例会報告
第79回「ノホホンの会」報告


 2018年6月20日(水)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)

 このところ全員参加しかも定刻通りに開催でき、まことに喜ばしい傾向です。皆さんの意欲を感じます。投稿もバラエティに富み、国際問題、国内政治、歴史と興味津々の話題が続きます。改めて勉強になることが多く、本会の面目躍如といったところでしょうか。次回も活発な議論が楽しみです。

(今月の書感)

 「ヨーロッパから民主主義が消える」(致智望)/「China2049 秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」」(恵比寿っさん)/「実録アヘン戦争」(本屋学問)/「日本の未来はこう決まった!」(ジョンレノ・ホツマ)/「陰謀の日本中世史」(山勘)/「山田耕筰さん、あなたたちに戦争責任はないのですか」(狸吉)

(今月のネットエッセイ)

 「ホツマエッセイ 『スズ』は『竹』も意味している」(ジョンレノ・ホツマ)/「『丁寧に説明してご理解を得る』のはムリ」(山勘)/「笑われる『忖度』と日本語」(山勘)

 (事務局)

 書 感
ヨーロッパから民主主義が消える/川口マーン恵美(PHP新書 本体800円)

 著者の川口マーン恵美は、日本大学芸術学部音楽科を卒業後、ドイツ・シュトゥットガルト国立音楽大学に入学し卒業し、シュトゥットガルトに在住し続けて、著書を多数上梓し、2011より拓殖大学客員教授を務めている。異色のキャリアを持つ人である。

 著者は、中東にも在住したことが有って、ヨーロッパの日常生活からの目線で、EU の矛盾を、日本人の立ち位置から見たEU 問題点が述べられ、著者の視点から来るEU の問題は大いに気になる。

 EU発足の目的は、過去の戦争の繰り返しを経たEU 社会の反省から、もう戦争は止めようと言う崇高な思いからスタートしている。EU の語源である「ヨーロッパ」とは、ギリシャ神話に出てくる少女の名前「エウロペ」を語源とし、EU イコールギリシャと言っても誰も異論をはさまない地域文化があると言う。そこに、そのギリシャの体たらく問題が起こり、ここからEU が破壊へ導かれる大きな原因の一つがあると著者はいう。

 専門家の見たEU 存立の矛盾点は、多くの識者が述べており、やがて崩壊は避けられないとの予測が、理論的根拠を以て述べられている。しかし、庶民の生活感覚としては存立の崇高な理念に異論を挟むのは悪だとの意識が作用して、矛盾を抱えたまま進行しているのが実態と著者は言う。本書には、著者の日常生活の中から述べられる多くの事象に、戦慄さえ覚えるのである。

 EUには税収はなく、歳入は、関税収入、消費税収入、罰金収入のようなもので、殆どは各国からの拠出金で7割が賄われている。だから、各国は何だかんだと言って、拠出金を減らそうとする。歳出は農業や工業振興、福祉などで、持ち出しの国はドイツ、デンマークなど12か国、あとの6か国は実入りの方が多く、これらの国はもらうのが当然と言う雰囲気で、豊かな国から貧しい国へお金が流れる構造が定着しているという。我々日本人の立場で考えて、カネの流れがこのように定着いて我慢していられると思いますかと著者は問うている。

 経済が好調と言われるドイツも財政難でGDPの3%を超える国債を発行している、健全な財政の国など無いと言う。だからと言ってギリシャの財政問題を黙認したのはあまりに無責任な話と言う。そもそもギリシャ危機の始まりは、虚偽の財政を提出したことに始まり、国民に責任は無いのに関わらず、EU の政策はあまりに過酷であると言う。

 経済格差のある国々が共通通貨を使うことの無理が、はっきりとみえはじめている。「ヨーロッパは一つ」を達成するどころか、自国の暮らしを守りきれなくなる危機感から、人々は反ヨーロッパに向かいつつあるように見えると著者は言う。

 考えてみると我が日本国も実力以上の国債を発行し続けている。それでも外国為替レートは円が上昇する。それは、貿易黒字による外貨蓄積があるからなのだが、それでも国にはカネが無く赤字国債の発行で賄っている。家とお札の印刷は切れない「ご縁」なのだ。早晩EUは立ちいかなくなるだろう。資本主義経済の凋落の始まりかも知れないと言うのが本書の論旨である。

 最近、EUへの入国審査ゲートが混雑するという。飛行機で入国をする難民対策のためで日本のパスポートは問題無いとしても、入国審査ゲートは、「EU市民」、「すべてのパスポート」の2通りのゲートがあり、この「EU市民」と言うゲート表示が閉鎖的で、差別的なイメージを強く感じてならないと著者は言う。

 EU創設の動機は、アメリカ、アジア諸国に対抗できるユートピアをつくる事にあった。それがグローバル化の想定外のパワーが押し寄せた事に加えて、フランスのテロ事件で決定的にその動機は崩れ、強固な国境の再建へと進んだ。フランス大統領の社会主義者オランド氏は、風前の灯状態であったのに、テロ打倒を掲げるや途端に人気がでて、今では右舵をとって大変な勢いに発展した。EU諸国は国家連合どころか国家間意識が増徴し、加盟国間の利益の食い違いが鮮明になり、とても理想郷かどと言える状況ではなくなった。今や、民主主義は豊かな国のアクセサリーに過ぎないと言う。

 中国がAIIB(アジアインフラ投資銀行)を立ち上げたとき、ヨーロッパの主要国がこれに同調して参加表明した。中国が民主国家で無いことは先刻承知のはず、嘗ての植民地構想その物にヨーロッパ先進国は同調し、搾取の側に回ることを目指した。そして今、中国経済が失速しかけてくると、彼らの方向が微妙に変わってきていることが見てとれる。

