことではなく、ある主婦の活躍を描いた人生の物語でした。狸吉さんは「自分の人生は自分で切り開いて来たと自負してきたが、何か神の意図によってそのようにプログラムされていたか、と考えるようになった」そうです。本は偉大な力がありますね。

また、脱ぎ捨て可能な衣類によって動物に比べて高い走行能力を身に付けた人類の生存能力のことや、人類は「取り敢えずは胃袋にしまえ。消化は後で考えろ」といのは妙に説得力がありました(「一日6時間座っている、、」)。

金利ゼロ=利潤率ゼロ=資本主義の死という資本主義の終焉、即ち今の自由主義経済圏の終焉を予測する「経済成長と言う信仰」が多くの人を不幸にする恐い話もあり、パンチが効いている1冊です(致智望さん)。

日本のトカラ列島には多くの黒鉱が眠る可能性を信じて実際にそれを拾い上げるドキュメント。日本の資源大国への可能性を論じ、採鉱による海洋汚染を国家レベルで行う必要があると言う(「ジパング、、」)。

ホツマ・エッセイ「卑弥呼と、、、」は、ホツマ伝えを読み解くと邪馬台国は仙台の辺りにあったという新説です。魏志倭人伝の読み方も変えてみる(素直に読み取る)ことや、土器の破片にホマツ語があると良いなと思わされます。ロマンを掻き立てられるエッセイです。

困った爺さん二人が脱原発で騒ぎ始めたが、経済の足を引っ張る懸念がある。3本の矢の経済政策はインフレにつながる懸念もあり、政府の政策は(先が)見えているが国民はアベノミクスの失敗を望んではいない。岩盤規制へ穴開けし、TPPで大きく踏み出す必要を説いています(「アベノミクス」よどこへゆく、山勘さん)。

「色の道、、、」、ほんとに色の道かと期待したが、真面目な「色彩」の話。言語が違えば世界も違って見える。人類の歴史的に「色彩」の知覚はモノ黒から始まり、それが言葉として共通の認識になることや、色に限らず世の中のあらゆることを正しく判別するためにも「視覚」は重要であると語っておられます(山勘さん)。

事務局代理人の独断と偏見で報告を作成しましたが、投稿者の皆様の本旨からずれることや表現不足の点はどうぞご指摘ください。

(今月の書感)

「身近なモノ事始め辞典」(本屋学問)は次回に発表順延。

「一日6時間座っている人は早死にする!」(高幡童子)/「資本主義の終焉と歴史の危機」(致智望)/「スペインの食卓から」(狸吉)/「ジパングの海 資源大国ニッポンへの道」(恵比寿っさん)

(今月のネットエッセイ)

「卑弥呼と邪馬台国」(ジョンレノ・ホツマ)/「『アベノミクスよどこへ行く」(山勘)/「色の道は難しい」(山勘)

(恵比寿っさん記)
 書 感
 一日6時間座っている人は早死にする!/坪田一男(ベストセラーズベスト新書 743円2013年7月20日初版)


著者の坪田一男は慶應大学医学部眼科教授 ハーバード留学 日本抗加齢医学会理事長と紹介されているが、逆に言えば医学博士、ハーバード修士卒業、眼科学会会長とは書いていない。

発行元ベストセラーズの最新発刊書を列記すれば

「老いに克百寿の生き方」

「砂糖をやめれば10歳若返る!」

「老化を防ぐ! 毒出しの秘方」

「楽々往生 老いを輝かせる12の心得」

「うつろな気分が治る食べ物、生き方、食べ物」

「余命3ヶ月のウソ」

「いつも元気な人の100の習慣」

「元気に老いる腸健康術」

最近関心が高まっている健康問題にドギツイ題名で読者の目をひきとめ、背表紙を見れば言いたい事は想像できる無理の無い主張をするのが共通点と思えた。



「一日6時間…]について言えば、177ページの本文を94の話題に分けた目次を作り、さらに半ページごとにゴシック活字で強調した小節で補充されているので、主張の辞書とも言える構成である。



