例会報告
第61回「ノホホンの会」報告

2016年11月28日(月)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:致智望、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)

 狸吉さんが急な所用になった以外は、皆さん元気に定時に出席でした。不安、不条理な社会を反映してか、世を憂う内容の書感やエッセイが増えているのはあまり好ましい世情ではありません。たとえば、東京都が抱える中央市場移転問題、東京オリンピック問題です。安全性はそっちのけで、自分の金じゃないのに勝手に使いたがる輩の無神経ぶりには腹が立ちます。お隣の中国も早晩経済破綻を来すのではという内容の本も紹介されました。トランプ大統領の登場といい、本当に世界はどうなってしまうのか。そして、どこへ行こうとしているのか。まさに“Quo Vadis”(いずこへ?)です。

 (今月の書感)

「人間の煩悩」(致智望)/「遺伝子組み換え食品入門 『必要か 不要か? 安全か 危険か?』」(ジョンレノ・ホツマ)/「北京レポート―腐食する中国経済」(恵比寿っさん)/「日本語を作った男上田万年とその時代」(山勘)

 (今月のネットエッセイ)

「東京オリンピックを返上しよう」(本屋学問)/「いまや“二枚舌”は政治の常識」(山勘)/「いいね“小さな親切小さなお世話”」(山勘)/「時代が渇仰する“角さん”の魅力」(山勘)

 (事務局)



 書 感

人間の煩悩/佐藤愛子(幻冬舎 本体780円)


本書の著者である佐藤愛子は、大正12年生まれで現在90歳、第61回直木賞受賞作家であり、その後女流文学賞なども受賞し、「戦い済んで、日が暮れて」などの名作を残している、現役女流作家である。


この人は、数奇な人生をおくった事でも有名で、特に男運が悪く亡くなった夫の負債を根性で返済したと言う女傑ぶりが有名である。もうかなり昔の話で記憶を辿っての事であるが、日経新聞の「私の履歴書」に紹介され正直者の不器用ぶりがいまでも脳裏に残っている。現在は、再婚した夫との間の娘と孫との幸せな人生のようだ。

本書は、人生経験豊かな女流作家の、枯れた人生談話的エッセイだから、斜に構えた辛口な論調が有ったかと思えば、宗教礼賛の面もあったりしてなかなか面白い内容だ。


本書は、下記6章の切り口で論じられている。

人間とは

 この章での面白い話の一例を紹介する。著者の娘の結婚披露宴での遠藤周作の挨拶が紹介されているくだり。

 遠藤周作がマイクの前に立つや、「俺の話を聞け、皆飯食うのやめ」と言ったところに、間入れずに北杜夫が「酒はどうする」との一声に大笑い。

続く話の内容、若い時、「愛子に持てようと思って電車内で吊革にぶら下がりサルの真似をして以来、愛子に嫌われた。本来なら俺は新婦の父親の席にいる筈だった」と言うと再び爆笑、最後に花婿にお願いと言い、佐藤愛子さんの独り娘を宜しくと言うべきところを、おふくろのこの厄介な人を宜しくと言って〆め、皆ジーンときたところで落ち。

第二章 人生とは

第三章 男と女とは

第四章 子供とは

第五章 あの世とは

第六章 長寿とは


第二章の一部を紹介してみる。

「お金と人生」と言う切り口。株の売買で大損をしてクヨクヨしている奥さんに言った。

「そんなことでクヨクヨするのは、損をし足りないからです」。私は若い時は裕福であった。その時は損をするとことがいやであった。そのうち夫の借金を引っかぶり(夫は逃げる)損ばかり重ねているうちに損のタコが出来て、ちっとやそっとのことではクヨクヨしなくなった。私には損のタコ、裏切られタコ、苦労のタコでかたまって、何が有っても平気でいられるようになった。幸福とは、お金があってもなくとも、平穏であろうとなかろうと、常に自分自身として平然と生きていけることだと考えられるようになり、だから今は幸福だと思う。


第三章 「男と女とは」について紹介しよう。

「こんな会社(仕事)止めてやる!」と決意せんとするとき、突如、眼前に浮かぶ妻の顔。非難と怒りに満ちた(あるいは不安、悲願におののく)その顔は、一瞬にして彼の想念を吹き飛ばす。忽ちに、彼は我に返り、妻のため子のため、耐え難きを耐えて生きようと思い直す。私は、女に生まれて良かったと思う。男って大変だなーと同情する。自由というものは男だけにあって、女にはないものと思っていたが、この頃は、女にあって男にないものと思う様になった。そのように寛大になった時には夫はいなかった。