 ヨーロッパ人の民主主義は多分にご都合主義なのだと著者は言う。

 振り返って日本は如何か、AIIBに参加しなかったその選択は正しかった。今の日本外交は国益優先では動かない、それが不利益になるかも知れないが、それが日本人の本性だと著者は言う。

 日本人の民主主義精神は、頭の中だけのものでは無く、太古から身体のなかに染みついている。ただそれを民主主義と言わなかっただけと言う。

 その古来より培ってきた民主主義精神だけで、国際社会を生き抜くことは出来ないし、経済的な国益だけでも生きて行けない。なのに、日本人は安全保障に付いて極めて疎いどころか、国益や国防となると邪悪なものになると思う人が多すぎる。それが民主主義に反することの様に言う人は、偽物の民主主義思想に脳味噌が侵されていると言う。

(致知望 2018年6月11日)

実録アヘン戦争/陳舜臣(中公文庫 1985年3月発行 定価380円)

 中国・後漢にルーツを持つ陳家の子孫が、台湾に渡った後に神戸に来て貿易商をしていたことから、著者も神戸で生まれ、大阪外国語学校(現在の大阪大学)に進み、1学年下に司馬遼太郎がいた。戦後は一時家業を手伝うが文学の道を諦め切れず、江戸川乱歩賞を受賞して作家生活に入る。その後、直木賞、日本推理作家協会賞、本書で毎日出版文化賞を受賞し、さらに後年には別の作品で大佛次郎賞を受けるなど、実力派作家としての名声を高めていく。

 遠い祖国の中国が歩んだこの200年の道は実に険しいものがあったが、「アヘン戦争」も中国人にとっては決して忘れることのできない苦い屈辱の歴史である。その血が濃く流れている著者としては、以前に小説「阿片戦争」を発表したとはいえ、書き尽くしたという感じはなく、どうしても実録として書き残しておきたかったと「まえがき」で述べている。

 本書によれば、アヘン戦争については日本の教科書でも「イギリス商人がアヘンを没収されたことへの報復として、清国の変則的貿易を打破するためにイギリスが宣戦布告した」といった記述が多いが、実際は清のアヘン取締まりに対して、アヘン貿易を継続させるためにイギリスが仕掛けた?不正義”な戦争だったとイギリスの歴史家も認めており、著者は皮肉を込めて教科書の編者の不勉強さを指摘している。

 東インド会社時代にイギリスは、茶葉や陶磁器、絹織物などの中国産品を「公行」(コンホン)と呼ばれる外交・通商事務を独占的に行なう民間組合を通して大量に輸入した。しかし、イギリスが中国に輸出するものはあまりなく、大幅な貿易赤字に陥っていたイギリスとしては、アヘンが格好の輸出品になった。礼節を重んじる?紳士の国”が、アヘンを規制する清の法律に従うという国際法を無視して、なり振りかまわぬブラックビジネスを始めたわけである。

 アヘンはエジプトなど中東が起源といわれるが、鎮静薬としてよりも次第に快楽の媚薬として使われ出すと、ケシ栽培が盛んなインドやトルコ、イランなどで量産されるようになり、イギリスやヨーロッパの労働者の間では飲用アルコールの代用にもなったという。イギリスの植民地インドのベンガル産が最高級で、次にボンベイから積むマルワ産、マドラス積みのインド産アヘンが最下級品で、他にトルコ産やイラン産などがあり、これらは主にアメリカ商人が扱った。

 中国国内でのアヘンの蔓延と、輸入が増えて逆に通貨の銀が減り続ける現状に国家の危機を感じた清政府は、科挙出身のエリート官僚、林則徐を欽差大臣(皇帝の全権を委任された非常時の特別職)に任命して規制強化をはかった。彼は徹底した取締まりを実行し、アヘン貿易の禁止と関係するイギリス人の国外退去、吸引者を死刑を含む厳罰に処し、イギリス商会が所有するアヘン約1,400トンを没収するという強硬手段に出た。また、アヘンは焼いても残るので、石灰と塩を混ぜ水で薄めて海中に廃棄した。

 一連の処置に激怒したイギリスは1840年、イギリス国民の生命が脅かされ、財産が奪われ、侮辱されたことへの報復として、兵員約4,000人を乗せた20隻以上の艦隊をシンガポールから中国に向かわせたが、奇妙なことに林則徐が最も防備を強固にした広東は通り過ぎた。しかし、圧倒的な近代兵器の前に旧装備の清軍はなす術もなく、慌てた清は林則徐を解任してイギリスを懐柔しようとするが時すでに遅く、2年後には香港割譲、上海など主要都市の開港、アヘン没収や現地イギリス人への賠償、アヘン貿易再開など無条件降伏に近い南京条約を結ばされることになった。

 本書は、アヘン戦争でイギリスが行なった数々の悪行も紹介している。占領期間中にイギリス軍は、中国人民に対して略奪、淫虐の限りを尽くした。また、台湾沖で輸送船が難破した際、イギリス人乗組員だけが先にボートで脱出し、インド兵240名は置き去りにされた。彼らのほとんどは、溺死したり中国の捕虜となって処刑され、後世の海事史家は、卑怯で恥ずべきイギリスの「海国魂」だと非難している。

 一方、アヘン戦争中の中国人の非愛国的行為が数多く報告されている。つまり、イギリス軍の手先として偵察したり、大砲を引いたり、清国兵船を焼いたり、清国軍を襲撃した中国人が数多くいたそうで、イギリス人の目にはそれが中国人のモラルの退廃と映った。しかし、それは違うと著者は書いている。

