例会報告
第51回「ノホホンの会」報告

 2015年12月15日(火)午後3時〜午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、山勘、恵比寿っさん、本屋学問)

 今年も後ひと月を残すばかりとなりました。今回はジョンレノ・ホツマさん、高幡童子さんが残念ながら欠席でしたが、他の皆さんは元気に集合しました。今回の書感でとくに興味深かったのは、ソ連崩壊後のアメリカが自信過剰になり、国民への配慮を止めてしまった、だから、もっと市民生活に目配りする必要があること、これは今の日本にもいえることです。そして、かつての“農薬=毒”といわれた時代と違い、現在の農薬は健康や環境を十分に配慮した研究開発がなされていて、それが日本の農業全体の高品質、高生産性を支えているそうです。客観性のある科学的検証は、これからもいろいろな分野で必要かもしれません。


(今月の書感)

「異端の人間学」(致智望)/「農薬の話ウソ・ホント?! あなたの理解は間違っていないか」(恵比寿っさん)/「ウイスキーと私」(狸吉)


(今月のネットエッセイ)

「貧しい心」(本屋学問)/「高齢者とスマホ」(恵比寿っさん)/「再読すべき『終戦の御詔勅』」(山勘)/「再読すべき『終戦の御詔勅』続」(山勘)/「漂流するアベノミクス」(山勘)


(事務局)



 書 感

異端の人間学/佐藤 優・五木寛之著(幻冬舎新書 本体780円)


この書は、佐藤 優と五木寛之の対談形式で書かれている。ここで主題となる「人間とは何か」その人間について深く知る為に、キリスト教神学やマルクス経済学を勉強してきたと言うのが佐藤 優であり。一方、五木寛之は、現場を観て体験をしつつ取材をして来た人で、その五木寛之と正面から語り合う内容となっている。著者の佐藤 優は、人間力を付けるための究極の実用書となったと言っている。

将来のことは、アメリカの資本主義が何処までもつか、自らのシステム崩壊を防ぐためにあらゆる努力をしてゆく過程で、その構図は、おのずとロシヤの存在感を浮かび上がらせて行くことになると言う。と言う事で、この二人の対談は、「人間を見よ」と言う切り口で論じ合っていて、今、世界で起きている諸問題の原点を理解する上で欠かせない深層が語られている。

私は、五木寛之の小説、「さらばモスクワ愚連隊」、「蒼ざめた馬を見よ」を読んで無い。この小説からロシヤ人の本質が見えると佐藤 優は言う。佐藤 優のロシヤへの見識の深さは判っていたが、五木寛之の見識はまた違った角度、現場力の凄さを想像するが、この人の作品には、ロシヤ人の本質が良く表れていて、ロシヤを知る上で優れた資料だと佐藤 優は言う。

ソ連崩壊によって「新自由主義」が生まれ、世界を席巻していると言う。その一つに、スノーデン事件でも明らかになったことだが、アメリカは非常に幼稚な思考でしかインテリジェンスや監視社会を捉えて居ないことが明らかになり、この事件の一つの意義で有ったと言う。データー主義の貧しさ、データーを集めてもテロ対策に役立っていない事実、スノーデンはコンピューター技術に関して飛び抜けた才能の持ち主であるが、人間性が極めて幼稚で、職場から知り得た事実に仰天して人間が変わってしまったと言う。このアメリカの新自由主義的な幼稚性は、ソ連の崩壊とも無縁で無く、それによって「国家の仕組みが変わった」と言うのが面白い。

アメリカの金持ちは、人口の5%位だそうで、ソ連崩壊前は政府の強度な累進課税制による再分配に、仕方なく従っていた。言ってみると、共産主義が資本主義の暴走の歯止め役になっていたと言う。ところが、共産主義の脅威がなくなって、自由主義世界全体が、弱肉強食の社会になってしまった。今では更に、自分たちの富を増殖するシステムがより強化される方向に向かっていると言う事実。

面白い事に、今世界の別荘地や高級住宅地の一等地は、ロシヤ人で占められているそうだ。国家崩壊時に国有財産を分捕った結果で、殺し合いをしながら分捕り合戦をしたと言う。それが、プーチンが権力を握るまで続いたというから、そんな昔話ではない。こういう時代背景の元で東欧世界が揺さぶられつつ現在に在に至ると言う事実を理解しないと、世界の力関係図が見えてこない。最近の日本人は、政治家、企業家を問わずロシヤへの知識や知ろうとする努力に欠ける、政府の要人に付くロシヤ語通訳なども、酷いもので社会経験が乏しい通訳者に重要な外交通訳など出来る筈はない状態と言う。