第四章 子供とは

「いじめの効果的な解決方法」と言うのを紹介しよう。

いじめ問題が起きると、なぜそうなったのかをおとなはまずかんがえる。なぜ、なぜ、と考えているうちに、虐められる方にもそれなりの原因を持っているということになったりする。しかし、原因がわかったとしても、イジメの解決にはならない。「強い奴が弱い者を虐めるなんて、卑怯者のすることだ、恥を知れ、バカモン」と力いっぱい罵倒した方が、ああのこうのと分析批評をしているよりもずっと話がはやい。


つづく第五章の「あの世とは」そして第六章の「長寿とは」の2章は圧巻である。このひとが抹香くさい話をするとは想像できなかった。死は無に繋がることではない、波動によって繋がり、情念や欲望を持って死にいたると成仏出来ずに浮遊霊となり、同じ波動を持つ人に憑依し、その人の人格が損なわれると言う。要は安らかな気持ちを持って残り人生を有意義にと言うことの様で、言われてみると何か考えさせられるものを感じる。人間には、霊媒体質と言うのがあって、霊的体験をするするひとを嗤うが、それをうさん臭いと言うのは傲慢と言うものだと力説する。その辺りの事を色々な例を挙げ五章、六章でページを割いている。


(致智望 12016年11月11日)

遺伝子組み換え食品入門 「必要か 不要か? 安全か 危険か?」/天笠啓佑(緑風出版 2016年9増補改訂版発行 本体1800円)


バイオテクノロジーの応用が進み、自然界にはなかったものがつくられ、生態系への影響や食の安全性が脅かされている。最近の研究では、遺伝子組み換え食品が免疫機能を低下させ、肝臓や腎臓などを損傷し、次世代以降にも悪影響があることが確認されている。

 モンサント社を筆頭とする多国籍企業は、圧倒的な支配力を基に遺伝子組み換え種子の世界的拡大をもくろんでいるが、新たな害虫の発生や耐性雑草の発生、汚染など多くの問題を引き起こしている。また、インドでは、遺伝子組み換え綿の生産農民が収穫減から大量の自殺者をだすなど、大きな社会問題も引き起こしている。

TPPは、これらの進行するグローバル化の象徴であり、これへの参加は、コメを軸に守ってきた日本の農業の保護政策も「貿易障壁」の対象になり、破滅的打撃を受けることが予想される。それにより、食の自給も奪われ、遺伝子組み換え作物など危ない輸入食品に食卓を占拠されるおそれがある。

本増補改訂版は、遺伝子組み換え食品をめぐるさまざまな問題をやさしく解説し、その危険性を明らかにすると」ともにTPP交渉を踏まえ最新の問題点を加筆した。と裏表紙にまとめられている。


以下に気になった個所をいくつか取り上げてみました。

遺伝子組み換えについて、安全性や倫理面での議論は、研究者や企業、政府関係者以外の人がかかわったことはほとんどない。一般市民、消費者はいつも議論の枠外におかれていた。これまでも研究開発を推進したい人たちによって進められてきた。現在もそのままである。


私たちの食卓には、いまたくさんの遺伝子組み換え作物を原料にした食品が並んでいるが多くの消費者がその事実を知らない。なぜか、日本が世界で最も遺伝子組み換え作物を輸入している国の一つだから。

 

遺伝子組み換え食品は、作物としてはトウモロコシ、大豆、ナタネ、綿の四つです。いずれも大半が食用油か家畜の飼料となっている。その油を使ったマヨネーズやマーガリンなどが作られており、あるいは醤油やコーンスターチなど加工度の高い食品になっている。また、コーンスターチからはブドウ糖果糖液糖などの異性化液糖、デキストリン、醸造用アルコールなど数多くの食材や添加物が作られている。カラメル色素、キシリトールのように原料をトウモロコシに依存しているのでほとんどが遺伝子組み換え食品添加物となる。これには表示がないため遺伝子組み換え食品とは知らずに食べている。食品添加物、調味料(アミノ酸等)、ビタミンB2なども該当する。


遺伝子組み換え種子は、米国モンサント社(ベトナム戦争で枯葉剤を生産していた)の独占状態。世界の種子の27%を支配、世界の大豆の80%近くを支配している。これに米デュポン、スイス・シンジェンタ、独バイエル・クロップサイエンス社を加えたバイテク企業4社によって、世界の種子の56%が支配されている。食料を独占するためであったのが鮮明になった。独占が可能になったのは遺伝子が特許になり他社の参入を排除、種子企業の買収を進め種子販売も独占。モンサントの一人勝ちを後押ししているのが、米国政府の食糧戦略、その資金源がマイクロソフト社の巨額の儲けを基盤のビル・ゲイツ財団である。