 当時の清という国家は、満州民族つまり満人による政権である。したがって、漢民族にとっては異民族の支配を受けているわけで、むしろ時の政権に忠誠を誓うほうが民族の大義に反する。「国を満人に授けるよりは、西人に与えたほうがまだましだ」と語った中国の近代政治思想家で詩人の言葉を紹介しているが、中国という多民族国家を考えるうえで興味深い。アヘン戦争の知られざる一面である。

(本屋学問 2018年6月16日)

China2049 秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」/マイケル・ピルズベリー著・野中香方子訳・森本敏解説 (日経BP社 本体2,000円 2015年9月7日発行)

ハドソン研究所中国戦略センター所長。国防総省顧問。
スタンフォード大学卒業、コロンビア大学大学院博士課程修了。リチャード・ニクソンからバラク・オバマにいたる政権で対中国の防衛政策を担当。ランド研究所分析官、ハーバード大学リサーチフェロー、上院の4つの委員会のスタッフを歴任。
外交問題評議会と国際戦略研究所のメンバー。ワシントンDC在住。






序章  希望的観測
第1章 中国の夢
第2章 争う国々
第3章 アプローチしたのは中国
第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
第5章 アメリカという巨大な悪魔
第6章 中国のメッセージポリス
第7章 殺手?
第8章 資本主義者の欺瞞
第9章 2049年の中国の世界秩序
第10章 威嚇射撃
第11章 戦国としてのアメリカ
謝辞 解説(著者の警告を日本はどう受け止めるべきか)

 本書は機密情報の漏洩を防ぐため、事前にCIA・FBI・国防総省の査読を受けた、と著者が断っているので、かなりきわどいことに期待した。裏表紙には「親中派の一人だった著者が、中国の軍事戦略研究の第一人者となり、親中派と袂を分かち、世界の覇権を目指す中国の長期的戦略に警鐘を鳴らすようになるまでの驚くべき記録である。本書が明かす中国の真の姿は、孫師の教えを守って如才なく野心を隠し、アメリカのアキレス腱を射抜く最善の方法を探し続ける極めて聡明な敵だ。我々は早急に強い行動をとらなければならない」(元CIA長官R・J・ウールジー)とこれまた物騒な言葉があり、興味をそそった。

鄧小平が改革路線に舵を切ってしばらくして「能ある鷹は爪を隠す(没有??藏指甲)」と言ったと伝えられた。この時点で、こんなことを言っちゃっていいのかなと感じたことを今でも覚えているが、以前に書いたように中国の指導者は古典に倣っていること、100年単位でものごとを進めるということで、タイトルからして、そういう長期戦略が書かれていると思った。

 ソ連の崩壊後、多極化世界は(中国の成長がこのまま続けば、一国支配の秩序に戻るという事と、その時に世界で最も強い国となるのは中国だと、中国の指導者は信じている。ところがアメリカの指導者たちは自分たちが利用されていることに全く気付いていない。レーガンは、それまでの米指導者と違い、中国の本質を見抜いていたが、現実にはニクソン・フォード・カーター路線を踏襲しいろいろな支援をしたが「民主化を図ることを条件とする」としてきた。日本と違うんですね、中国は。今でも独裁国家。

 中国は世界の支配者であるという中華思想が今でも生きていて、着々とその方向に進んでいるが米国はじめ西側諸国はこのことに気付いていない。毛沢東然り、習近平然りなんですね。また国民は、こんな社会体制にも拘らず、英雄の出現を望んでいます。民主化という言葉も中国では単なる言葉の域を出ていないというのがebessanの認識です。日本人指導者も同じで認識が不足していると思います。

 著者は、中国の専門家として、誰よりも中国の軍部や諜報機関に通じていると断言しているが、その著者が「米国は中国の国家戦略の根底にある意図を見抜くことができず、騙され続けてきた」と告白している。中国の台頭は平和的になされると西側に認識させてきたが、彼らの戦略はそれを真っ向から否定するものだ、とも。これは私は事実だと思います。

 中国には、中国の歴代王朝からの政治的一貫性や思想が生きていて、孫子の兵法や戦国策から導かれる「勢」という思想に基づくと解説している。勢とは「敵が従わずにいられない状況を形成して敵を動かし、これに打ち勝つための神秘的な力」という思想です。そして、今の中国の世界制覇の戦略は共産党や軍のタカ派が策定して脈々と生きていると。

 今の弱さは日米連合などによる、外洋進出の阻止であり、これは最近の海軍力をしゃにむに強化したり、一帯一路で経済貧国を巻き込んだりしていると言えます。また、サイバー攻撃や電子戦においても優位性を保とうと必死である。

 日本はこのことに気が付いていないのが残念だ。日本の将来を考える若者には是非読んで欲しい一冊です。

(恵比寿っさん 2018年6月16日)

 日本の未来はこう決まった!/ベンジャミン・フルフォード著・板垣英憲訳 講演記録(ヒカルランド 2018年4月発行 本体1,815円)

 2017年10月に「この選挙で日本の行方はこう決まった!」という講演の記録に加筆したもの。
 ベンジャミン・フルフォードは、フリーのジャーナリストで、板垣英憲は政治経済評論家。
表表紙には、
人類99%を支配する寡頭権力者たちの次なる工作
日本の未来はこう決まった!
その決定をひっくり返す【超逆転の極秘シナリオ】とは?
と、ハデに書かれています。

 週刊誌以上の見出しがハデに繰り広げられており、デマに踊らされているようにも思えます。
 著者の今までの本などの情報に接していないと、あまりにも今までに知らされている一般情報とかけ離れているので、事実であるとはにわかには信じがたいのが実情だと思えます。事実かどうかの確認を本人が出来るわけではないので記述内容を信用しなければならない。
その中で、事実であろうと思える気になったことをいくつか取り上げてみました。

〇 目次の前の序論から、ブッシュとロックフェラーが、ジョン・F・ケネディの暗殺に加担したということをマスコミが公開すれば、それを突破にどんどんほかの情報も公開されるかもしれません。
情報公開によって世界的な革命が起きるのは時間の問題です!