拾い読みに適した本書の構成であるが、その中から得た2つの話題を紹介すれば、

(1)人類は脱ぎ捨て可能な狩猟衣によって大型動物に比べ優位な長距離走能力を得た。毛皮を脱ぎ捨てられない大型動物は人間に根気よく追跡されると汗みどろになって、走り殺された。    

(2)人類のDNAは「食えるものはとりあえず胃袋にしまえ。どのくらい消化するかは、後で考えろ。」とプログラムされている。

(高幡童子 2014年6月13日)



資本主義の終焉と歴史の危機/水野和夫(集英社新書 740円)


著者の水野和夫は、三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て内閣府大臣官房審議官などを歴任し、経済関係の著書に数多く著作している。

本書の趣旨は、金利ゼロ、利潤率ゼロ、と言うのは既に資本主義の死を意味し、それでも成長を追い求めれば、多大の損害が生じるだけ。と言うものである。

この論旨を進めるに当たり、「経済成長と言う信仰」と言う切り口から資本主義の本質を論じて行く。資本主義は、「成長」をもっとも効率的に行うシステムで、その環境や基盤を近代国家が整えてきた。そして、著者が、資本主義の終焉を指摘する事で警鐘を鳴らしたいのは、「成長教」にしがみつき続けることが、かえって大勢の人々を不幸にし、その結果近代国家の基盤を危うくさせてしまうと言うものである。もはや、金利をあげる空間が無いところで無理やり利潤を追求すれば、そのしわ寄せは、格差や貧困と言う形をとって弱者に集中し、中間層の没落を形成すると言う。

何故、利子率の低下がそれほどまでに重大事件なのかといえば、金利はすなわち、資本利潤率と同じといえる。資本を投下し、利潤を得て資本を自己増殖させることが資本主義の基本的な性格だから、利潤率が極端に低いと言うことは、すでに資本主義が資本主義として機能していない兆候と言う。

日本の一人当たりGDPに中国がいつ追いつくか試算すると、およそ20年後になり、今4倍の開きが有るものが、将来の成長率を日本1%、中国8%とすると20年後に日中の一人当たり実質GDPは同水準になる計算と言う。2030年には日米に一人当たり実質GDPが追いつく。それまで資源価格の上昇と新興国のインフレ、「価格革命」は収束しないと言う。

「価格革命」は新興国において大量の中産階級が誕生し、食糧、エネルギーの需給逼迫をおりこんで、市場価格を高騰させる。そのとき、先進国はフロンティアに行きつまり「電子・金融空間」を創出し、稼いだ過剰資本を新興国市場に向けると言う。その結果、中産階級を没落させ粗暴な「資本のための資本主義」へと変質してゆくと言うのである。

その中国が、仮に近代化に成功して、今のOECD加盟国水準に達したら、一人当たりの電力消費量は現在の2倍弱を消費する事になり、インドも同じように近代化に成功したら9倍を消費する事になると言います。そうすると、この2か国だけで世界の電力消費量は今の2/3を上乗せすることになり、そこに、ブラジル、インドネシア、アラブ世界と言った人口の多い国々が近代化に成功すると、電力消費量は現在の2倍になることが予測される。この2倍と言う数字は、1973年の資料からすると40年かかって2倍になったのが、中国のGDPが日本に並ぶのに20年でインド、ブラジル、インドネシア、アラブ世界の国々が近代化しOECD加盟国並みになると言うことは、過去40年かけて達成した増加分と同じだけ、次の20年で増加させる事と同じと言う。電力消費量が2倍になると言うインパクトがどれだけのものか想像してみてほしい。その他鉄鋼の消費費料なども考えると、その成長率はとても現実のあるものとは思えない。要は、地球のパイが付いて行けるだけの規模は無いと言うのが結論。

その結果、無理やり経済の伸び代たる「周辺」を無理につくり出し、利潤確保しようとすれば、アメリカのサブプライム・ローンであり、日本の労働規制の緩和の様な手法が必然的に起こってくる、世界のあらゆる国で格差拡大が進み、グローバル資本主義が必然的にもたらす状況へと進んで行き、「長期停滞論」では説明できない、資本主義の危機を迎えることになると著者は言う。