本書の後半は、世界の宗教がその土地、国家に及ぼす人間力に付いて語られている。米国の国家戦略は、政治に占める多数派であるイスラエルへの行動が主体であり、その結果、幼稚さが何時もみえみえ、イラクに始まるイスラムへの対応などはその典型で、諸悪の根源はここから始まっていると言う。

本書の後半は、宗教との関わりが多くの紙面を占めている。ウクライナの問題やポーランドがヨーロッパで嫌われる傾向にある事なども可なり詳しく述べられており、東欧諸国の問題根源など知れば知る程に、その複雑さ故の原因を改めて知らされる。そこには、宗教との関わりが我々の想像以上に大きい事、例えば、スペインに資本主義が育っていないのは、金持ちが社会に投資しないで、教会に寄贈する習慣が有ったからだと言う。スペインの、国家分裂の危機、カタルーニア独立問題などさもありなんと思うのである。

社会の生い立ちと宗教の関係は、今日の世界のみならず、明日の世界問題に引き続く元凶、改めてその深層を知る事で、世界情勢が益々キナ臭く漂ってくのではないか、と理解した。

(致智望 2015年11月25日)

農薬の話ウソ・ホント?! あなたの理解は間違っていないか/化学工業日報農薬取材班(化学工業日報社 本体1,165円 1989年5月1日初版発行)


はじめに

序章

第1章  農薬の現場から

第2章  農薬のウソ・ホント

第3章  農薬開発はこうして行われる

むすび

参考文献


昔、ゴルフ場の農薬が原因で公共水域が汚染されて生態系に影響が出てTVや新聞をにぎわした。これは1980年代も終わりのころであったが、国民に大きな衝撃を与えた。

そしてそのニュースに接した国民は今でも農薬が当時と同じ理解であり、農薬に対して誤解していると思う。


かくいう私も芝草管理技術者の受験で農薬の勉強をしたにもかかわらず、全く同じ考えでいた。しかし、最近は農薬汚染の問題やそれによる事故死など滅多に聞かないので、この道の諸先輩にいろいろをしつこく聞いた (どうやら、業界関係者の間では、とっくにこの問題はクリアーされていて問題にすらならないという事らしい)。


現状の農薬は30年も前とは全く様子が違い、一般社会や人への影響は無い(実際にはZEROではない)と考えて良いようである。

 で、あまりしつこく聞き出すものだから(?)、業を煮やして紹介してくれたのが本書である。


本書の発行時点で既に「農薬ってホントにそんなに悪い者なの?」というスタンスで書かれている。

結論としては、製剤そのものが昔と違い、必要な時に必要な量を使用するので、残留したり公共域に排出されることの確率は極めて低いと言える、ということ。


第1章では三ケ日みかん、岡山の白桃、青森のリンゴや宮城のササニシキ、掛川のお茶などについて農家の声をルポしているが、概して適量の農薬は必須でかつ安全に使用していることが報告されている。


第2章では当時巷に流布されていた「農薬はワルモノ」という事に関しての検証で、農薬はどこまで安全でどのくらい危険かということを詳しく調べている。例を挙げると

農薬は毒 虫を殺したり草を枯らすので人間にも有害

人に有害かどうかは質と量で要検討。水道水の塩素で金魚は死ぬ。濃度が高ければ人間でも死ぬ。水道水には0.1ppm以上の塩素を含むことが義務付けられている(水道法)。これでは人は死なないが、バクテリアなどの有害生物を死滅させるために飲み水に注入している。人間には閾値以下であるからである。水はこの程度であるが、用量によっては薬だって毒になる。酒は適量は良いが度を越せば毒になる。

パラチオンと言われた有機リン酸系の殺虫剤は急性毒性が強くしばしば事故になり、71年からは失効した。

当然、科学の進歩とともに毒性試験も進歩したり、環境への影響も把握し、農薬の成分や製剤も変化してきている。

また、農薬は作物に残留するが、全くZEROとすることは不可能だが、一生涯摂取しても影響が出ない量をもって基準にする。

農薬には発がん性がある? 端的に言えばこれは農薬として認可されない。

農薬は生態系を変える?蛍がいなくなったのは農薬が原因か。あらゆる人間の営みが生態系を変えたのは事実。人間が都合よく生きるために生態系が変った、というのが正しい。

日本の農業は薬漬け?使用量は多いが、これは日本の気象条件(夏の高温多湿)による、必要以外の量を農家は撒かない。

農薬を使っても収量は増えない?とか有機農業の作物は美味しい、農薬に関する法整備は不十分?とか


第3章では、農薬開発の裏話など。素晴らしい農薬が10年もかかってほぼ開発できたのに、慢性毒性試験の104週間を過ぎてラットの腎臓に病変が見られたことで断念することなど涙ぐましい努力が報告されている。