〇トランプさんが2017年11月に来る目的は1つしかない。小沢さんが分配するおカネ、1京円をもらいに来るのです。

〇『陰謀、裏切り、策略が渦巻いた2017年解散総選挙。だまし、だまされの劇が繰り広げられている日本政界の裏側を暴露します!』板垣英憲では、いろいろな政界の裏側が暴露されていますが、一つだけ注目した情報は、安倍首相が、がんを重粒子線で治したということです。

 6月に倒れたときに精密検査でMRIをやって肺がんが見つかり、かかりつけ医の慶應病院の先生からは余命3ヶ月と言われたそうです。もう死んでいてもおかしくないのにまだ生きています。その前は、末期に近い膵臓がんがみつかったが、これは治っている。安倍さんが助かったことより大事なことは、千葉の稲毛に重粒子線を照射する病院があることである。

 40年前に著者が文部省を担当していたとき、筑波研究学園都市に野球場ぐらいの丸い大きな重粒子の加速装置があり、がんの治療を行っていた。その頃は装置を1回動かすだけでも何十億円ものお金がかかり、使えるのは天皇陛下だけであったそうです。ところが今や、千葉大学系とか群馬大学系とかいくつかに限られるが、重粒子線を使って治療しているところがある。重粒子線治療をやる稲毛の病院は、順番待ちの人が1000人ぐらいいたが、その人たちを飛ばして安倍さんの膵臓がんを治療し治った。6月に見つかった肺がんも重粒子線で治したようだ。

〇『人工世紀末劇の演出はもう終わり!まもなく日本が変わります』ベンジヤミン・フルフォードの項目より、いくつかの恐ろしい内容が列記されているが、ここで、気になった3・11の問題のみを取り上げてみました。
 「3・11」とはHAARPと呼ばれる人工地震の気象兵器が用いられていたというのが、ベンジャミン・フルフォードの以前からの持論である。

「3・11は日本の独立を阻止するために仕組まれた」

 サウジアラビアの状況は、複雑です。
 アメリカ軍は、ハザールマフィア、つまりロックフェラー、ブッシュみたいな人たちの下っ端になるのは嫌だけれども、軍が活動するためにはものすごい量のガソリンを使います。石油がなくなったら、全世界にあるアメリカ軍の機能がとまってしまいます。それは困るから、彼らは「こういう事態になったら戦争をする」という彼らなりのラインを引いて、新しい金融システムの構築に向けて動いているわけです。

 石油本位制ドルは、その管理下から中近東の石油資源の多くを失いました。イラクもなくし、シリアもなくし、アメリカと同盟関係にあったカタールもベネズエラも寝返りました。残っているのはサウジアラビアを筆頭とする湾岸協力会議の加盟国ぐらいです。だから、アメリカ軍は圧力を掛けてでもサウジをつなぎ止めておきたいのです。

 今は、中国が太陽光エネルギーのシェアのほとんどを占めています。ということで、石油資源の壷を押さえたとしても、もう時代おくれです。世界の石油資源を押さえるだけでアメリカが世界覇権を維持できた時代は終わったのです。それに伴って、フランス、ドイツ、イギリス、ノルウェー、中国など、多くの国々がガソリン車とディーゼル車の販売禁止を計画しています。

 エネルギー全体の中で、自然エネルギーは今まで2~3%のシェアでしたが、今は太陽光パネルや風力発電など、新しくつくられるエネルギー施設や設備において圧倒的なシェアを占めています。電気革命が起きていて、最近いろいろな企業が電気自動車を一生懸命プッシュしています。世界経済の根本が変わろうとしています。

 日本は残念ながらまだ太陽光発電が封印されています。日本はほんとうだったら、今はもう石油がほぼ要らない状態になっていてもおかしくなかった。けれども、それをブッシュやロックフェラーが邪魔してきました。

 「財界展望」の2002年11月号の中に、「日本の電力事業政策を操るCIA対日工作の全貌」と題した記事が掲載されていました。それによると、CIAの日本エネルギー事情の調査レポートには「日本の国力をこれ以上強大化させず、かつ将来にわたって反米化させないようにするためには、長期間にわたりエネルギーセクターで、日本に手錠をかけるかのように封じこめておく必要がある。日本の原子力発電はすでに電源の3割以上を占めている。そこで、日本の原子力技術を支配する東京電力のパワーを削いでおくのが効果的である。東電は日本一の資産企業で、経済界、財界をリードする有力企業である。また、国民からの信頼も厚い。日本の核武装化を阻止するには、東電の信用を失墜させ、凋落させることにより原子力発電技術開発を大幅に遅らせる必要がある」と書かれていました。日本の独立を阻止するために手っ取り早いのは、東京電力を潰すことです。

 それで3・11が人為的に引き起こされました。3・11のとき、海底に埋められた原子爆弾によって人工的な津波と地震が起きました。福島原発を爆破したのは設置されていた小型原子爆弾です。これはマグナBSPというイスラエルの会社の仕業です。

 小池百合子が「原発をやめます」と言っていたのも、ちょっと怪しいです。「ああ、あの連中の油を買えと言っているんだな」と思いました。安倍はよくない。でも、小池ではない。また違う、今までにいない人が必要だと私は思います。

 安倍政権の親玉のリチャード・アーミテージはバーバラ・ブッシュのいとこで、ブッシュ一族の日本代理でその子分が安倍です。

 ブッシュ・ロックフェラー・ロスチャイルドやハザールマフィアが恐く、日本から金を引き出すために、言うとおりにやらないと殺されるのでやっているだけのように見えるのです。