遺伝子組み換え作物に用いられる除草剤ラウンドアップの主成分であるグリホサートの毒性について、癌を引き起こし、出産に悪影響があり、パーキンソン病を含む神経系の疾患をもたらす。また、ヒト胚(受精卵)を含む細胞にダメージをもたらし、ホルモンバランスを崩すと指摘。WHOの国際がん研究機関がグループ2Aの発がん物質と評価した。


米国で食品安全近代化法が2011年に登場し、元は食の安全を守る目的であったが、食品の定義の中にナタネ、大豆、トウモロコシのような種子が入っており、採取された種子扱う種子洗浄業者が管理の対象に組み入れられたため、自家採取ができなくなりモンサント社などの多国籍遺伝子組み換え種子企業から種子を買わざるを得なくなった。


遺伝子組み換え食品そのものがとても安全とは言えないことを2009年米国環境医学会(AAEM)が意見書を出した。いくつかの動物実験が示しているのは、遺伝子組み換え食品と健康被害との間に、偶然を超えた関連性を示している。遺伝子組み換え食品は、毒性学的、アレルギーや免疫機能、妊娠や出産に関する健康、代謝、生理学的、そして遺伝子学的な健康分野で、深刻な健康への脅威の原因となる。

○免疫機能への悪影響

○子孫が減少したり、ひ弱になる影響。

○肝臓や腎臓など、解毒器官の損傷。


遺伝子組み換え食品の表示について、遺伝子組み換え食品か否かを検証できない場合は表示する必要がないことになっている。消費者にはわからない。

現状では、豆腐や納豆、おから、味噌、ポップコーンなど、極めて限られた食品しか表示義務はない。

 アルコール飲料は酒税の関係で消費者庁の管轄外で外れている。


例えば、カップ麺の表示で、植物油脂は、大豆油など四作物すべてに遺伝子組み換え食品が使われている可能性あり。加工でんぷん、糖類はトウモロコシ、植物蛋白、蛋白加水分解物は大豆、調味料はトウモロコシ由来の可能性あり。

家畜の飼料にも使われており、その飼料で育った家畜由来の食材、チキンエキス、動物油脂、乳蛋白、卵、豚肉。これらは間接的な遺伝子組み換え食品。

 子供のおやつ、クッキー、ビスケット、チョコレートでは植物油脂、ブドウ糖果糖液糖、異性化糖といいコーンスターチから作られ、ショートニングとマーガリンは植物油脂に水素を添加、そのためトランス脂肪酸が多いことでも問題、乳化剤は大豆のレシチンが使われている。日常よく食べているお菓子のほとんどに多種類の遺伝子組み換え由来の食材が使われている。


 多国籍企業の支配下よりも、昔のように自給自足を考え直す良い機会と捉えたい。トランプ氏によりTPPも見直す良い機会が与えられたと考え直して欲しいものと思う。

(ジョンレノ・ホツマ 2016年11月14日)

北京レポート―腐食する中国経済/大越匡洋(日本経済新聞出版社 2016年8月25日一版一刷発行 本体1600円)


著者紹介

1972年生まれ

95年早稲田大学政治経済学部政治学科卒、日本経済新聞社入社。

経済部、政治部で財務省、厚生労働省、経済産業省、日銀、自民党などを担当。

中国の精華大学への語学留学を経て、2012年4月から中国総局(北京)に駐在。重慶市局長を兼務しつつ、中国のマクロ経済を取材した。

16年4月から東京本社編集局国際アジア部次長。


はじめに

党員9000万人の岩盤

「市場を管理せよ」の大号令

土地はカネなり

強国への渇望「中国夢」

中国崩壊論の虚実

終わりに


19世紀に世界のGDPの≒30%を占めていた世界の超大国中国の現状は…。

中国の「灰色収入」(汚職などの賄賂)はGDPの≒3割としている本書は、いろいろな点で突っ込みが多く楽しく読めました。

GDPの3割と言ったら、日本円で250兆円を優に超えます。やはり、中国はわいろに関してもスケールが驚くほど違います(あ、これは私見)。

 「中国に腐敗していない幹部なんて居るのかね」というのが庶民の感覚。

共産党が一党支配する中国では、政策運営に対する監視は働かない。当局に都合の良い宣伝はしても、失政について検証したり、説明責任を果たすというガバナンスは働かない。

共産党、中でも現状では習近平とその取り巻きが仕切る政策に正面から文句をつける人物はいない。

これは北朝鮮の金正恩と同じじゃないでしょうか。

それでもメディアは共産党の広報機関として位置付けられているので、徹底した宣伝活動を行うので、いつしかその内容が国民の多くに刷り込まれている。可愛そうではあるが、これが現実。