本書では直接言及していないが、農薬は効果選択性のある薬剤を残留しない製剤をタイミングよく必要最小限に使用することで効果を高く、他の生態系に影響を与えないような使用の仕方が良いわけで、これは作物の知識だけでなく病気や害虫さらには農薬の知識も持ち併せる必要があるという事を最近の農業は求めているという事であろう。

(2015年12月8日 恵比寿っさん)

ウイスキーと私 竹鶴政孝著(NHK出版2014年 本体1,500円


ニッカウイスキー創業者が自らの人生を振り返る自伝の改訂復刻版。昨年から今年にかけて放映されたNHK朝の連続ドラマ「マッサン」は本書を基に脚本が書かれた。


1894年(明治27年)広島の三代続く造り酒屋に生まれた著者は、家業の後継者として期待され、大阪高等工業学校醸造科を卒業後、修行のため摂津酒造(後のサントリー)に入社する。当時摂津酒造はアルコールに添加物を加えた「模造洋酒」の筆頭メーカーであったが、阿部社長は「日本で本格的なウイスキーを作ろう」と思い立ち、竹鶴を1918年(大正7年)留学生としてイギリスに送り出す。


著者は4年間の海外留学中にスコットランド・モルトウイスキーの製法を学び、生涯の伴侶リタとも結ばれた。しかし、その時代国際結婚は双方の家族が猛反対!阿部社長はまず竹鶴の家族を説得し、次いで自ら渡英してリタの家族も説得した。意気揚々と帰国した二人を待っていたのは、不況によるウイスキー製造の中止だった。


やむなく摂津酒造を退職したが、その取引先である壽屋(後のサントリー)の鳥居社長に三顧の礼で迎えられ、山崎にウイスキー工場を建てた。最後は北海道の余市にスコットランドと似た環境を見出し、ここに長年の夢であった、スコットランドと同じ製法でウイスキーを醸造する工場を建て独立した。それから戦争、敗戦、戦後と波乱の時代を潜り抜け、最後には本場スコットランドで地元のウイスキーより高い評価を受けるまでに至った。


本書を読み進むうちに、痛快かつ波乱万丈の話の展開に興奮してくる。しかし、著者は「自分の成功は多くの人々や運命から受けた恩恵のおかげ」とあくまで謙虚である。それは事実かもしれぬが、そもそも著者のこのような人柄が周囲をその気にさせ、いくつもの幸運に恵まれたのであろう。


終わりに「竹鶴コラム」なる章があり、「ウイスキーの正しい飲み方」を教えている。著者によれば、ウイスキーの香りや味を楽しむにはストレートがベスト。ただし胃の粘膜を刺激しすぎるので、毎日飲むならウイスキーを倍量の水で水割りにし、アルコールを12〜13度に調節すべき。水は冷やしすぎると香りが消えるのでビールと同じ8〜9℃が適温だそうだ。


本書を読んで、竹鶴氏の主張する「ウイスキーは文化なり」という意味が少し分かった気分になった。


(狸吉 2015年12月12日)

 エッセイ 

再読すべき「終戦の御詔勅」続


先に、「再読すべき終戦の御詔勅」を書いた。これはその続編である。続編ではあるが、「終戦の御詔勅」資料ご恵送の折りに山中一氏より最初にいただいた手紙である。したがって筆者名は氏の名前にさせていただいた(山勘)。


前略 秋も日毎に深まって参りました。


先日、日刊工業新聞100周年でお会いしました時、お話ししました「終戦の御詔勅(写)」をお届けします。「耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ビ難キヲ忍ビ以テ萬世ノ為ニ大平を開カムト欲ス」はTVなどでも聞きますが、全文は余り普及しておりません。1945年8月15日の放送も当時のラジオは雑音ばかりで聞き取れませんでした。


私は平塚の海軍工廠の焼け跡の広場で聞き、ラジオ放送の後、配属将校の訓話で戦争終結の放送であったことを知りました。それより2週間前に父を爆撃で亡くしていたので、あと2週間早ければ父も死なずに済んだのにと涙しました。それから数日後、海へ泳ぎに行った時、米軍機の飛来に思わず身構えましたが、操縦者は手を振っており、私達も手を振りましたが、戦争は終わったことを実感しました。


