例会報告
第45回「ノホホンの会」報告

2015年5月19日(火)午後3時〜午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)

 高幡童子さんが所用で参加できませんでしたが、皆さん、定刻前に揃いました。益々の意気込みを感じます。いつもながら書感のテーマは経済から健康までワイドでした。 EUやアメリカの現実を見ていると、資本主義の未来がわからなくなります。
「朝食を抜くと…」は、よくいわれる“朝食はしっかり食べて”とは反対の提案のようですが、専門家の意見なので一理あるのでしょう。

 国会議員のあまりの質の低下に、当選後に試験をして研修させたらという提案も出ました。また、これからの生き方をコンサルティングする「ライフプランナー」なる仕事があるそうで、人生を自分で起承転結できる人が少なくなっているのか、老後もいろいろ忙しそう。確かに、勝手に年金を減らされちゃかないません。いよいよ革命でも起こさないと…。


(今月の書感)

「希望の資本論/池上彰×佐藤優」(山勘)/「朝食を抜くと病気にならない」(恵比寿っさん)/「昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか」(ジョンレノ・ホツマ)/「生物から見た世界」(狸吉)/「後藤新平―大震災と帝都復興」(その1)(本屋学問)


(今月のネットエッセイ)

「“遠慮がち”な日本の教科書」(山勘)/「沖縄問題」(致智望)

(事務局)

 書 感

希望の資本論/池上彰×佐藤優(朝日新聞出版 本体1,100円+税)


一見、意味の取りにくいおかしな書名だが、「希望の資本論」とは、現代の資本、資本主義を改造した望ましい資本論というわけではない。ここでいう「資本論」とは、あの古典経済学、マルクスの「資本論」のこと。本書は、「資本論」の知恵を現代に生かせという。


いま、資本主義の行き詰まり現象が世界を覆っている。格差、貧困、不況、もろもろの社会、経済のひずみを資本主義は乗り越えられるのか。


“学識”において両者に違いはないと思うが、見たところ両氏のキャラクターには剛と柔、硬と軟の違いがあるようで、ややもすれば論調には佐藤氏の“攻め”と池上氏の“受け”の展開がみられ、それはそれで話が分かりやすく本書の魅力にもなっている。

本書の「はじめに」を、池上氏は「ピケティ旋風去って、格差論争残る」と書き出す。フランスの経済学者トマ・ピケティは「21世紀の資本」で、膨大なデータを元に、資本主義経済が自動的に格差を生み出していることを示した。

そこで池上氏は、かつてマルクスが、強靭な論理で分析した資本主義のもたらす結果を、ピケティはデータで示したとする。そして、社会主義が力を持っていると、資本主義国は労働者の革命を恐れて社会保障や社会福祉などの厚化粧をしてきたが、いまそれを止めて、過当競争による労働過重、不安定な雇用、教育格差の拡大という素顔を見せてきたとみる。


片や佐藤氏は、資本主義における資本の形成には三つあるという。「商人資本形成」は商売人の商売による資本の蓄積、「金貸資本形成」は金貸し商売による資本の蓄積、「産業資本形成」は労働力と生産手段の活用による資本の形成である。


そこでマルクスの「資本論」では、本当の「価値」を作り出しているのは労働力だけだとする「労働価値説」と、労働力は労働者が売る商品だとする「労働力商品化」の考え方に立つ。このマルクス経済学の考え方のほうが、整合的に世の中を説明できるが、いまの主流派経済学にこの考え方はないと佐藤氏はいう。そして佐藤氏は、トマ・ピケティ氏と対談した折りにも確かめたが、ピケティ氏には労働力=商品の認識はなかったという。


さらに佐藤氏は、資本論における賃金は、三つの要素からなるという。①月給取りなら次の一か月働けるエネルギーを蓄える(衣食住を満たし少しレジャーをやったりして)。②次世代の労働者階級の再生産を図る(家族を維持し子供に教育を受けさせて)。③本人が自己学習する(技術革新などの変化についていくために)。賃金にはその費用が必要で、資本主義もきちんと回っている時はこの3要素が満たされるという。今はこれが失われたということか?