新常態と言われる低成長で、海外からも批判の強い過大な設備の廃棄やゾンビ企業の淘汰にしても、大号令はかかるが現実には何も進まない。地方政府は足元の雇用や景気を刺激しておかないと、共産党の存在価値をやり玉に挙げられるからです。

リーマンショック時の4兆元の景気刺激策は、当時は世界中から称賛されたものの、今になっては途轍もない負の遺産と言えます。4兆元は主として①製造業の過剰設備②住宅在庫③地方政府の借金④(ゾンビ企業の)高コストに転換されている。


習近平一人独裁へ進んでいるように見えます。李克強はかつて「リコノミクス」ともてはやされたが今や「辺縁化」していて、最近の党の会議では習を「核心」の指導者と位置付けたそうです。誰もが腐敗しているが、絶大権力を手にした習には刃向えない現実。だったら大樹の陰に寄りそうのも人間の生きる知恵。こういう智恵に関して中国人は非常な才能を発揮します(このような現実的な解決策を、中国人はTechnical Negotiationと呼ぶ)。


今の中国に必要なのは、市場の力を借りて効率を高め、公平、公正な競争環境の下で技術革新や新産業を生み出す土台をつくる構造改革。誰もがわかっているが、やらない。何故か。政治の風が吹けば、直ぐに手っ取り早く成果を上げたいから。これが中国経済の最大のリスク。これ、今の体制では永遠に続きますね(私見)。


てなわけで、地方政府の債務残高は18兆元、これは10年前の7割増し。国のそれを合わせれば30兆元を超えると言われている(名目GDPの≒6割)。今これが減らせる施策は見当たらない。


バブルの代表である住宅は、現在ゴーストタウンが全国で50カ所以上。34億人が居住可能と言われている。

習は毛沢東のようなスローガンを持出しているがその背景には共産党の統治への不信感への危機感がある。現指導部は、目先の景気を下支えする力量はあるが、中長期にわたる安定成長を保てるかには?だと、著者は言う。


中国はどうなるのでしょう。

(恵比寿っさん 2016年11月14日)

日本語を作った男 上田万年とその時代/山口謡司(集英社インターナショナル 2016年2月 本体2300円)


表紙カバーの内うらに、『明治維新を迎え「江戸」が「東京」となった後も、それを「とうきやう」とか「とうけい」と様々に呼ぶ人がいた。明治にはまだ「日本語」はなかったのである。「日本語(標準語)」を作ることこそが国(国家という意識)を作ることである―近代言語学を初めて日本に導入すると同時に、標準語の制定や仮名遣いの統一などを通じて「近代日本語」の成立に大きな役割を果たした国語学者・上田万年とその時代を描く』とある。

明治10年代から40年頃までの日本語論争では、日本語をどう書くかが大きな問題だった。古事記の時代以来、日本語は漢字と〈かな〉交じりで書き続けてきたが、江戸時代末期には漢字を廃止しようという動きが起き、明治維新の後は、日本語はひらがなだけでいいという運動やローマ字化すべきだと言う運動まで起きた。

万年は、明治18年、東京大学(のちの東京帝国大学)入学。師チェンバレンに「博言学」、現在の「言語学」を学ぶ。万年がドイツ留学する明治23(1890)年に、第1回帝国議会衆議院総選挙が行われ、直ちに帝国議会が開かれた。議員発言を正確に「議事録」に記録するために、初めて田鎖綱紀の考案した「速記」が採用された。

「議会」と「速記」、そして「小説」を結びつけた意外な媒介が「落語」だった。明治20年、二葉亭四迷が初の言文一致体小説「浮雲」を書いたのは明治20年。新しい文体に迷う四迷に、三遊亭円朝の落語のように書けと教えたのは坪内逍遥だった。

万年は、明治27年6月に帰国、直ちに帝国大学教授の辞令を受ける。明治31年には、大学と兼務で文部省専門学務局長兼文部相参与官となる。明治37年、教科書調査委員。

文部省は、明治39年、「高等教育会議」において、国語のかなづかいは発音主義でいくことを大多数で可決した。中心は万年と弟子芳賀矢一だった。これが採用されれば、教科書の仮名遣いも新仮名遣い、言文一致体で行くことが了承される予定であった。