戦後70年、この夏、新安保のことが問題になりました。戦争は嫌いです。ですが、戦いは勝たねばなりません。負ければ正義はありません。平和を保つためには勝ち馬に乗らねばならないと、少し考えられるような年齢で負け戦を味わった私は思います。


私が生まれたのは1930年、それから終戦の1945年まで、日本は戦に明け暮れていました。それが一変したのは1944年6月を過ぎてからです。米軍に制海権、制空権を取られてからです。それまでの戦はすべて国外でした。しかし1944年以降、戦争の影が国内に及んできたからです。


安保が議論され出すと憲法9条が問題になります。我々は平和憲法として有り難がっていますが、この憲法は我が国のものであり中国、韓国のものではないのです。したがって中国も韓国も北朝鮮も守る必要はないのです。


日本を支配しようという国は、日本にスキがあれば攻め込むでしょう。不可侵条約を踏みにじってソ連は弱った日本へ攻め込んで北方四島を実効支配しました。9条は世界に誇れるものです。それを実効あるものにするためには、力が必要です。平和維持のためには、汗をかかねばなりません。安保は「戦争安保」ではなく「平和安保」です。


70年前、私の2年先輩は、日本のというより親や兄弟のための平和を願って、17歳の命を散らして逝きました。その上に今の平和があると思います。どこと組むか、勝ち馬に乗る必要があります。


11月13日、フランスで大きなテロがあり、129人という多くの人が亡くなりました。終戦に当たり、天皇は「感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起こしたり―進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことはするな」と詔勅で諫めています。最近の中東、欧州等のイスラム過激派の指導者とは随分と異なっています。そして国民もそれを体して、困難の中、再建を果たしてきました。テロでは幸福は得られません。


戦後70年、終戦の詔勅を読み返して見ると、やはり70年の繁栄の土台は詔勅にあったのかなという思いがします。


これから寒さに向かいます。くれぐれもご自愛下さい


 (山中 一 2015年11月)


漂流するアベノミクス


どうもアベノミクスの先行きが冴えないものになってきているようだ。個人消費も輸出も強さに欠け、企業の収益は過去最高レベルが続いているにもかかわらず、企業は溜めこむばかりで設備投資や賃金に回わさない。安倍首相は、新3本の矢で、「GDP600兆円」を2020年ごろ達成する、という景気の良い成長目標を掲げたが、旧?3本の矢が目指すデフレからの脱却もままならず、黒田東彦日銀総裁が“もう少し待ってくれ”と言いた気な状況では、GDP600兆円達成に国民の多くが首をかしげるのではないか。


ところが安倍首相は、金融政策でデフレ脱却を図り、それによって経済成長を目指す姿勢を変えない。安倍首相にデフレ脱却のためのインフレ目標政策を教えたのは最近表に出なくなった浜田宏一(米イエール大学名誉教授)だとされるが、いまや表の中心人物は黒田日銀総裁だ。その黒田総裁に知恵を付けたのが伊藤隆敏(元東大教授)だと言われる。


最近、朝日新聞(11/13)が、NYタイムズのコラムから、ポール・クルーグマン(米プリンストン大学教授、ノーベル賞経済学賞受賞)の「緊縮の悲劇・予想を超えた」という論考を紹介した。クルーグマン教授は「2008年経済危機の後、2010年、大西洋の両岸にいる政策エコノミストたちは、失業率を心配することをやめ、代わりに財政赤字の心配を始めた。政府の借金が問題だという十分な証拠はないが、経済が低迷するなかで歳出を削減すれば不況が深刻化する、という証拠なら山ほどある。不況下で財政支出を削減した国は、自らの経済を傷め、将来の税収にも打撃を与える。国の借金さえむしろ増えてしまう」と警告する。金融重視のクルーグマンの変節にもみえる指摘だが、「そんな指摘を私たちの何人かがしたが(重鎮やみんながそう言っているからという大勢のもとで)それも無駄だった」とボヤき、「正統派の経済政策を広く再考すべきだ」としている。


しかし例えば、猪木武徳著「経済学に何ができるか」では、「現実に起きている経済問題は、純粋な経済学上の問題ではありえない。経済を動かす人間は経済原理だけでは行動しない。現実の政策決定は、経済的な論理と政治的な価値という相反する価値の間での選択を行わなければならない」と言っている。どちらにも一理ある。