そこで佐藤氏は「おわりに」おいて、ピケティ氏は、賃金は労働の対価ではなく労働力商品の対価であるという資本論の理論に関心を払わないので、普通のサラリーマンの年収もエリートの例えば投資銀行のバンカーの何千万、何億の年収も「配分」の問題のように見えてしまうのだという。資本論の論理に照らせばサラリーマンの年収は「生産論」で決まり、バンカーの収入は資本家間の「配分論」で決まるという。


本書の感想を言えば、いま資本主義の“本性”がむき出しになり、賃金は労働の対価であるという短絡的な認識を強め、池上氏が「はじめに」指摘したように、「過当競争による労働過重、不安定な雇用、教育格差の拡大という素顔を見せてきた」ということになる。


これを、金持ちから取って貧乏人に配るピケティの「配分論」で解決することは難しい。少なくとも資本論の教える生産論に立脚した賃金に立ち返らなければならないが、これも容易なことではない。「希望の資本論」ならぬ「希望の資本主義」が待たれる。 


 (山勘 2015年5月5日)

朝食を抜くと病気にならない/石原結實(幻冬舎 本体1,300円)


著者紹介 医学博士 1948年長崎市生まれ。

長崎大学医学部(血液内科を専攻)卒業。同大学院博士課程修了。スイスの病院で、最前線の自然療法を研究。

現在、イシハラクリニック院長。また、伊豆に健康増進を目的とする保養所を開設。

著書に、『体を温めると病気は必ず治る』、『プチ断食ダイエット』など多数。

はじめに 食べ過ぎは万病のもと

目次

朝食を抜くだけで、健康になれる

なぜ、「食べ過ぎ」が病気を作るのか

「一日2食」この食生活でますます健康になる

プチ断食のすすめ

実録! 「こんなに健康になった」

朝食抜きのメリットとして

○便秘が治る○がんの予防になる○ボケ防止になる○体のだるさがとれる

○性力が強くなる○睡眠時間が短くて済むと書かれている(ジャケットの内側)。


日本人の死因のダントツ1位はガン。2位は心筋梗塞、3位は脳梗塞だがいずれも増加。

日本人の4分の1、3000万人が高脂血症、1600万人が糖尿病を患っている。1日に摂取カロリーが同じ2400カロリーなら3食均等に摂取すれば良いが、朝食を抜いて1600カロリーを均等にとれば、がんや脳卒中、心臓病、胆石などあらゆる病気の罹患率が減少する。

日本には古来、「腹八分に病なし」「腹十二分に医者足らず」という格言がある。

現代日本にかくも病気が多いのは、飽食が原因だと著者は言います。

ピラミッドの碑文に「人は、その食べる量の4分の1で生きている。残りの4分の3で医者が生きている」と刻まれているとも。

世界一簡単で有益な健康法である「朝食を抜く」ことで、健康の体になってほしいと著者は主張している。


何故なのか。

人体の生理の鉄則として「吸収は排泄を阻害する」逆もまた真で「吸収させないと排泄が促進される」で、これは人体内の血液量が一定なので、胃や小腸(上部消化管)に血液が取られてしまうと、下部消化管の機能は低下するからである。1週間の断食をすると息が臭い、舌苔が厚くなる、濃い尿が出る、濃い痰が出る、発疹が出る、黒い宿便が出るなど排泄のオンパレードになり、種々の不調が改善される。


朝食を抜くと「力が出ない」と言うが、一番力が必要な力士は朝食なしで、4時間もの朝稽古をする。


食べ過ぎはなぜよくないのか。

漢方では「万病一元、血液の汚れから生ず」という。それは過剰な糖分が血糖を増加させ(糖尿病の原因)、それは中性脂肪に代わる(高脂血症)。食べ過ぎは栄養物質が体内で十分な燃焼が出来ずに、中間代謝物の乳酸や焦性ブドウ酸、ビルビン酸など種々の有害物で血液を汚すからである。動物性たんぱく質を食べ過ぎても、腸内でアンモニア、アミン、スカトール、インドールなどの有毒物資が生じて血液(に吸収されて)を汚す。