仮名遣いの例を挙げれば、「かは(河)」などの「は」は、すべて「わ」と書く。「かほ(顔)」「あふい(葵)」「をか(岡)」などの「ほ」「ふ」「を」は「お」と書く、などである。

ところが、文部省参事官岡田良平(のち文部次官)がこれに反対し、枢密院や貴族院にも反対意見がでた。文部省も教科書への採用予定を棚上げし、明治41年、改めて「臨時仮名遣調査委員会」が設置され、教科書に採用する仮名遣いが再審議されることになった。

委員長は菊池大麓男爵。委員は、貴族院議員11名、衆議院議員3名に、帝大総長、教授、学者、軍人の森林太郎(鴎外)、外せなかった万年と芳賀矢一の計25名。岡田の布陣だった。

同41年6月の臨時仮名遣調査委員会の第4回委員会において、新仮名遣いに反対意見を述べたのは森林太郎(鴎外)、藤岡好古ら。賛成意見は大槻文彦、芳賀矢一ら。鴎外の反対演説は延々3時間に及んだ。鴎外を躍らせたのも岡田だった。審議の結果、新仮名遣いの不採用が決まった。万年は辞表を叩きつけた。こうして文言一致の新仮名遣いは葬り去られた。

明治期、30数年に及んだ「日本語づくり」は、歴史の表裏に残る多彩な人達によって展開した。本書の目次に見える人だけでも、夏目漱石、斎藤緑雨、戸山正一、大槻文彦、チェンバレン、徳富蘇峰、ガーべレンツ、エカテリーナ2世、三遊亭円朝、森鴎外、高山樗牛、坪内逍遥、芳賀矢一、三宅雪嶺、新村出、高野辰之らの名が見える。

他にも文中では有名無名の多くの人物が登場して、日清日露戦争を含む波乱の時代背景の中で鮮やかな人間模様を展開する。中でも鴎外の人と文章の意外な俗物性が際立っている。

万年は、昭和12年10月26日死去、70歳だった。漱石らの小説や万年の教え子高野辰之らの小学校唱歌などが後世に向けて言文一致と新かなづかいの命脈をつないだ。万年の次女富美は後の円地文子である。昭和にいたる時代の中で、万年の日本語は大きく育っていった。

昭和21年、ようやく当用漢字ならびに新仮名遣いの告示がなされた。

(山勘 2016年11月24日)

 エッセイ 

いまや“二枚舌”は政治の常識


というわけで?、政治経験のない不動産王のドナルド・トランプ氏が米大統領になった。これほどマスコミをはじめ政治のプロや識者が予想を裏切られて慌てた大統領選はない。彼らの多くが選挙前の“前言”を取り繕って“後講釈”に大わらわである。

ともあれ、トランプ氏を担いだ支持者はまず、いつからメキシコ国境の壁の建設に着工するのかと新大統領に問うべきだ。トランプ氏の主張にまともな政策はない。TPP反対はすなわち自由貿易主義の否定だ。人種差別と排他的な外交姿勢は内向き米国の孤立主義だ。いいところはひとつもない。彼の本質は、白人中間層などの不安や怒りを煽って票をかき集めただけの、ポピュリズム(大衆迎合主義)信奉者でありアジティター(扇動者)だ。

しかしこの手のポピュリズムは昨今、政治の世界では当たり前だとも言える。いまや世界的な政治家の“常識”になりつつある。英国の欧州連合(EU)離脱の場合も、保守党のポリス・ジョンソンら“離脱派”は事実に反したポピュリズムで貧しい白人層の不満を煽った。直近では先ごろ来日した「フィリピンのトランプ」ことドゥテルテ大統領も派手に米国をコキおろしたり撤回したり、中国で言ったことを日本では逆に言ったりする。

このポピュリズムの行く先に警鐘を鳴らす興味深い論稿がある。読売新聞(10月15日)の慶大教授細谷雄一氏『政治は誠実か 広がる「虚偽」で世論誘導』である。細谷教授が上げるのは「真実後(ポスト・トルース)」という新しい用語だ。この言葉は米国の評論家ラルフ・キーズ氏が2004年に、著書のタイトルに用いたのが最初だという。そこでキーズ氏は、今や政治の世界では、虚偽を語っても検証されず、批判もされない。真実を語ることはもはや重要ではなくなってきていると言う。

そこで、国民の不安・恐怖を煽る戦略を選び、建設的な政策論争の機会を放棄させる。「真実後の世界においては、虚偽が日常に浸透して真実が無力化し、人々は情緒的に重要な決定を行う」。そこに持っていくのが選挙戦に勝つための「真実後」の戦略である