ともあれ、正統派の経済政策といえば、需要を喚起する財政投資を重視する財政政策のジョン・メイナード・ケインズが代表だ。威力に陰りをみせたケインズに代わって経済学の世界を席巻したのが金融緩和で不況を克服できるとする金融政策のミルトン・フリードマンだ。ケインズの財政政策、フリードマンの金融政策、いずれもほぼ一世紀を生き続けている正統派の経済原理である。クルーグマンは、先の記事では「需要」を重視。安倍内閣はもっぱら「金融」を重視する。二人には面識がある。


クルーグマンは経済成長のための「需要」を金融で煽ることを重視する。ケインズも金融政策を無視しているわけではない。経済成長の過熱で起きるインフレという行き過ぎた物価上昇を抑えるためには、金融引き締めを行って市場の過剰な資金を回収すべきだとする。これが中央銀行、日本で言えば日銀の正当な仕事だ。


経済成長は個人消費と設備投資と輸出の伸びで決まる。消費も投資も輸出も「需要」がなければ伸びない。いくら日銀が新札を印刷して歴史的金融緩和でお金の供給量を増やしても貸出金利を下げても、個人は所得が増えなければモノやサービスを買う気にならず、企業はモノが売れなければ新規の設備投資をする気にならない。


クルーグマンは「間違っていたことを認めようという人物がいかに少ないことか」と嘆いている。安倍首相は、いまだに金融緩和でデフレ脱却と景気回復ができると強弁するが、肝心の需要が水面下で漂流するアベノミクスの現実を直視して、経済政策の狙いを需要喚起にシフトさせ、旧3本の矢の第3目標である経済成長を目指すべきではないか。


(山勘 2015年12月日)

高齢者とスマホ


私がスマホを使いだしてから2年6か月になろうとしているが、直近半年間で高齢者のスマホ利用が目につくようになった。団塊の世代が退役して個人使用が増え始めたのかも、だ。

若者はスマホを使いこなすが故に弊害もあるように思うが、進歩的ツールを活用して、仕事の効率が高まるなら、大いに活用を歓迎する。ただし、彼らがNET至上主義で、何も考えずにNETに依存し、人間同士の会話や思考力・創造力が劣化しないように願うばかりだ。


若者の使い方を見ると、仕事ではなく、ゲーム(時間潰し?)に興じる人が多いのにも驚く。若いビジネスマンはニュースを見たり新聞をスマホで読むが、私は新聞は紙、TVは見ないがニュースはTVが良い。たかがゲームソフトのメーカーの業績が軒並み良いが、これで良いのか(余計なお世話か)。


何故スマホにしたか

PCを持ち歩くときに無線ルーターを使っていたが通信料が高価なので、スマホのテザリング機能を使って費用を削減する。


使ってみると便利

初めは使い勝手が分からずに困ったこともあったし、今でも十分に使いこなしているとは言えないかもしれないが重宝している。高齢者に問われると「高齢者にとって最強の武器」と答える。


 機能面でいえば、①スケジュール管理(Google Calendar)はPCとスマホで同期できるので、どこにいても便利に使える(先約優先主義の私には必須のツール)。②クラウドの活用でどこでもドキュメントにアクセス出来てメンテできる(重要なものはクラウドには置かない)③検索や辞書機能の活用(今や何でも使える)④アプリが豊富、以上これらが全て無料。こんな贅沢してよいのか!④カメラが高機能なので、基本はカメラを持ち歩かなくて済む。


問題

1)通信費がまだまだ高い。自宅では(モバイル通信を)Wi-Fiに切り替える!ことで通信量は節約できるので、そういうlight userには基本料金を下げてほしい(たとえば1GB/月で今の半額とか)。端末代金や値引きの原資を通話料に載せ替えるという卑劣なやり方(現行)はやめてlight user向けの料金体系も作るべきだ。

2)初めて使うのにわからないことが多い
PCオタクとも言える方が最近スマホに切り替えた。ICTに大変に詳しい方だが、私と同じように初期的な場面ではショップに聞きに行った。電話やメールなどの基本機能の使い方やスマホの基礎的なことは販売時に十分に説明してほしいものだ。聞けば親切に教えてくれるがその前に、だ。


4.本来の使い方

仕事や教養を高めるために使うのが本来のスマホの使い方であろう。昔PDAなるツールが出現。私はZAURUSを20年以上(4代)使ってきたが、その頃から電話・名刺管理・電話帳(住所録)・カメラが一体化したものが欲しかった(当時は未だINTERNETという概念はなく、パソコン通信と言われる程度だった)がスマホは夢が実現してくれている。私はi−modeは使用経験なし。

最後にiOSとAndroidについて   私はiに縛られたくないのでA使用(Googleに縛られているか!)