(致智望 2014年6月14日)



スペインの食卓から/おおつきちひろ(講談社文庫 1997年6月 本体581円)


 本書を読み始めたきっかけは、NHKラジオ深夜便で聞いた著者へのインタビューであった。


 昔風の封建的な家庭に育ち、短大卒業後平凡な結婚をした一介の主婦が、初めての男児出産後、自分の中の「何かしたい衝動」に駆られ、水泳教室に通い始めた。教室の帰りに立寄ったスーパーで「赤ちゃんの笑顔写真展」の応募ポスターを見かけ、わが子の写真を送ったところ入選作に選ばれた。そしてその写真が掲載された赤ちゃん雑誌の「ママさん編集者募集」に応募し、間もなく編集長となる。義母は反対したが、理解ある夫に励まされ、やがて編集長に就任する。プロとして多忙な毎日を送っていたが、夫や友人との会話をきっかけに時間が自由なフリーライターに転じる。


 執筆の合間にテニス教室に通うなど相変わらず多忙な日々を送る中で、あるとき夫の同僚の結婚式に一家で招待され、遠い島根に旅行した。その帰途、5歳の息子と途中下車しながら、ゆったりした旅を初めて楽しんだ。実はこの旅が後にスペイン行きの伏線となる。3年前から有志と始めた「かえで児童文庫」、絵本の読み聞かせからカレー大会など地域貢献活動も軌道に乗ってきた。と、ここまで状況が次々に変わるが、これは実はいわば著者の人生の導入部に過ぎない。


 ある日、いつもの「何か新しいことへの衝動」が著者を突き動かす。今回は5歳の息子と一月以上どこか外国で暮らそうと思い立った。雑誌編集時代の知人にスペイン行きを勧められ、まずスペイン語の勉強を始める。3年後「かえで児童文庫」の縁で知り合った家族が、妊娠中の奥さんを含めスペインに赴任することになり、その出産の手伝いに息子を連れて後を追う。出産とその後の経過は順調で、当初予定した6週間の滞在予定に余裕ができたので、息子と二人スペイン各地を旅行し、パリ経由で帰国する。


 二度の訪問でスペインが気に入った著者は、次の訪問の機会を狙い、語学力向上のためスペイン語の猛勉強を始めた。そして旅費を稼ぐため広告会社の企画ブレーンと、育児雑誌の料理ページ執筆という仕事に就く。そして3年後夏休みを利用して、小学校3年生の息子と3度目のスペイン旅行に出かけた。セビーリャで一月暮らし、夏休みの終わる息子を帰国させた後、一人でスペイン料理の食べ歩き旅行を2週間してから帰国する。


 さあもうこうなると止まらない。半年後には一人でスペインに戻り、バスク地方とマドリードでホームステイしながら家庭料理を習う。帰国後料理教室を開き評判となる。毎年スペイン各地を訪れその地方の料理を習得したが、遂には現地の料理学校に10ヶ月留学し、最終試験を受けて権威ある合格証書を手にした。スペインと日本を往復すること22回。講演、執筆、料理教室、スペイン料理店オーナーと八面六臂の大活躍だ。高知のハチキンとはこのような女性をいうのだろうか。


 著者は料理習得を通してスペイン文化に触れ、日本との違いについて深く考えるようになった。スペイン人は日に5回の食事をし、皆ゆったりと自分の人生を楽しんでいる。これは、食事もそそくさと済ませて馬車馬のように働き、日々の暮らしに追われている日本人とは正に対照的だ。料理研究者としてスタートした著者は、スペイン文化の伝道者に成長し、今や日本のみならずスペインでも知られる存在となった。


 本書を読了して不思議に感じたのは、いつも著者を中から揺り動かす「何かしたい衝動」である。一つ目標を達成するとそれに安住せず、次なる目標を追い求める。今から10年以上前NHKが「DNAと性格」について放映した際、「特定のDNA配列が繰り返される回数が多いほど現状維持・安定志向」型が強くなり、少ないと新規志向・開拓精神が強まる」と聞いた記憶がある。そして民族的にも日本は安定指向型が多く、アメリカは新規指向型が多いのだそうだ。ある分野で成功しても、その地位に安住することなく、新しい目標に挑戦する著者のDNAは、間違いなく短いのであろう。