朝食を抜いて空腹には次のように対処すると著者は述べます。

そんな空腹を覚える時は黒砂糖または蜂蜜を入れた生姜紅茶を勧めている。

昼食はでんぷん質主体で(たんぱく質を摂らず)、夕食はアルコールを含めて自由に。

これが健康な体つくりに良いという。

(恵比寿っさん 2015年5月11日

                                                                  

昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか/大塚ひかり(草思社 2015年3月発行)


 著者は古典エッセイストで、「源氏物語」全巻を訳された方です。


昔話の登場人物が一番多いのが「お婆さんとお爺さん」で、現代人の思い描きがちな前近代の老人像とはほど遠い姿がわかると著者は言っている。


その老人は、

①子や孫のいない老人が大半、「舌切り雀」、「笠地蔵」、「かちかち山」、「かぐや姫」、「桃太郎」、「聞き耳頭巾」など。

②たいてい貧乏でいつもあくせく働いている、「お爺さんは山へ柴刈に、お婆さんは川で洗濯に・・・」「笠地蔵」

③子や孫がいても冷遇を受けていることが多い、「姥捨て山」

④「良い老人」と「隣の悪い老人」:極端なキャラクターで表現されており、両者が平和に共存することは稀、「良い老人」の幸運を妬んだり羨んだりした「悪い老人」が破滅、過酷な「生存競争」の世界がそこにあり、「貧困と孤独と嫉妬」が根底にある。


以下の内容が網羅されている。

序章 昔の老人の人生

一章 昔話の老人は、なぜ働き者なのか

二章 昔話の老人は、なぜ「子」がいないのか

三章 家族の中の老人の孤独

四章 古典文学の中の「婚活じじい」と「零落ばばあ」

五章 昔話に隠された性

六章 古典文学の老いらくの恋と性

七章 古典文学の中の「同性愛」の老人たち

八章 昔話は犯罪だらけ

九章 自殺や自傷行為で「極楽往生」?

十章 老いは醜い

十一章 閉塞状況を打開する老人パワー

十二章 「社会のお荷物」が力を発揮するとき

十三章 昔話ではなぜ「良い爺」の隣に「悪い爺」がいるのか

十四章 昔話はなぜ語り継がれるのか

十五章 昔話と古典文学にみる「アンチエイジング」

十六章 実在したイカす老人

老人年表


昔話の老人の地位は「低い」が物語の「主役」、今の日本の高齢化社会の老人はある意味、社会の「主役」と言える。健全な老人は尊敬、愛着の対象だが、一旦老人に心身の衰えや老衰、痴呆などの症状が現れると社会のお荷物となり、冷たくあしらわれる。


働く老人が多く登場する。老人の多くは働き者で、これは現代人が考える以上に元気だったことと、死ぬまで働き続けなければ生活できなかったことを示している。


昔話はお上がチェックしない、まずいことを言っても誰も罰せられない、作り手の名も知れぬため本当のことを語れた一面がある。古典文学にも当時の現実を反映している。

紫式部は源氏物語で光源氏に、日本書紀などの正当な歴史書は権力者の都合の良いことだけ、事実のほんの一端が書かれているに過ぎない、作り話として低く見られている物語にこそ本格的な事情が描かれている。現実を反映している。


童話化して毒抜きされる前の昔話に、幼い日に親しんだ昔話に人間の原点とも言うべき心理や、日本人の歴史や民族が潜んでいたことがわかる。


因幡の白兎、海幸彦山幸彦、一寸法師、桃太郎、浦島太郎の昔話の裏に隠された性なども取り上げており、ちょっとした気分転換になりました。


昔話に秘められた「歴史の真実」を掘り起こしていくことで「謎解きの楽しみ」も感じる、ということを著者は言っている。


ホツマツタヱの記述と関連してくる内容もあり、新しい発見にもつながり、私も謎解きを楽しんでおります。


(ジョンレノ・ホツマ 2015年5月13日)