その具体的な例として、前述の英国のEU離脱を巡る政治戦略、2012年の米大統領選挙の際に共和党候補のミット・ロムニー氏が取った戦略(トランプ氏が見習った)、日本においても昨年の安保法制議論の中で、民主党(現・民進党)が、根拠もなく「いつかは徴兵制?募る不安」と記したパンフレットを配布しようとして党内からも異論が出た例などを上げる。

要するに「真実後の政治」は「虚偽の政治」であり、私に言わせれば少々下品だが「二枚舌の政治」である。その使い手の典型がトランプ氏だ。選挙戦では相手候補への悪口雑言を吐き続け、その舌の根も乾かぬうちに、勝利宣言では蹴落とした相手をたたえる。自ら国民の分断を図り、国を二分させる深い傷を作って反省することもなく「党派を超えた米国民の団結」を訴える。移民反対と人種差別と米国第一の孤立主義を掲げ、日本や他国に驚くべき注文をつけたことを忘れたように、「すべての人々と国々との公正な付き合い」を宣言する。この二枚舌には驚くほかない。トランプ幻想から醒めた時の支持者の“反動”が心配だ。

よく知られる「信なくば立たず」とは、政治家は選挙民の信頼がなければ立候補しないという意味に誤解されるが、これもまんざら悪くない。信のないところから立ったトランプ氏に聞かせたい。言うまでもなく本当の意味は、政治への民の信頼がなければ国は立ち行かないということだ。今こそこちらの本当の意味をトランプ氏に知ってもらいたい。

細谷教授は、「民主政治はどこに向かうのか。政治が国民の信頼を失い、より一段と真実が傷つく時代において、政治はもう一度真実の価値を学び信頼を回復しなければならない」と言う。いまや「二枚舌政治」の危険は、だれの目にも明らかである。

(山勘 2016年11月24日)

いいね“小さな親切小さなお世話”


ひところはやった冗句に「小さな親切大きなお世話」というのがあった。この「小さな親切」に与える賞があったとは寡聞にして知らなかった。身近な親切についてつづる第32回「小さな親切」はがきキャンペーン(読売新聞社など後援)の受賞記事を読売新聞でたまたま目にした(11月18日)。

その「大賞・日本郵便賞」を受賞した郡司志保さん(26)のハガキの内容は、「ゆっくりで大丈夫」という話である。それは、郡司さんが仕事帰りに寄ったスーパーでの話で、レジでお金を出すのに苦労して時間がかかり、何度も「すみません」といっている高齢女性に、同じような経験をしている祖母の姿を重ねた郡司さんが、「ゆっくりで大丈夫」と声をかけたという話である。そう言っては失礼かもしれないが、まことにほほえましい「小さな親切大きなお世話」ならぬ“小さな親切小さなお世話”である。

実は、これを読む3日ほど前、後期高齢者の私が、似たような、とも言えないが、スーパーでこんな経験をした。レジで、小銭入れから手のひらにありったけの小銭を出してみたら、少し足りなさそうだった。小銭での支払いをあきらめて札で支払おうとしたところ、それを見ていた中年のレジ係の女性が「小さいのでありそうですよ」と言うので、レジの皿に小銭を出してみた。その彼女が親切に数えてくれたが、やはり精算するには少し足りなかった。彼女が本当に申し訳なさそうに「すみません」と言った。品物を袋に詰めながら「すみません」、私に袋を渡しながら「すみませんでした」と言う。私は少しうれしくなって大きな声で「ありがとう」と言って店を出た。

この話を知人の主婦に話したら、最近、こんなことがあったと、こちらはあまり愉快でない話をしてくれた。彼女が、スーパーのレジで、小銭を先に出し、それから一万円を出したら、中国系とおぼしきレジ係の若い女性に「両替はだめです」と厳しく断られたという。この話をしながら彼女は「これ、両替ではないと思うけど、両替かなー」と首をひねった。

そういえば近ごろ、スーパーなどのレジは、小銭から先に使いたいと思う客に親切に対応するようになり、「両替だめ」的な対応は珍しい。人種偏見と取られると困るが、日本人はあまりこういう厳しい態度は取らない。

この話には嘘のような続きがある。この主婦が、翌日、「両替だめ」店を避けて、近くにある同系列の同名スーパーに行ったところ、偶然にもこれまで「両替だめ」店で働いていて、いつも親切でなじみになっていた中年の女店員がそこにいたという。「あら、こっちに替わっていたの。向こうの店は嫌になったから今日はこっちに来てみたの」と言った途端に、「あのコでしょう」と言われて驚いたという。