 著者は新たな挑戦を始めたときしばしば、「ホテルも予約せず訪れた見知らぬ土地で途方に暮れる」など何度も困難に直面するが、その度に奇跡的に救いの神が現れ事態が好転する。偶然の連続は不思議だ!何故著者は無計画に行動を開始するのか?奇跡的解決が度重なるのは何か訳があるに違いない。そもそも義母や家族、自分の母まで反対する中、スペイン行きを後押ししてくれる夫と結ばれたことも不思議。すべて著者の思い通りにことが運ぶよう周囲が整っていく。


 自分の過去を振り返ると著者ほどではないが、人生の節目で思わぬ幸運に出会ったことが何度もある。当時は自分の意志で進路を選び、自分の努力で事態を好転させたと思っていたが、歳をとった今日、「これすべて目に見えぬ大きな存在の意志ではないか?自分はそれに生かされているのではないか?」という思いが強まってきた。著者のバイタリティに感服すると共に、人の上に存在する何かの力を感じた一冊であった。

(狸吉 2014年6月16日)

ジパングの海 資源大国ニッポンへの道/横瀬久芳(講談社+α新書 本体880円 2015年5月20日第一刷発行)


著者プロフィール

60年新潟県生まれ。84年新潟大学理学部地質鉱物学科卒業。86年新潟大学大学院理学研究科修了。90年岡山大学で博士号を取得。熊本大学準教授。

欧米には確固として存在する「海洋学」の必要性を説き、日本国内でこの分野を始めて開拓。地球のプレートが沈み込む場所、すなわち日本列島周辺の海底鉱物資源の可能性を研究する。

2011年、奄美大島沖の海底火山からレアメタルに富む鉱石を発見。13年秋には、トカラ列島における海洋調査が「NHKスペシャル」で特集される。熊本大学で主宰する「初めて学ぶ海洋学」は、入学者の実に40%強が受講するマンモス講義となる。


目次

はじめに 火山と地震の「恵み」を享受するジパング

第一章  黄金の国ジパングの真実

第二章  資源大国・日本を支えた鉱山群

第三章  豊富な金・銀・銅の秘密

第四章  トカラ列島の宝探し

第五章  海底資源戦争

第六章  世界が羨む海洋国家・日本

あとがき 船酔いに遭いながら見続けた夢


書店で本探しをしていて目に留まったので、即購入。それは、日頃から日本にはエネルギー戦略や資源戦略がないと感じているからである。資源やエネルギーに乏しい日本だからこそ国家としての戦略が必要なのだが、今でも放置されたままである。

 この際だから言わせてもらうと、エネルギー戦略がないから、福島のメルトダウン以降「原発はいらない」だけが右往左往している。私だって原子力がないに越したことは無いと思っている。しかし、エネルギーのない日本にとっての原子力発電は必要であると現時点で(今までも)考えている。将来代替エネルギーが確保されれば、原子力を廃止すれば良いのであって、そこへ到達する道筋もエネルギー戦略が示すシナリオに従って国家・国民を挙げて粛々と進めれば良いだけの話である、と考える。だから、資源のことに関する本書は思わず手にした次第。

構成は

1〜3章では、鉱山史や鉱床の地球科学的解説を通して概観。従来ノーマークだったトカラ列島が、金属資源探査の候補地としてなぜ有望なのかを示し、そこにジパング復活のかぎが隠されている事実を解説している。

4〜5章では、トカラ列島における海洋調査の実態をドキュメンタリー風に報告している。2011年の功績発見や13年のNHKスペシャル出演のエピソードを盛り込んでいる。

6章では、今後日本が海洋教育とどう向き合うべきかを示している。

 現在、日本で商業規模で金属資源を採掘できるのは「菱刈鉱山」(鹿児島県)だけ。黄金の国は本当なのか。実は江戸時代は、金や銀の輸出(代価として)であった。石見銀山が主役を演じた頃(16世紀後半〜17世紀初頭)は≒200t/年で、これは世界の産銀量の1/3。今は乏しいが、海底資源開発で再び黄金の国になりえると言うのが本書の主張である。