 OS

I−OS  (iphone)

Android(iphone以外)

Artichicture

NETの端末

Computer

端末内にstrageなし

端末にstrageを持つ

S・ジョブスの発想に脱帽!

汎用性のあるOSでi包囲



私のおすすめアプリ
①e−mail②メモ機能③クラウド④MAP⑤NAVI⑥万歩計⑦SkyMapなど
なお、Googleのアプリは優れているが使い方に要注意のものもある。


(恵比寿っさん 2015年12月8日)

貧しい心


我が家の前の道路は車がやっと1台通れるほどの幅だが、道路沿いの住民の車が入って来る程度で、そう頻繁に車が通ることはない。家の前に車を停めて荷物や家人を降ろしたりしているときに、たまたま後ろから車が来ることがあるが、必ず待っていてくれる。同じ住民どうし、お互い様だからである。


ある日の朝、外で車のクラクションが鳴った。そのうちに何度も鳴るのでふと2階から下の道路を見ると、隣の家の前に介護施設のワゴン車が止まっている。デイサービスか何かでその家の介護者を迎えに来ているようだ。その後ろには黒い外国製の車が止まっていて、運転席に30代か40代とおぼしき男性が、助手席には幼稚園くらいの子供が乗っているのが見える。男性の顔は知らないが、その車はいつも近所に置いてあるので見覚えがある。クラクションの音の主は、どうもこの車のようである。


その男性は車から外に出ると、ワゴン車から降りてちょうどその家から出て来る車椅子の介護者を待っていたドライバーに向かって「一度回ってくればいいじゃないの。この道路は1台しか通れないのは知っているでしょう」と強い口調でいった。


介護が必要なくらいの高齢者だからもちろん車椅子だし、玄関から出るにも車に乗るにも時間がかかる。ドライバーの表情は窺えないが、どうも困惑している様子である。要するにこの男性は、介護老人を車に乗せるまでの時間が待てないらしい。服装からして明らかに勤めに行く感じではないが、とにかく急いでいるのか、車椅子を乗せるのは後でいいから自分の車を先に通せといっているのである。


介護老人が乗った車椅子をようやくワゴンに収容すると、そのドライバーはしきりに男性に謝っていたが、彼は「一度回って来ても2、3分なんだから、なぜそうしない」と同じことを繰り返している。ドライバーは何度も頭を下げながら運転席に座ると、シートベルトを付ける間もそこそこに車を発進させた。私はこのドライバーがとても気の毒になった。


苛立ちながら待つ間に煙草に火を付けていたのか、挙句の果てにその男性は吸い殻を自分の車の灰皿にではなく、あろうことか道路脇の下水溝の穴に投げ込むと、車に乗り込んで走り去った。この態度を見た瞬間、私は確信した。この男はどうしようもない馬鹿だと。


このわずか数分の一部始終を見てしまった私は、朝から何とも不愉快な気分になった。この男性は良い歳をして、譲り合いとか思いやりとか優しさといった、人間として当たり前の感情も持ち合わせていないのか。本当に急いでいるのならそういえばいいし、いいかたもある。目の前に止まっている車が今どんなことをしているのか、介護者を扱っているのだから多少時間はかかるが、待ってもせいぜい数分である。もちろん、ドライバーも申し訳ないと思いながら、どうしようもないのである。


そんなことすらわからないこの男は、反論もできないドライバーに向かって自分の都合だけをまくし立てた。こんなのに限っていざ逆の立場になると、当たり前のように待たせるのである。この実に心の貧しい男は、おそらく子供のときから馬鹿で、子を持つ親になっても相変わらず馬鹿なのだ。そしてよけいなことだが、助手席の子も親がこんなだとろくな大人にはならないだろう。


とにかくこの世の中には、反論できない弱者に向かって薄っぺらな正論をぶち上げる馬鹿がよくいる。学校で話題になる“モンスターペアレント”、商品やサービスにやたらと文句をつける“クレーマー”しかり。いくら高級外車に乗れても、こんな程度の人間が世間の親としてまかり通っているのが本当に情けない。もしこれが私の車だったら、彼が同じ口調でいったかどうかはわからないが、何となく想像はできる。どこで誰が見ているかわからないものである。


(本屋学問 2015年12月8日)