生物から見た世界/ユクスキュル・クリサート著、日高敏隆・羽田節子共訳(岩波文庫2005年 本体713円


著者ヤーコブ・フォン・ユクスキュルは1864年エストニア生れの動物学者。ゲオルグ・クリサートは1906年ペテルブルクに生まれ、ユクスキュルと共に研究し、本書の数多い挿絵を描いた。原著は今から約80年前に出版されたが、長らく人々に理解されなかった。

 

本書は我々が存在する世界は、「人、動物、鳥、魚、虫など生物によってそれぞれ全く異なって見える」という、新しい概念を提示するものである。つまり、生物は地球上の時空を共有しながら、互いに異なる主観的世界に生きている。

この概念を理解させるため、著者はまず具体的な例から説き始める。


 マダニは光、温度、酪酸に対する臭覚という三つの感覚しか持たない。卵から孵化すると一対しかない脚で草の茎を這い登り、トカゲの血などを吸って成長する。脱皮を繰り返して8本の脚が生え揃うと、雌のマダニは明るい高みによじ登り何年も休眠状態で待つ。温血動物が発する酪酸の匂いを嗅ぐと、温度の高い方向に跳ね、獲物に跳び付いて血を吸い、体内の卵子と精子を結合させて一生を終わる。これがマダニにとっての「環世界」であり、これ以外の世界は存在しない。

ダニより高級な生物になると状況により周囲の意味が変化する。長い間空腹状態だったヒキガエルがミミズを食べると、その後形の似ているマッチ棒に即座に跳びかかる。同じカエルがクモを食べると、今度はコケのかけらやアリに食いつこうとする。これは最初空腹を満たしてくれたモノが、探すべき対象の像を形成するからである。


人間でも年齢、教育、知識、経験、身体的条件などによって、各々異なる主観的な世界に生きている。ときには探している物が目の前にあるのに、想像していた形状と異なるため、まったく目に入らず、他人に指摘されて気付くこともある!また、新しい知識や技能を修得すると、これまで見えなかった世界が見えてくることもある。


本書はこの新しい概念を、数多くの実例と図解で分かり易く解説している。しかしながら、概念そのものが新しいので、それを記述する用語も新しく作らざるを得ず、「環世界、歩尺」など初めて出会う用語に戸惑った。これらの用語の意味を理解することが、即本書の概念を理解することに役立つのである。モノの見方・考え方の壁を打ち壊し、新しい視野を提示する革新的な概念と感じた。

(狸吉 2015年5月17日)

後藤新平―大震災と帝都復興/越澤 明(筑摩書房 2011年11月10日 本体900円)(その1)

後藤新平は、台湾総督府民政長官や南満州鉄道初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、東京市長などを務め、とくに関東大震災後の首都東京の復興で見事な手腕を発揮した政治家だが、あまりに独創的、先進的で大胆な発想と政策から “大風呂敷”ともいわれた。本書は、そんな後藤新平の人物と業績をまとめた興味深い1冊である。


著者によれば、1990年に当時の水沢市(後藤の出身地。現在の岩手県奥州市水沢区)から著者に届いた1通の公文書が本書のきっかけだった。同市が開催した「東北新幹線水沢江刺駅開業5周年後藤新平展」パネル展示のために、市長印が押されたその依頼文面には「8億円計画や帝都復興が果たして大風呂敷であったのかについて、コメントをお願いいたします」とあった。「本書は水沢市長からの質問に対する20年後の最終回答として書いたつもりだ」。著者は「あとがき」でこう結んでいる。


都市計画が専門で国土交通省や内閣府の専門委員を歴任し、景観法や都市再生法などの制定にもかかわった著者は、神奈川県都市計画部時代の1989年、関東大震災後の首都復興を担当した「帝都復興院」幹部職員の遺品から、後藤らが中心になって作成した幻の「帝都復興計画」政府原案(原図)を発見する。この第一級の一次資料から復興計画政府原案の意図を読み取った著者は、東京の都市計画全体像と帝都復興計画の内容、さらに正負の遺産を明らかにして、後藤に対する“大風呂敷”の汚名を濯ぎ、名誉回復に貢献できたと書いている。