 しかし、やみくもに探しても調査しきれない。著者はかつての資源大国は火山のカルデラにある鉱山に依存していたので、海底火山のカルデラを狙えば良いという発想で探査をしてきた。黒鉱(金、銀、銅、亜鉛、レアメタルなどを含む)は精錬方法が確立されてから有力な資源となったが、これは火山活動によって持たされた熱水が、地中ではなく海底面に到達し、冷却され多量の鉱石を沈殿させたものと考えられている(即ち、海底の巨大カルデラ火山活動で出来たものである)。

 だから、「トカラ列島」に金鉱床がある筈と言う。そして、(地方大学だからが故の)乏しい研究費をやりくりして、船舶によりドレッジ(ワイヤーでチェーン製バッグを底曳きする)お宝(黒鉱)をゲットした。この場所は狙いを定めて何度もドレッジした結果である(07年〜7年間)。

国の機関がどこなのかしつこく聞いてくるが、肝心のことは教えない。今までの経緯から国の機関がまともなことを進めるか疑問だからである。しかし、海底火山フロントでは産総研が徳之島西方≒70kmで熱水活動を発見(13年7月)。海上保安庁が第一奄美海丘上で熱水活動の兆候を報告(13年10月)。

可能性は十分にある。しかし、今のままでは開発が野放しになり、海洋汚染が留めもなく進み、世界的な環境汚染にもつながりかねない、海底でも鉱毒問題は避けて通れないからだと著者はいう。

 これから、国家的な取組みのもとに、資源開発が粛々と行われれば、日本は世界が羨む真の海洋国家となり、世界をリードする黄金の国ジパングが復活する筈だ、と著者は結んでいる。

 地方大学の準教授が、自分の夢を追う姿がドキュメンタリー風に記述されていて楽しい。

これぞ男のロマンである。

(恵比寿っさん 2014年6月18日)

 エッセイ 

卑弥呼と邪馬台国


先週、NHKのTVで、歴史秘話ヒストリア古代史ミステリ!なる番組が目に留まりました。

卑弥呼や邪馬台国をメインにしていましたが、推論しか出てこず、残念で空しく思えました。途中で電源を切ってしまいましたが、世間ではホツマツタヱのことが知られていないのと、例え知っていても表ざたできない制約が、今も昔も取り巻いていると悟りました。


現在、我々庶民を取り巻いている政治の世界も、原子力の世界も、放射能汚染の問題も、医療の世界も、食の問題もいずこも、権力者にとって都合の悪いことは伏せられて表に出せない現実があることを改めて思い起こした次第です。


他の人が知らなかったり気が付かない事実を自分が知っていれば教えたくもなり、分かってもらいたいと思い、ホツマツタヱの記述の観点から解説させていただきます。


一つは、現在発掘中の大規模な宮殿跡の纏向遺跡と卑弥呼の関係:

番組では、この纏向遺跡を卑弥呼の住まいであったのではないかと推測しています。神殿の作り方は九州の遺跡と同じで関連があったと考えられ、更には、この遺跡からは、全国各地からの陶器も発見されており、各地と交流があったことを解説していました。


ホツマツタヱ38綾を読めば、纏向遺跡は景行天皇(人皇12代・ヤマトオシロワケ)の住まいであり、いわゆる卑弥呼とは関係がないことが明らかになるのですが、・・・。

景行天皇のお妃たちは、播磨の吉備津彦の娘「おいらつ姫」、紀の国のうじまろの娘「やまとかけ姫」、美濃の「やさかいり姫」、その他、三尾(安曇川)など、更に九州時代の日向には「みはかせ姫」も含め8人おられました。お妃として嫁ぐときに、地元の陶器も持参されてきていると考えれば出土して当然のことと考えられます。