 本書により、韓国の慰安婦問題や、拉致問題をあえて再燃させられている背景が見えるようです。

(ジョンレノ・ホツマ 2018年6月18日)

陰謀の日本中世史/呉座勇一(角川新書 本体880円)

 著者は、国際日本文化研究センター助教。専攻は日本中世史。本書は、史上有名な事件を分析した“陰謀論”の諸説を論破する。

 第一章は「貴族の陰謀に武力が加わり中世が生まれた」とする。保元の乱は武士の時代の幕開けである。時の鳥羽天皇は、わが子崇徳を、わが父であり崇徳の祖父である白河法王の子ではないかと疑う。法王の意向で早々と崇徳に天皇の座を譲り鳥羽上皇となる。保元元年(1156)鳥羽法皇死去。時の後白河天皇、美福門院ら朝廷の主流派は、逼塞していた崇徳上皇と藤原頼長の復権を恐れ謀反の嫌疑をかけて討伐。頼長は死亡、崇徳は捕らわれて讃岐に配流となった。

 平治の乱は、平治元年(1159)、平清盛の熊野詣の折りに、藤原信頼・源義朝らが挙兵し、後白河法皇と二条天皇を内裏に幽閉した。帰京した清盛は天皇を脱出させ、六条河原の合戦で勝利した。信頼、義朝、義朝の長男、次男も死亡したが、三男頼朝だけが許されて伊豆に流された。

 第二章「陰謀を軸に『平家物語』を読みなおす」では、源頼朝と義経兄弟の決裂の真因について考察している。文治元年(1185)、頼朝の推薦で義経は伊予守に任じられた。頼朝にはひとつの思惑があった。伊予守と検非違使の兼任はできないならわしだから、義経に京都を離れるようメッセージを送ったのだろうという。しかし義経は二つの地位を兼任して京を離れなかった。引き留めたのは後鳥羽上皇である。これは、頼朝の目には後白河上皇が独自の武力を持とうとしており、義経が頼朝の統制から離脱しようとしているように映った。

 第三章「鎌倉幕府の歴史は陰謀の連続だった」では、頼朝に続き、北条政子の間にできた頼家、実朝と、三代三十年で滅びた源氏将軍家による鎌倉幕府を取り上げる。ここでは、頼家暴君説、謀反の嫌疑をかけられて死に至った梶原景時の変、頼家の舅比企能員(よしかず)の一家滅亡に、政子の父北条時政による陰謀の影をみる。

 第四章「足利尊氏は陰謀家か」では、後醍醐天皇による元弘三年(1333)の鎌倉幕府討幕の成功は、足利尊氏の幕府への裏切りによるものだが、裏切りの原因は幕府の最高権力者である北条高時の横暴に対する怨恨説や天下を狙った野望説があるという。しかし尊氏はその後醍醐を裏切る。征夷大将軍として後醍醐天皇のもとで満足していた尊氏だが、謀反の噂を流されるなどで、逡巡しながら挙兵に至る。尊氏に敗れた後醍醐は吉野に逃れる。尊氏が擁立した京都の光明(こうみょう)天皇の朝廷を北朝、吉野の後醍醐の朝廷を南朝と呼ぶ南北朝時代となる。

 第五章では、「日野富子は悪女か」として、「応仁の乱と日野富子」を取り上げている。応仁の乱は時の将軍家の家督争いが発端である。室町幕府8代将軍足利義政が後継者を弟の義視(よしみ)に決めたのちに妻富子との間に一子義尚(よしひさ)が生まれたことで後継者争いが生じた。そもそもは我が子可愛さで富子が義視排除を画策し、山名宗全を頼んだというのが通説だが、本書は、それを否定し「史実は正反対だ」とする。

 第六章では、「本能寺の変に黒幕はいたか」の中でおもしろいのは、「騙されやすかった信長」とする見方である。あの信長が簡単に光秀にやられるはずがないというのは信長に対する過大評価だとする。義弟の浅井長政の反逆、武田信玄の同盟破棄による上京、松永久秀の反乱、荒木村重の謀反など“裏切られ履歴”を上げて、信長は信頼を寄せた人間に裏切られる武将だったという。

 第七章では、「徳川家康は石田三成を嵌めたのか」として、「秀次事件」では、「七将襲撃事件」「関が原への道」にまつわる諸説を検証している。秀次事件は、家康を利したといい、七将襲撃で光秀が家康の屋敷に逃げ込んだのは俗説だといい、関ケ原の前の「小山評定」も架空だったとする。

 最終章は、陰謀論の特徴などを考察する。本書のオビにあるとおり、ブームを呼んだ「応仁の乱」の著者による俗説一蹴の一書である。

(山勘 2018年6月19日)

山田耕筰さん、あなたたちに戦争責任はないのですか 森脇佐喜子著(梨の木社1994年 \1,700}

 山田耕筰といえば日本人ならだれでも知っている大作曲家。本書はその他北原白秋など戦争に協力した音楽関係者に対する弾劾の書である。ページを開くと、まず「若い世代に戦争をどう伝えていくか」という、著者が師事した大学教授の寄稿文があり、その中で本書刊行の経緯を述べている。教授は若い学生たちに日本の現代史を教えているが、他の先生から「日米が戦い日本が勝ったと思っている若者がいる」と聞き、戦時中の資料を集めて学生に教え、学んだことをレポートに書かせた。本書は1992年に教授が受け持った3年生のレポートを中心に構成された、その中で優れたレポートを書いたのは本書の著者である。本書は師と弟子の共同作業で生み出されたものであろう。