1857(安政4)年生まれの後藤新平は幼い頃から利発だったが生家は裕福ではなく、福島県立医学校に進んで愛知県立医学校の医師になる。「後藤は明治政府の中枢とも陸海軍の軍閥とも学閥とも無縁で高等教育も受けておらず、明治期の立身出世の条件や機会をすべて欠いていた」と本書は書いているが、職場の上司や周囲からは次第に後藤の卓越した能力が認められていく。愛知医学校時代、岐阜で暴漢に襲われて後藤の診察を受けた板垣退助が「彼を政治家にできないのは残念だ」と語ったというが、東北の片田舎から後藤新平が見出されることがどれだけ大変なことであったか。

その後、後藤は請われて内務省衛生局に移り、ドイツ留学、さらに36歳で衛生局長と立身出世の道を進み、ある事件で投獄されるという不遇な時期もあったが、日清戦争後に臨時陸軍検疫部長の児玉源太郎の下で、医者としてよりも技術官僚として病院・衛生分野の立案や行政能力を存分に発揮する。衛生局時代の部下には北里柴三郎や永井久一郎(荷風の父)らがいた。


日清戦争後の講和条約で清の李鴻章は伊藤博文に、「日本が台湾を領有するのはいいが、アヘンでは手を焼く」と警告した。当時、清国でアヘンが最も蔓延していたのが台湾で、喫煙者は50万人。しかも全島が不衛生で、港も社会基盤も基幹産業もない。対策に悩んだ日本政府は切り札として児玉源太郎を総督に、民政長官に後藤新平を抜擢した。この人事は、児玉の強力な要請と後藤のアヘン対策案を伊藤博文が評価した結果といわれている。


後藤はアヘンを総督府の専売として合法化し、中毒者には通帳を交付して薬としてアヘンを売り、その収益を台湾住民の衛生事業にあてるという、まさに“毒を以って毒を制する”奇策を取った。この政策は功を奏して、台湾のアヘン問題は収まったという。さらに、日本の衛生工学の父といわれるイギリス人バルトンに依頼した上下水道整備や、台湾の水利事業の父、八田與一による大規模灌漑やダムづくりなど日本最初の植民地となった台湾経営は、後藤の懐刀といわれた財務の中村是公や農業の新渡戸稲造など優秀なスタッフの働きもあって大きな成果を上げた。


こうして児玉源太郎や伊藤博文から全幅の信頼を得た後藤は、次の植民地経営として南満州鉄道初代総裁就任を打診される。しかし、「一晩考えて返事します」と児玉邸を辞した翌日、児玉は急死した。後藤は後年、「自分の終生の恨事は、児玉伯爵の生前中に満鉄総裁就任を快諾しなかったことだ」とよく側近に語っていたそうだ。


満州開発でも後藤は腹心の中村是公を副総裁に据え、浜口雄幸、炭鉱経営の松田武一郎ら錚々たる人材を擁して満鉄経営事業をスタートさせる。日露関係は戦後のほうが親密になったそうで、基本的にはロシア統治時代を継承し、ロシア名「ダリニー」を「大連」とするなど鉄道附属地の本格的な都市開発を始める。ロシア統治時代と違い日本人と中国人の雑居を認め、これが町の発展を促進した。後藤らは台湾統治と同様に鉄道始め上下水道、電灯、道路の整備、さらに大連を自由港とし、大連ヤマトホテルの建設などアメリカ方式で近代化計画を進め、ロシア人に日本人の能力を再認識させた。


本書によれば、植民地で都市計画を実施する能力は、工学的技術はもちろん、政治的、社会的、経済的な政策能力が必要で、いわばこれらが統治能力を示すバロメータとなり、列強も日本を認めることになった。満鉄経営も台湾での実績が反映された見事な成功例だと評価しているが、後藤新平という傑出した人物なしには到底成し得なかったことかもしれない。