景行天皇は父垂仁天皇の皇子で、ヤマトタケを含めてお子さん総勢81人も居たことが記されています。


では、卑弥呼とは誰?という疑問について、まず漢字が分かりにくくしています。

ホツマツタヱを読んでいると、「ヒミコ」とは、「ひのみこ」・「ヒ」の「みこ」、すなわち、日・太陽の皇子という意味から、天照神の子孫のこと、天上の神をお祭りする役目でもあることが読み取れます。つまり、個人名ではなく、役目につけられた名前のことです。


この天照神の御霊を守る役目であり、後に斎女と呼ばれており、魏志倭人伝の書かれた頃の斎女(ひのみこ)は「やまと姫」の事を示していると考えます。


 この斎女は初代が「とよすき姫」、2代目が「やまと姫」3代目が「いもの姫」と続きます。

丹後・宮津の「あさひ宮」に祀られていた天照神の御霊と豊受神の御霊は伊勢に移されます。


 斎女「やまと姫」は腹違いですが景行天皇の姉にあたります。


「やまと姫」が引退して「いもの姫」に引き継がれる時、80人の物部と12人の役人が一緒であったことが分かります。景行天皇の妃・子供たちとほぼ同じ人数を引き連れていたことになります。伊勢の斎宮跡が今後発掘されてくれば、今の纏向遺跡の規模に勝るとも劣らないものではないかと推測しています。


更にここでは暦も作っていたという記述から、天体観測もしていたと思われ、魏志倭人伝の鬼道を占うという表現とも合致します。

「いもの姫」は引継いだ時の年齢が14才とあり、魏志倭人伝の年齢13才の記載はとほぼ同じと見なせると思います。ですから、斎宮が「ひみこ」の住まいであったと言えると思います。


では、問題の邪馬台国の所在はどこか?について、畿内説、九州説と相変わらず盛んですが、見当違いの思い込みで言い争いをしているようで残念です。大和朝廷の目から見ての考察が主になっており、紀元前からの整然とした歴史の流れをホツマツタヱから読み解いていくと自ずと見えて来るのですが、今までのご自分の立場を守るためにもホツマツタヱを無視せざるを得ない状況であるから已むを得ないと思っています。


今までの自分が理解している範囲ですが、現在、伊勢神宮の外宮に祀られている豊受神は、生まれ育ったところは仙台・日高見です。イザナミ・イザナギを結びつけて、当時の天皇家の代が途絶えそうになったことを救い、孫に当たる天照神を教育してきました。

更に、西王母が二度も豊受神の所に教えを請い訪れているという、俄かには信じがたい記述もあり、豊受神の日高見、今の仙台地方が、まさに日本の中心であったと分かります。


「やまたい国」の「やまたい」ですが、現在の漢字の仙台の人偏をとれば、山台となります。「やまたい」と呼ばれていた地名に、後世漢字を当てはめ、時代と共に音読みに変わったと考えることが出来ます。


ここで、「やまたい」の「い」を敷(鴫)居や鴨居のように居場所と捉えれば、「やまた」のいた所、ある所、在り処と理解できます。


「やまた」という地名が仙台市に存在します。仙台市太白区山田という地名も存在します。付近には古代遺跡も多数点在しているようです。


次に、この「やまた」の意味ですが、「やま」は山、「た」は宝の「た」から、山の宝、金や銀などの貴金属、或いは、銅や鉄などの金属も含まれるかも知れません。正に黄金が山の中にあるという場所を言い表していることに気が付きました。金が埋もれている所が「やまたい」という表現になったと考えます。

漢字化され、山田とも表されていますが、田は田んぼの田で、掘り起こして(耕して)、金属を取り出し、山から取り出した宝の意味と捉えていたことが分かります。


天照神は「いぶきど主」に「やまた縣(あがた)」と「いふき主」という名前を賜わっています。「いふき」には伊吹山もそうですが、鋳物を吹くという意味合いがあり、まさに精錬していたことも分かります。