ところで先の小さな親切大賞の郡司さんは、読売の取材に、受賞は「何か特別なことを紹介したわけではないので、驚きです」と言う。実は郡司さん、この女性に声をかけた後、買い物袋を持って女性の自宅まで運んだと記者に語ったという。さらに、「もっと親切な人はいっぱいいるし、『親切した』って、自分で言うのもどうなのかなと思う気持ちもあるけど、人のつながりって、いいなと思います」と謙虚。

いきなり変な感想だが、こんな小さな親切は、すさんだ事件報道ばかりのテレビで取り上げることは絶対ない。小さないい話は、小さなハガキにも書けて、文章にまとめて表現して、活字になって新聞の片隅などに載ったりして、ほのぼのといい話になる。

(山勘 2016年11月27日)

時代が渇仰する“角さん”の魅力



 角さんと呼ばれた男、田中角栄元首相について、先に「稀代の悪人“角さん”の復権?」というエッセイを書いた。そこでは、いま「角栄ブーム」が起きているとして、彼が総理の座を射止めるにいたった政策提言の自著「日本列島改造論」に触れ、その出版元である日刊工業新聞社の増田顕邦社長(当時)との友好関係を少し書いた。これはその続きである。

増田は現役のまま、1965年、61歳で逝ったが、一周忌に出版された追悼文集「増田顕邦をしのぶ」(題字は藤山愛一郎)に、田中はおよそ千字に及ぶ「思い出話」を寄せている。

田中、というより角さんは、「増田さんとは、日刊工業新聞の増田さんというよりは、飯田町(東京都千代田区飯田町)の増田さんとしてなつかしい思い出が多い。私も飯田町には昭和16年から約10年間住んでいたが、同じ町内のよしみといったところだった」と回顧する。

そして、角さんは飯田町に建築事務所や工場寮などを持ち、戦後再建された日刊工業新聞社もまだ木造二階建てで、「お互いにまだ地味な、いわゆる揺籃期の時代だった」と言い、「当時は安田銀行(後の富士銀行)九段支店では借り主の双璧であった」と言う。

また、角さんは、「そのご私は政界に、増田さんは新聞一筋にと進んだわけだが、同じ町内にあってお互いに成長を競っていたといえよう」と語る。当時両者が、酒席などで「どっちが先に名を上げるか競争しよう」と気炎を上げていたと私(山崎)が側聞していたことと符合する。勝負は、総理大臣に上り詰めた角さんの大勝ちとなった。

増田の一勝は、「昭和28年末ごろ飯田町にあった富士銀行九段支店が専修大学の近辺に新ビルを建て、旧建物を売却することになった。増田が買うか、田中が買うのか、ちょっとした話題になったことがあるが、メキメキ成長しておられた増田さんが手に入れた」ことだ。そこに増田は、1963年、地上9階、地下1階の威容を誇る日刊工業新聞社ビルを建てた。

角さんはまた、「増田さんはいわゆる親分肌の人のめんどうみのよい人だった」と自分と相通じるところを増田に見ていたようだ。そして「戦後の理化学研究所の復興には人一倍の力を貸しておられた」と言う。角さんも理化学研究所には浅からぬ縁があった。

もうひとつ、増田のめんどうみのよい例として、「飯田町近辺には神楽坂、富士見町といった料亭街があるが、これらの連中が(戦後、経営が苦しくなって)身の振り方に困ったことがある。近隣のよしみといおうか、またよくこれらを利用していた関係から増田さん、赤尾好夫氏、私などが相談をうけたが、増田さんは本当に親身になって世話されていた」。後に増田は各界の邦楽愛好者が集う「邦楽名門会」を作ったが、そこに「神楽坂、富士見町の老妓が姿を見せるのは増田さんに世話になったからだ」と角さんは言う。

よく知られるように、角さんは、神楽坂の売れっ子芸者だった辻和子を身請けして2男1女をもうけた(1女は夭逝)。子らは認知され、角さんとの親子の交流は続いたが、病に倒れてからは、角さんの娘、真紀子らが怖くて電話もできず、会うことがなかった。政治家角栄は1993年、ロッキード事件の最高裁判決を待たずに、75歳で失意のうちに逝去した。

増田は最初の妻を早くに亡くし、後に新橋の売れっ子芸者いね子と恋をして妻に迎えた。増田が脳溢血で半身不随となった後、いね子は公式の場にも彼の車椅子を押して常に寄り添った。61歳、志半ばの増田の死は多くの政財界、マスコミ界の重鎮に惜しまれた。