1919年に「都市計画法」が公布され、1920年に東京市長になった後藤は翌1921年、独自の東京改造ビジョン「東京市政要綱」を発表する。それは、共同溝や街路、公園の新設、下水道の改良、港湾修築、田園都市の建設、学校建設など15項目の都市インフラ整備を目指す壮大な近代都市計画だったが、その試算総額が当時の東京市予算の6倍という8億円にも上ったため、多くの反対にあって実現せず、これが“後藤の大風呂敷”といわれる原因になった。しかし、皮肉にもその2年後、この都市計画案は関東大震災の帝都復興事業のベースとなって現実のものとなる。

(その2につづく)


(本屋学問 2015年5月18日)

 エッセイ 

遠慮がち”な日本の教科書


 また例によって、今年採択され来年度から使われる中学校の教科書問題で中国、韓国が騒いでいる。わが国外交官に直接文句をつけるなどきわめて異常だ。内外のマスコミがにぎやかだが、共産党一党支配の中国報道や政府御用達の韓国報道と違って、わが国のマスコミ論調は、国策的な内容から自虐的な内容まで幅広い論調でにぎやかだ。


 その中で、ひときわユニークな主張を展開するのが朝日新聞だ。4月7日付け社説では「検定発表 教科書はだれのものか」というテーマを掲げ、教科書は国の広報誌であってはならないとして論陣を張った。朝日が力説しなくても、教科書が国の広報誌でないことは当然だ。

朝日は、文部科学省が今回の検定から新しいルールを用いたこと、すなわち「領土問題について日本政府の考え方を書くこと」、「慰安婦問題など政府見解がある事柄はそれに基づいて記すこと」を求めたことを批判する。その結果、「領土問題は、社会科の全教科書が扱った」上に「尖閣は日本固有の領土」「竹島は韓国が不法に占拠している」などと記述した教科書が多く、「相手国の主張や根拠まで扱った本はほとんどない」ことを問題視する。


つまり、「これでは、なぜ争っているか生徒にはわからない。双方の言い分を知らなくては、中韓やロシアとの間で何が解決に必要かを考えるのは難しいだろう」という。だが、子供たちの考える力を育てるのは教育の基本ではあるにしても、中露韓との紛争解決まで子供達に考えさせる必要はない。とりあえず現実・事実を教えるだけでいい。


竹島と尖閣諸島の帰属問題は今回の教科書検定の“目玉”だが、竹島は、長年にわたって韓国が不法占拠しており、尖閣は、海底油田の可能性が出てきてから中国が領有権を主張しはじめたのが歴史的真実だ。朝日は、日韓、日中の間でそれぞれが領有権を主張しているとして、双方の言い分を均等に取り上げろとでも言うのだろうか。世界の教科書で相手国の言い分を手厚く収録した教科書があるのか、教えてもらいたい。

また「社会科の教科書は、国が自分の言い分を正解として教え込む道具ではない」とし、「政府見解は絶対的なものではない。時の政権で揺れ動く」ともいう。「国が自分の言い分を正解として教え込む道具ではない」というのは一見、正当な論に見えるが、国がそういう意図、企みをもっているという前提は、朝日の偏見であろう。また、「政府見解は―揺れ動く」というのも一見もっともらしい理屈だが、揺れ動きながらでも政府見解、国の見解を持たない国家はない。第一、国の見解を教えない教科書がどこの世界にあるのだろうか。


ただし「どんな教科書をつくるかは、出版社が判断することだ。国の検定は控えめにすべきである」という言い分はまったくその通りだ。したがって朝日が執拗に攻撃する扶桑社の「新しい歴史教科書」も堂々と検定に合格した教科書だから、朝日は攻撃を控えるべきだ。