 さて本論に入ると前半の6章で、日中戦争から太平洋戦争に至るまでの、時代背景を描写している。
1. 私の疑問-お父さんの世代はどんな音楽教育を受けたのですか?
2. 山田耕筰はなぜあれほど多くの戦争賛美の曲を作ったのか?
3. 学校唱歌が担った役割を追う
4. 山田耕筰は、どういう時代を生きたのか?
5. 満州国とのかかわり-「ペチカ」から「満州国国歌」へ
6. 日本音楽文化協会はどんな役割を果たしたか

 山田耕筰の歌は「あかとんぼ」や「からたちの花」のような叙情歌を思い浮かべるが、軍服を着て日本刀を帯び「音楽挺身隊」という団体を率い、107曲もの戦意高揚歌を作曲したとは誰知ろう。戦後70年以上経ちすでに歴史の彼方に埋没したが、本書ではその時代の彼の行動をしっかりと記録している。強制されたのではなく、積極的に戦争賛美の先頭に立っていたのだ。

 続く第7章で著者は山田耕筰の戦争責任を弾劾し、8章では「彼は仕方なくやらされたのではなく積極的に軍部に協力したのだ」と断罪している。

7.山田耕筰さん、あなたに戦争責任はないのですか?
8.おわりに-「仕方なかった」ですまさないために

 また8章では「淡谷のり子は慰問演奏でドレスを着てラブソングを歌った」と、彼女の勇気ある姿勢を賞賛している。最後に反戦歌手・新谷(しんたに)のり子への著者のインタビュー「新谷のり子さん、なぜ反戦歌をうたうのですか」で締め括っている。

 山田耕筰は戦時中に創刊された「音楽文化」の創刊号で「音楽もまた武器なのである」と論じている。当時「国防と音楽」という題名の下に、「音感教育は敵味方の識別に役立つ」と主張する者もいた。唱歌の歌詞も「天皇のため死ぬことを賛美する」ものに変えられた。

 本書を読了し当時国民学校児童であった私は何とも複雑な気分になった。国民学校児童に戦争責任はないと思うが、当時の大人たちはほとんど山田耕筰に近い立場であったろう。あのまま戦争が続けば、ボクら小国民は敗戦を認めるような大人がいれば、親や叔父叔母でも「非国民!」と糾弾したことだろう。私には山田耕筰を責めることはできない。淡谷のり子のように死を賭して自由のために立ち上がる発想など、初めから頭の中に入る機会がないのだ。
 
 第二次世界大戦中のナチスの残虐行為を記録した映画をみると、笑いながら市民を殺している兵士が、平和な時代には愛想のよい商人や腕のよい職人など、ごく普通の人々であることを思うと寒気がする。大衆は「人種差別」や「選民思想」などで煽られると一夜にして悪鬼の集団と化す。それが動き始めると煽った指導者も止めることはできない。指導者には間違いなく戦争責任はあるが、彼等もまた戦争の被害者となる。だから、この時代を知らぬ安倍某などが火遊びを始めると危ないのだ。このような書感が何のお咎めも受けず掲載できる日が続くことを祈る。
 
(2018年6月2日 狸吉)

 エッセイ 
ホツマエッセイ 「スズ」は「竹」も意味している

 鈴について、なぜ神社の正面に鈴が祀られているかについて私の感じ取ったことを、前回、雑談として話させていただきました。

 この鈴のもとおりは、鉄分を含
んだ泥が葦の根っこに溜まり、長い年月を経て球状の層が出来、褐鉄鉱と呼ばれています。根っこは涸れて中は空洞になり、中の枯れた根っこが塊となり振ると音がするので鈴石と言われるようになりました。この葦原の湿原にできた鈴石が鈴の原型となったと考えられます。

 水酸化鉄「FeO(OH)」でできたこの褐鉄鉱は350~400℃という鉄よりかなり低温で分解・溶融が始まります。鈴が神社の正面に祀られているは、縄文時代に火力が充分に得られなかった時であったから、この鈴石を集め、溶かして生まれてできた鉄は非常に貴重なものであったと考えられ、尊ばれていたと思われます。

 次に、今回取り上げた「スズ」には、「鈴」以外に「竹」を示す意味が隠されていたことを知ったからです。

 スズ竹と呼ばれる竹の存在を「室井綽著 竹の世界 Part1,2 地人書房」により知りました。
本書で、スズ竹は鈴竹、根曲竹(ネマガリダケ)とも呼ばれていることを知り、この鈴竹の他にも、竹の偽年枝や、竹の開花と寿命について興味ある事柄を知りました。
 また、「両神の民俗的世界:埼玉県秩父郡旧両神村小森谷民俗誌」より、ここの方は、笹のことを「すず」鈴と呼んでいることも知りました。

① スズ竹
 紀伊半島には、スズ竹の群生地が多く、ズズ竹はミスズとも呼ばれ、ミは尊称である。この筍は春の山菜中、味の王様と呼ばれ、成長した竹稈は各種のザルとして強く美しく、山民の生活と密着しているものはない。
 著者は篠懸(すずかけ)というものを調べたとき、それは山伏が修行で大台ケ原や大峰山に登るときに着用していたコートで、雨露を防ぎ、笹葉で手足が傷つくことを防ぐためのもので、両縁と下部に小さい菊綴りがついている。実際に、大台ケ原へ実際にスズダケが群生しており覆いかぶさるなかを登山し、特に葉の長さが40㎝もあり、イガスズと特別視されているスズダケは葉巾が広く見事であるとあり、もし、この道中に篠懸というコートを着用していなかったら全身傷だらけになっていただろうと感想を記されている。

 なお、信濃の枕詞にある「みすず刈る…」は鈴竹の必需品に対する尊称であったからと言われています。
尚、余談ですが灰田勝彦が歌っていた「鈴懸の径」の鈴懸はプラタナスのことです。