西王母が2度も日本に来たのは、ホツマに記載されている表向きの理由とは別に、マルコポーロより以前の紀元前にも黄金を土産にしたかったのではないかと思いを馳せました。


これらのことから、「やまた」・「やまたい」は、この豊受神の日高見、今の仙台地方を示していたことになると思います。

分かりやすく言えば、現在の伊勢神宮の外宮の御祭神である豊受神が政治をとっていたところが「やまたい国」であったということになります。


また同じ「やまた」でも「やまたのおろち」の「やまた」の意味も山の宝のことで、「おろち」はこの宝、銀・銅・鉄などを精錬するとき、付近に鉱毒による汚染の危害が及び大量死を招き大蛇のように恐ろしい悪者が現れたというのが本来の意味合いであったのではないかと思います。


なお、三重県にも宇治山田という「やまた」が、大山田村と伊賀地方にもあり、「いぶき」とも関連あると考えられますが、更に解読が進んだ次の機会にいたします。

(ジョンレノ・ホツマ 2014年6月12日)

「アベノミクス」よどこへ行く


困った爺さん二人組がまた騒ぎ始めた。言わずと知れた“脱原発”を唱える小泉、細川の元首相お二人だ。脱原発が望ましいことはだれでも知っているが、簡単にいかないから問題なのだ。「いま原発が停まっているがやっていけるじゃないか」と小泉さんは言ったようだが、その後しっかり電気料金が上がって、皮肉にもアベノミクスの「第一の矢」が狙う物価上昇に寄与している。しかし電力料金のアップはアベノミクスの本命であるべき「第三の矢」の狙う経済成長ではこの先、足を引っ張る要因になる。


小泉元首相は、在任中は消費税を上げない方針を掲げ、その前に財政のスリム化を目指す姿勢を示した。安倍首相はそうした自民党政策の流れをあっさり見限って、1年前に自前の経済政策「アベノミクス」を打ち出し、今年4月には消費税導入に踏み切った。国民もこれを支持したのだから文句は言えない。しかし、アベノミクスの狙う意図的な物価引き上げ(リフレ=脱デフレ)と消費税というダブルの値上げ作戦は、いずれ再評価の時を迎えよう。


著名な経済学者ガルブレイスは、「富裕層は消費するか貯蓄するかを選択できるが、中間層や貧困層は消費する以外に選択の余地は少ない。したがって恵まれない層に配慮した方が富裕層配慮よりも経済にプラスだ」と教えたが、アベノミクスは逆を行く。


安倍首相はあの人この人、リフレ信奉の経済学者、エコノミストを招へいしてアベノミクスの脇を固めたが、中心人物は黒田日銀総裁だった。そもそも日銀の仕事はお金の発行量と民間銀行への貸出金利の上げ下げで、物価の乱上下を防ぎ物価の安定を図るところにある。その、物価の番人たる黒田日銀に安倍首相は、2%の物価上昇を目指せと指示し、そのために金融緩和でじゃぶじゃぶと資金を市場に供給しろと指示した。


しかし、いくら日銀が新札を印刷してお金の供給量を増やしても貸出金利を下げても、企業はモノが売れなければ商品の価格を上げる訳にもいかず、銀行からカネを借りて新規の設備投資をする気にならない。サラリーマンなど個人も所得が増えなければモノやサービスを買う気にならずローンを組んで家を建てる気にはならない。年金暮らしの高齢者は生活防衛に回って財布のひもを締める。

したがって、金融政策だけでデフレ脱却を図るのは無理なのだ。今の物価上昇はまったくコスト・プッシュ型の悪い物価上昇だ。すなわち、アベノミクスの金融緩和で資金がダブつき、円安を招いて輸入原材料の上昇を招いたことと、原子力発電の停止で電気料金の値上げを招いたことによる物価上昇だ。


そもそもアベノミクスの「三本の矢」は、デフレ脱却、財政政策、成長戦略だ。1つ目のデフレ脱却はすなわち物価の上昇を図ることであり、行き過ぎればインフレにつながる懸念のある経済政策だ。2つ目の財政政策は、公共投資を拡大してますます財政破綻のほころびを大きくする問題ありの景気対策だ。3つ目の成長戦略は本来もっともオーソドックスな景気対策、経済政策だがアベノミクスは民間の雇用拡大と賃金アップに期待するだけで、政府の具体的な政策がない。