これはネットの「ウィキペディア」からの流用だが、米スタンフォード大学アジア太平洋研究センターによる日中韓米台の歴史教科書比較研究では、「日本の教科書は戦争を賛美せず、最も抑制的」「非常に平板なスタイルでの事実の羅列であり、感情的なものがない」と評価。韓国の歴史教科書については「韓国は、日本が自国以外に行った行為には興味はなく、日本が自分たちに行ったことだけに関心がある」とし、「自己中心的にしか歴史を見ていない」と指摘。また、中国の歴史教科書は「共産党のイデオロギーに満ちており、非常に政治化されている」と見る。正当かつ痛快な指摘である。


このように日本の教科書は大いに抑制的であることは論をまたない。朝日新聞の批判は見当はずれである。要するに日本の教科書はきわめて“遠慮がち”なのだ。そろそろ中韓の戦法にも学んで、“無抵抗主義”を脱すべき時ではなかろうか。 


(山勘 2015年5月5日)

沖縄問題


沖縄県知事が変わると、早速、辺野古の工事差し止めなどと言う強烈な行動に出る翁長知事の行動に理解出来ない。国と地方自治の関係はどうなっているのか、極めて単純な疑問をもつのは、私だけではないと思う。


私自身で憲法の文言を調べた訳ではないが、識者の弁を借りると、憲法第8章には、県は国から委託された種々の事務作業を行っているに過ぎない。だから、一地方自治体の首長の判断で右から左には動かせない。と言うのが本当のところの様だ、この事は翁長知事も重々知っている筈と言うが、ならばその目的は何か。


オスプレーの沖縄配備の問題も今は静かになっているようだ。輸送用ヘリの2倍のスピードと5倍の航続距離を持つオスプレーは引く手あまたであり、日本周辺の離島管理には欠かせない存在と言う。特に尖閣問題が出てからは、この問題が消えてしまったのだから、このときの反対運動も何か怪しげな仕掛けを感じてしまう。そもそも、オスプレーの配置を日本政府の許可が必要などと言うことははじめから存在しないと言う。また、尖閣が奪われてしまったときに、今の自衛隊に攻撃能力が無いので米海兵隊にたよらざるを得ないと言う筋書もあると言うが、これとて、集団的自衛権の解釈がどうあれ、現実にはありえないことで、米軍としては初めから「それはお前の問題だろう」と言う程度のことらしい。


政府の沖縄県への補助金は、過去40年間にわたって10兆円超と言われ、その金が産業振興や雇用創出と言ったものに使われず、インフラ整備の様な贅沢環境の創出に使われ、補助金に甘えた体質が作られてしまい、今更後戻り出来ない体質にも関わらず、政府と地元の行き違いの実態は、我々には理解し難い状態が出来上がってしまっている。


どうもその根源は沖縄返還時に日米政府間の密約があって、それを反体制勢力が政府への圧力の効材として利用していることが原因のようだ。


72年の沖縄返還に際して、アメリカ政府は「軍政がこれまで通りなら、民政については返還する」と言う条件を出した。そのことを時の自民党政府は、国民に一切説明せずに、「我々が沖縄を取り戻した」と返還の手柄だけをアッピールした。軍政が残された以上、米軍が沖縄の基地に核を持ち込もうが、貯蔵しようが、日本政府は文句を言えない。アメリカ政府は、「軍政は自分たちの権利」と考えているから、日本の防衛と関係の無いベトナム戦争や湾岸戦争にも沖縄の米軍基地を使って来た事実を考えると、オスプレー配備などを日本政府に相談する必要など無いし、「普天間基地が危ない」と言うならさっさと代替施設を用意しろ、必要な経費はおまえが払え」と言うのがアメリカの言い分も納得せざるを得ない。


言われてみるとスッキリ納得するのであるが、何か腑に落ちないのである。政治と言うのはこんな騙し合いで良いのか、無駄な時間と税金を使って誰も文句を言わない、我々善良な国民は何時までもサイレント・マジョリティーで居て良いのか。国政選挙の投票率の低さが全てを語っていると思うと情けない。


(致智望 2015年5月11日)