② 竹の偽年枝
 木には年輪と言うものがあり、伐採して幹を見れば年輪があり、おおよその木の年数が数えられます。竹の場合は、年輪がなく、年齢を数えるのは不可能であると思っていました。

 図のように、1年生、2年生、3年生と枝の出方で区別でき、外観で枝の節を数えて年が分かることを知りました。

 本書に、偽年枝と年齢の関係で驚くことに、竹は偽年枝(偽年輪)と呼ばれて、気象条件によって、伸長生長を1年に2回繰り返すということがわかりました。

 夏、日照りが続き、水不足などにより、枝の先端の葉が枯れてしまっても、秋になり慈雨にあうと、枯れ葉の基部から翌年伸びるはずの小枝の芽を伸ばし、葉を2,3枚つける。
 このように、伸長生長を1年に2回繰り返すことを偽年枝という。小枝の先端で明春伸びる予定の芽が、秋に伸びたことがわかる。

 初心者がみると、2年生の年齢と誤って判定する。しかし、竹林の持ち主や竹細工を職業とするような人には稈(かん:中空の茎)の色や固さ、株元に竹の皮をつけているなどで年齢を判断できるようです。

 以前、高畠先生のお話の中で、古代の人は長寿であったということや暦の解釈で、今の1年は当時の2年分であったかも知れないという疑問にも合致すると考えられます。

③ 竹の開花と寿命
 竹は60年経つと(あるいは100年とか他の説もありますが)、花を咲かせて一斉に枯れてしまうことが確認されています。当時は、この竹が開花して枯れる期間を一つの暦の単位にしていたことが考えられます。

 枯れた竹を新しく植え替えることを言っているものと思えます。

竹の開花周期について、室井綽著のなかで、「日中ともに60年という俗説があるが、モウソウチクで中国から苗を取り寄せてから234年という記録があり、それまでの中国での年数を加算すると60年の5倍か6倍かわからないがとにかく長い。60年という数字は干支の最小公倍数でとにかく長いことを意味している。」と記載されています。

④ ホツマツタヱ記述より抜粋
 ④-1 13綾の表題に「スズカ」という言葉があり、その説明の一部に(14ページ)「すずはまさかき」という言葉が出てきます。

こたえとく すゞはまさかき(13-14)
ほすゑのび としにきなかの
むよろほぎ

ワカヒコは答えて再び説き始めました。
 「スズ(鈴木)とは古代から植え継がれてきたマサカキ(天真榊)の事で、この木の成長は一年にキナカ(半寸・約1.5㎝)ずつ穂が伸び続け、丁度六万年目にサクスズ(折鈴、枯れる)となる神木でこよみ(暦)の元となる聖なる木です。と、高畠先生のホームページ(2003年)で解釈されています。

④-2 「サクスズ」という言葉は、8綾の冒頭(8-2最終行:小笠原)に出てきました。8綾以外にも「サクスズ」という言葉は、27綾、28綾にも出てきます。27-21,28-3,28-53,28-62.(和仁估安聰釋本)

おおんかみ あめがしたてる(8-2)
くしひるに たみもゆたかに
ふそみよろ ふちみをやその
ふたとしを へてもやすらや
みかたちも なをわかやぎて
おわします ことしふそよの
さくすゞを ふそゐのすゝに
うゑかえて ふしにあたれは(8-3)

 「さくすず」の「さく」は竹の花が、何十年もたって、初めて咲いて、枯れて落ちることを示していると思われます。
 ここで言っている「スズ」を竹のことと理解すれば、納得できると思いました。

(ジョンレノ・ホツマ 2018年6月18日)

「丁寧に説明してご理解を得る」のはムリ

 「やった選手のいさぎよさ やられた選手のさわやかさ 逃げる大人の情けなさ」。これは言うまでもなく、いま騒がれている“日大アメフト事件”への私の“寸感”である。違反タックルをした選手は、自分の言葉で事のいきさつと悔恨の心情を語り、やられた選手は、違反選手に同情と共感を示している。どちらも言葉の使い方が率直で、聞く者の心に素直に響いてくる。

 それに比べて、元凶である日大のコーチ、監督、大学本体の言動は情けなく、見苦しい。その言い分は真実味に欠け、ごまかし・言い訳・言い逃れに聞こえてくる。こんな情けない“風潮”は、モリカケ問題や公文書紛失・書き換え問題から、各界リーダーによるパワハラ・セクハラ問題にいたるまで、国全体に“蔓延”している。こうしたごまかし・言い逃れの範を政治家が示し、これに倣って国のリーダー層による逃げ口上が乱発されているきらいがある。

 言葉の乱れについては別稿エッセー「笑いものにされた忖度と日本語」にも書いたが、そこでクラウスという昔のオーストリアの作家が、よりよい言葉を探して迷うのは、表現の厳密さで迷うのではなく、魂のある言葉を探す道徳的な行いだ、と言っていることを引用した。厳密な表現を重視する作家が、それにもまして言葉選びにおける道徳的な態度を重んじているのである。それに引き換え、今どきの政治家の言葉の軽さ、節操のなさを思わずにはいられない。

 安倍総理は、「丁寧に説明してご理解をいただく」ことをモットーとしている。安倍総理の、重要な政治発言も紙を見ないで話す力が並のものではないことは認めるが、その“話力”だけで野党を説得し、国民の理解を得るのは難しい。

 いま国民は、衆院予算委でのモリカケ論議の繰り返しに辟易している。野党は麻生副総理や、なろうことなら安倍総理のクビを取ることに“専念”しているが、総理はその野党に対して「丁寧な説明」を心掛けながら(時には投げやりに対処する傍ら)、目先の米朝首脳会談の実現、拉致問題の解決などの政治課題に取り組んでいるのである。