しかし、国民はアベノミクスの失敗を望んではいない。政府のやるべき経済政策は見えている。「いかなる岩盤規制も私のドリルを避けられない」と豪語したそのドリルで、“票田”を恐れずに農業や医療の岩盤規制に穴を開け、TPPで大きく踏み出すことだ。


(山勘 2014年6月16日)


色の道は難しい


絵描き仲間はよく「色の道は難しい」という。男女の色の道に引っ掛けての冗談だが、確かにどちらも一筋縄ではいかない。「色」の意味は多様で、「色彩」の他にも情愛、色情、情人、趣むき、風情や、色をつける“おまけ”の意味まで文字通り色々だ。男女の色には赤が好ましいが時には青くなることもある。青くなることを色を失うというのも面白い。


「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」(ガイ・ドイッチャー著 椋田直子訳)によると、古代ギリシャの吟遊詩人ホメロスは「青」という色彩を知らなかったらしい。というのは、英国の政治家でありホメロス研究者でもあったグラッドストンが1858年に発表した研究書で、ホメロスの長大な叙事詩に出てくる色彩の描写は白、黒、赤に限られていて、色の表現方法もおかしいという。例えば海の色を「葡萄酒色の海(ワイン・ダーク・シー)」と表現していて、作品全体に「青」の視覚と表現が欠落していた。


その後、多くの学者、研究者によって色彩研究が進んだ結果、人間における色の知覚は黒白からはじまり、赤、黄と進み、それから緑または青の順で歴史的に知覚されていったことが分かってきたという。つまりホメロスの時代には感応性の程度がようやく黄色あたりに達したところで、芳醇な言葉を紡ぐホメロスもまだ「青」を知覚していなかったらしい。


画家モネが白内障をわずらって手術を受けた後、それまで赤味を帯びて見えていた睡蓮の池が、術後にぐっと青く見えて驚いたという話をだいぶ以前に何かで読んだ気がするが、たしかに青は赤など強い色より透明な光の色に近く“眼力”がなければ識別できない色かもしれない。青にはよく知られるようにラピスラズリという高価な原石から抽出する「ウルトラマリンブルー」と、もう一つは藍銅鉱という原石の銅成分からつくる「群青」がある。西洋人はこの2色を明確に分類するが日本人はその違いをあまり意識しない。


この本に「日本のアオ信号」の話があり、外国人にはその色が「どことなく普通でない」と見えるという。国際的にこの信号は「ミドリ信号」なのだそうだ。ところが日本語では昔から「アオ」は青と緑の双方を含んでいたので、公式には緑の範囲内でありながら、できる限り青に近い色合いの緑を選定して日本人の好きな「アオ信号」と呼ぶことになったそうだ。


日本語では「青は藍より出てて藍より青し」というように青と藍は“親子”であり、先のウルトラマリンも群青も、浅葱色など緑色の感じを含む寒色系の色まで含めて大雑把に青と呼ぶ。今では「アオ」と「ミドリ」は、はっきり別の色だが、それでもいまだに、熟さない緑のリンゴをアオリンゴと呼ぶ、というのは本書の指摘だが、これに限らず日本語の色は融通自在だ。未熟なのは人間でも青二才だ。青瓢箪も同類か。黒い馬をアオといったり、ミドリのクロカミにいたってはミドリかクロかどちらかに決めてくれと言いたくなる。


この本でもうひとつ面白かったのは、筆者のガイ・ドイッチャーが、十代のころから自分と他人が本当に同じ色を見ているかどうか悩み、「緑」のリンゴと「赤」のリンゴを自分と他人が逆に見ていても、話は一致するだろうと気づいたという話だ。実は私もずーっとその疑問を抱いてきたので、この文章に巡り合って我が意を得たりの思いがした。


色は、正しい「光」の中で「対象」の色を「視覚」で判別するわけだが、その三者のどれに歪みがあっても正しい判別ができない。それは世の中のあらゆる物事を見て正しく判別するためにも必要だ。特に「視覚」が重要で、まずは色眼鏡をかけて見ないことが肝要だ。


(山勘 2014年6月16日)