先のエッセイでは、金権政治家田中と人間角さんの“落差”は大きく、この“巨人”の評定にはまだ時間が必要らしいと書いた。いま起きている田中角栄ブームは、先行き不透明で閉塞感の強まる時代背景が、明るく、前向きで、強烈なリーダーシップを発揮する個性を求めているということではなかろうか。

(山勘 2016年11月24日)

東京オリンピックを返上しよう


私はオリンピックが嫌いだ。最大の理由は、見たくもないオリンピックのテレビ中継を延々と見せられて、「新婚さんいらっしゃい」も「タモリ倶楽部」も「小さな旅」も見られなくなるからである。先頃、IOC(国際オリンピック委員会)内部で開催地決定について買収工作があったと報じられ、IOC自体が腐り切った組織と知ってからはなおさらだ。

あの暴走呆け老人知事が東京でと唐突にいい出したとき、賢明な都民の大多数は賛成しないから、まず決まらないだろうと高をくくっていた。ところが、その後にまた似たようなお粗末な都知事が続いて、以前にも増して派手な誘致運動を繰り広げ、あろうことか2020年の東京オリンピック開催が決まってしまった。まったく余計なことをしてくれたものだ。自らの不祥事で辞職を迫られながら、オリンピックの旗だけは受け取りたいと懇願した恥知らずな知事といい、本当に不愉快な話ばかりである。

問題はさらに続く。大会のエンブレム選びがケチの付き始めで、新国立競技場の設計やり直し、各競技会場の選定変更や一部建設中止などでさらに無駄な経費が増えた。それに腹が立つのが、歴代内閣で最低支持率の記録保持者がオリンピック組織委員会のトップに就いた結果、当初予算が何倍にも膨れ上がったのにまったく何食わぬ顔で推し進めるその厚かましさである。

彼は首相のときも今も相変わらず空気を読まない中味のない発言を繰り返し、新国立競技場の建設に1500億円くらい出せないのかと臆面もなくいい(一体誰がそのコストを負担するのか)、約束通り会場や設備が整わなければIOCに顔向けできないとまで発言したのには呆れてしまった。自浄作用も働かないあんな怪しげな団体にどんな義理があるというのか。

流行語になった「アスリートファースト」とは、競技する選手の立場やコンディションを第一に考えるということらしいが、IOCに1000億円以上の放送権料を支払うアメリカやIOCに強い影響力を持つヨーロッパのスポーツ事情を最優先して、東京オリンピックは7月~8月に決定した。しかし、この時期の東京は最近5年間の気象統計を見ても、気温30℃を超える真夏日が40日もある。

そんな猛暑の下、水泳やボート、ヨット競技はまだいいが、トラック競技やマラソン、サッカー、競歩といった炎天下で繰り広げられるアウトドア競技はどうなるのか。高温多湿の日本の夏に慣れない外国人選手はまともに競技ができるのか。それでも新記録は生まれるのか。今回のアスリートファーストの真の意味は、地の利を得た日本人選手にメダル獲得のチャンスを与えるためかと勘繰りたくもなる。

東京マラソンにしてもそうだ。豊かな自然を満喫しながら走る青梅マラソン規模の大会をもっと増やせばいいのに、なぜわざわざ車の排ガスを吸い込んで健康を害するようなことをするのか。一度、交通規制で酷い目に遭ったことがあるが、都心の道路は車が走るためにある。そんなに大勢で走りたければ、どこか田舎の広いところで伸び伸びとやったらいい。もし過疎に悩んでいる地域なら、観光客もボランティアも増えて格好の町起こしになる。

最近のニュースによれば、2018年の韓国・平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックでも、これまでは夜に行なっていたフィギュアスケート競技が、アメリカの放送時間に合わせて午前10時から開始されることになったとかで、相変わらず欧米至上主義がまかり通っていることは確かである。

そんな状況でもまだオリンピックを有難がる日本人の風潮も問題だが、今からでも決して遅くはない。もし小池百合子知事が本気で東京オリンピック返上を決断したら、私は彼女を心から政治家として尊敬する。過去にもオリンピックが中止になった例はあるが、それが戦争といった不可抗力ではなく、開催費の高騰、IOC内部の腐敗、競技の不正判定、選手の薬物使用などを断ち切って、クーベルタンの真のスポーツマンシップを取り戻すためと宣言したら、トランプ旋風以上の世界の新しい風になるのではないか。

(本屋学問 2016年11月20日)