 その点で安倍総理はご苦労さんだが、足元が定まらない。森友問題への自身と昭恵夫人の関与を全面否定しているが、少なくとも昭恵夫人の“軽率”な関与はほぼ明らかにされている。そこへ新たに愛媛県の内部文書で加計学園の加計理事長と2015年2月に面会していたという記録が出てきた。総理は全面否定、県知事は学園に怒り、学園側は間違った情報を県に伝えたと謝罪している。

 いまだに真実は「藪の中」である。こんな有様では政治への国民の不信感を一掃するのは容易でない。いうまでもなく「藪の中」は芥川龍之介の短編小説で、むかし映画にもなったが、殺人・強姦事件を巡る4人の目撃者の証言と3人の犯行当事者の告白が食い違って、真相究明が未完に終わるという物語である。ちなみに、証言の矛盾で真相が分からなくなることを「藪の中」と言うようになったのはこの小説からで、「藪の中」は芥川の造語らしい。このままでは、“モリカケ問題”も「藪の中」でおわり、ついでに安倍内閣も「藪の中」で終わりかねない。

 政治への信頼が低下しているということは、政治家への信頼が低下していることであり、政治家への信頼が低下しているのは、政治家の言動への信頼が低下していることである。政治家の言動への信頼が低下しているのは、政治家の言動に真実さ、誠実さ、道徳観がないからである。それでは「丁寧に説明してご理解を」得るのはムリである。政治不信のもとが、安倍総理が得意とするような、政治家の「説明能力」の問題でも、「丁寧な説明」の不足でもないことは明らかである。

(山勘 2018年6月19日)

笑われる「忖度」と日本語

 最近、「生でだらだらさだまさし」とかいうNHK深夜番組で、さだまさし氏が、子供のころ、いつも働いている母親をみていて、いつ寝ているのか不思議だったという話をしていた。本当にそうだったよなーと後期高齢者の私も今は亡き母を思い出していたのだが、後日、視聴者から「母は寝てはいけないのか」といった抗議がたくさん?寄せられたという。表現の自由とかいうやつで、何を言ってもかまわないのだろうが、いまの社会では、話し手の心情を忖度・斟酌するゆとりさえ失っている。

 近ごろの政界で流行りの言葉は「遺憾」「忖度」「記憶にございません」だ。「忖度」は新顔だが、「遺憾」「記憶―」はだいぶ以前から使われて「手垢」のついた用語である。「記憶―」は、ロッキード事件で国会召喚を受けた小佐野賢治が,「記憶は(時には「記憶が」)ございません」と繰り返したのが始まりだ。いずれにしてもこれらの言葉の誤用・悪用は日本語の病だ。病状はますます悪化し、日本語はますます表現が上滑りになり、意味が薄くなり、ごまかし・言い訳・言い逃れに悪用されるようになっている。その代表例が、当事者が人ごとのように言う「遺憾」である。当事者として、あるいは関係者として謝るべきところを謝らず、誤解されて残念だとでも言っているように聞こえるごまかしだ。

 「遺憾」「記憶―」に比べて、いまホットな流行語が「忖度」だが、かわいそうに、いま“そんたく君”は国中の笑い者にされている。日本語大辞典によると、「忖度」とは、「他人の気持ちをおしはかること、推察」である。そこで「推察」をみると、「思いやること、推しはかること、推量」とある。さらに「推量」をみると、「根拠があって、こうだろうとおしはかること、推察」とある。ここまで見てくると、推量、推察、推量と一巡して「忖度」の意味に戻る。これら一群の意味に近い言葉に「斟酌(しんしゃく)」がある。斟酌とは、「①事情・気持ちを察して手加減すること、②照合して取捨選択すること、③控えめにすること、遠慮」などという意味だ。

 忖度と斟酌を比べてみると、忖度のほうは、一連の「忖度事例」を見ても、下位のものが上位の者の意向や様子や顔色を窺がう趣きがある。それに比べて「斟酌」のほうは逆に、どちらかといえば上位から下位に、時には横並びの立ち位置で気遣う趣きがある。ここまできて気がつけば、忖度、斟酌だけでなく、「趣き」「窺がう」なども極めて日本的、情緒的で、日本古来の「大和心」に通じる言葉である。また、国語辞書をみれば、漢字・漢語の意味の説明は、たいてい日本古来の大和言葉や易しい日本語で説明されている。

 近著「日本・日本語・日本人」(大野晋 森本哲朗 鈴木孝夫)で、森本氏は、漢字の導入によって従来の具象的だった大和言葉が、一知半解のまま抽象的に漢語化されていったことで、今日に至るまで抽象語・漢語は曖昧な機能しか果たせないでいると言っている。そこで森本氏は、日本人の精神を形づくっている日本語の性格を、改めて反省し、自覚し、的確な、そして美しい言葉へと高めていかなければならないと言う。

 言葉に対する敬虔な姿勢は「言葉の魂の哲学」(古田徹也著)も同じである。同書の中で、オーストリアの作家でありユダヤ人だったカール・クラウスの言説を紹介している。クラウスは、よりよい言葉を探して迷うのは、表現の厳密さで迷うのではなく、魂のある言葉を探す道徳的な行いだ、と言っている。ヒトラー時代の作家クラウスが今に警鐘を鳴らしているのである。

 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の普及などで、ネット社会では言葉の意味を吟味せず、気軽な言葉が氾濫し、言葉の変化球が乱れ飛び、勝手な言い分が氾濫している今だからこそ、由緒ある「忖度」や日本語を笑いものにして済ませてはなるまい。

(山勘 2018年6月19日)